親戚のおじさんに誕生日祝いに買ってもらったコンパクトカメラを首からぶら下げて、ホームに一日居たものでした。今だったらとても出来ない行為です。 72,06,11 西日暮里 フィルム:SAKURA スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
私が中学生の時代、すでに東海道新幹線が開業しており、在来線の東海道線では夜行の優等列車は多数ありましたが、昼行の優等列車は急行゛東海゛ぐらいでした(とは言っても゛東海゛の一部は名古屋や大垣発着でした)。そのため中学生の私にとっては東海道線より、東北、上越、常磐各線の発着する上野界隈に魅力を感じるのは当然の成り行きだったと言えます。最初はオーソドックスに鶯谷駅ホームで撮影していましたが(と言っても親から買い与えられたコンパクトカメラ一台でしたが・・・)ある時、千代田線開業で出来た西日暮里のホームも撮影出来る事を知りました。鶯谷駅ホームだと常磐線の本線列車まで撮影出来るのですが未熟な腕故に(だから今、撮影が上達したとは思っていませんが…ただ、場はいろいろ経験した気ではいます)架線柱が邪魔でなかなか納得出来る写真が撮れませんでした。これに対して西日暮里駅のホームは架線柱も少なく、少し高い位置から撮影出来るのでお気にいってしまいました。
写真はその西日暮里駅ホームから撮影したブルドック事、キハ81の゛いなほ゛です。回送を撮ればもっと綺麗に取れたのに?と思われるでしょうが、たぶん回送は京浜東北線か東北、高崎線の列車と被ったのではないでしょうか?ネガにはキハ81の゛いなほ゛の回送のコマはありません。
当時、キハ81の゛いなほ゛は高崎・上越線経由で上野―秋田間を結んでいました。まだ羽越線村上以北が非電化で気動車で運転する必要がありましたが、非力なキハ81で上越国境を越えるのはなかなか負担が大きかったのではないかと推測されます。夏などオーバーヒートの危険と背中合わせでの運転だった事は容易に推測されます。ただ補機の力を借りた等と言う話は聞いていないので板谷峠程の過酷な状況ではなかった気がします。
このキハ81の゛いなほ゛もこの年の10月に羽越線村上―秋田間の交流電化開業で485系化され、余剰となったキハ81は生まれ育った上野口を後にし、和歌山機関区へ転属しています。
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