わずかな記憶と光線状態から上りの一番早い時刻のDRC特急だと思います。線路際の草がきれいに刈られ、線路への愛着がにじみ出ています。最近はこんな整備された線路際も少なくなりました。 91,06,14 東武金崎―家中 上りDRC(1100レ?) T-Max スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
20年前の秋に東武鉄道では5700系(57型)の引退を間近に沿線には過去に例を見ないほどの撮影者を見掛ける様になっていました。私は57型だけを追っかけていたのですが、他のご同業の方は57型と共にほぼ同時期に終焉を迎えるDRCこと1700系(1720系)も積極的に追っかけているようでした。
57型に夢中だったのでネガで当時を振り返ると沿線にいながらDRCに眼が行っていなかった事が、ずいぶんもったいない事をしたとし後悔しています。それでもネガの中には何枚かのDRCの写真が残っています。57型撮影の間合いとか、あるいは先行でDRCがやって来たので、ついでとかで撮ったものばかりです。
今回はその数少ないDRCの写真をご紹介したいと思います。
この撮影地は良く通いました。県道のオーバークロスの歩道階段が足場です。この頃は見通しが効いて、冬の澄んだ空気だと富士山も望めた程です。数年前にこの撮影地横を通過したのですが歩道と線路の間に樹木が伸びて、線路際しか撮れないという感じで、この当時の面影はなくなっていました。 91,06,05 東武藤岡―静和 DRC T-Max スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
当時、特急車としてのDRC、波動輸送用の57型。そして一般車の8000系は東武の古臭さの象徴に陰口を叩かれる事もしばしばでしたが、私は車両を大切に長く使用するという東武の伝統に好感を持って受け入れていました。事実、当時はJR東日本が開発していると言われていた”重量半分・価格半分・寿命半分”という車両開発(後に209系として登場しました)には、大切な資源を使い捨てを前提に製造すると言う思想には疑問を感じ、付いていけない思いでした。そのために東武の"古さ"は誇るべき社風と考えていましたのでDRC、57型。そして8000系の゛古さ゛の活躍は好感を持って受け入れられていました。
北鹿沼の俯瞰場所として有名でした。しかし何故か57型の写真はなくこのDRCの写真1枚しか残っていません。当時は手前の材木工場を嫌っていたのかもしれませんが、今思えばもっとここでもっと撮っておかなかったのかと後悔しています。 91,06,05 東武北鹿沼 T-Max スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
コメント一覧
DT200A@CF-Y7
残席3
DT200A@CF-Y7
つばめ鮨[[EE:AEAB8]]の常連
最新の画像もっと見る
最近の「鉄ちゃん」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事