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通常では絶対に撮影出来ない場所です。自動車教習所の屋根からの撮影です。 01,03,28 川崎 お召(9001レ) スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
10年前の3月となる01年3月はおりしも来日中だったノルウェー国王を天皇皇后両陛下が招待する形での鎌倉行幸が執り行われ東京-北鎌倉(回送で逗子まで運転)にEF5861号機牽引の1号編成のお召列車が運転されました。
このお召列車の情報を得たときの感想は”なにも地元で運転しなくても…(絶句)”でした。それは嬉しいと言う感情の究極の表現でもありましたが、地元だけに撮る場所が全てわかっているだけに、その厳しさを知る故の思いでした。
普通の団臨なら早めに行けば新子安や保土ヶ谷などの撮影地が考えられますが、教祖様のお召となれば、それらの撮影地はパニックになるのは必至でした。撮影地選択で苦慮している、そんな中”許可者しか入れない撮影地がありますがいかがですか?”とお誘いを頂きました。”はて?そんな撮影地ってありましたっけ?”と聞けばなんと川崎駅近くの自動車教習所(KANTOモータースクール川崎校)の屋上でした。この教習所の関係者を知人に持つ鉄ちゃんが頼み込んで撮影がOKを頂いたと言う経緯があります。ただ屋上と言っても通常は立ち入る事の出来る様な場所ではなく、エアコンの室外機が並ぶ保守管理のための屋上なので、事前に人員等を仲介に入っている方に連絡しなくてはならないと言う事でしたが、パニックの中での撮影だけは避けたいと言う思いから即答でお願いする事にしました。
当日は京浜川崎駅で待ち合わせして教習所に向かいましたが、教習所と言う場所ににフル機材を持った我々が何人も入ってきたのが場違いでとても異様に見えたのでしょう、私たちの周りに受講生が集まってきた来てしまい、大変に恥ずかしかった事を鮮明に覚えています。
異様な集団は受講生の好奇の目の中、木製の非常梯子で屋上にのぼりましたが、その非常梯子は木製が故に重い機材を担いで上がるとたわんでしまい、折れる可能性が大きく極めて危険なので、機材を分割した襷リレー方式で持ち上げた記憶があります。確かに苦労(恥ずかしい思い?)思いをしただけあって撮影地としてはなかなかでした。隣の東芝が入居しているビルの非常階段からも゛あんたたち何をしているの?゛と質問を受け、またまた恥ずかしい思いをしてしまいました!
肝心の天候ですが、朝は雲が出でいてイマイチでしたが、だんだん回復していくのがわかりました。鶴見以西ではドピーカンだったようですが、川崎は薄雲で撮影する事となりましたがパニック状態での撮影ではなかったので、致し方ないと言ったところでしょうか?しかし、やはり教祖様のお召列車ですので正直、フル露出で撮りたかったと言うのが本音だした…まぁ、こればかりはどうしようもないですから…
ところで、この時の教祖様は速かった!ゴハチがこんなスピードを出すんだぁ!と思う程スピードでした。たぶん90キロ以上は出ていたと思います。当時、カメラは現在のCanon EOS-1vではなくオリンパスOM3Tiでしたので1/500の上が1/1000でした。フル露出ではないので1/1000は露出が厳しく思えたので1/500で撮影したのですが、こんなに速いなら無理してでも高速シャッターで撮っておけばと後悔したものでした。(おかげで少し動態ブレしてしまいました。)
今思えば、教祖様牽引の1号編成お召列車はこの時が最後となってしまいました。教祖様が私の地元となる東海道線でその最後の華を咲かせてくれた事は信者として何とも嬉しく、また良い思い出となっています。
゛わが一生のロクイチ様、万歳\(^-^)/!!!!
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本番前の試運転では14系客車で施行された日もありましたが、換算も異なり、さらにブレーキも自動ブレーキ(三動弁)ではなくCLブレーキでの試運転はは果たして意味があったのか?今も疑問です。 01,03,13 東戸塚-保土ヶ谷 試9702レ スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED