7月に盛岡を訪れたとき、岩手医大の木村先生が
「次に来るときは、平泉によってくださいね」
って言ってくださり、今回は
どうしても平泉に立ち寄ろうと思っていました。
達谷窟毘沙門堂経由で平泉に。
坂之上田村麻呂の蝦夷征伐に建立された
達谷窟毘沙門堂の奥には
岩に仏像が刻まれた名残が・・
10m位の高さはあったでしょうか。
タリバンに破壊された
バーミヤンの仏像を思い出しました。
平泉に向かうタクシーの運転手さんが
いろいろ話してくださいました。
藤原は、金によって勢力をもち
京へ憧れを平泉に表現しようとしたと・・
それって、中東の石油王みたいなものですか?
って私。
そうそう・・そんなもの。
ほら前見てよ。
と前方をみると
何と、山の頂に大文字が・・
あれね。京都の大文字焼きと同じ日の
同じ時間に火をつけるわけ。
なんでも、かんでも京都を真似したんだよね。
う~ん。藤原氏は文化人だと
思っていたのですけど
それって、成り上がり者ってことですか??
まあ、そんなもんだよね~
源頼朝は、義経のことを理由にしているけど
結局は金が欲しかったとも言われていてね・・
何て話をしつつ・・平泉に。
(つづきます)