その後、異動した大学病院の
直接の上司であった当時の院長が
井島先生と大学で同期だったことから
時々出る話が慰めでした。
「井島君は、いつも笑顔で皆を笑わせてね。
素晴らしい仲間だったよ。
最後は医学教育にとても力を入れていて
若すぎるよね。」
そんな話をしてくださっていました。
50代で亡くなられました。
外科に所属され、血管外科に限らず
後進の教育に当たられていたようです。
だから、緩和医療の抄録にも
お名前が載っていたのでしょう。
所属なさっていた病院の診療科に
入院なさっていたのでしょうから
癌治療をなさりながら
緩和医療について
考えていらっしゃったのかもしれません。
在米中
研究室の仕事と並行して行っていた
在宅ホスピスケア研修。
そこのスタッフから
家族ケアのキーワードとして
“ready to say good-by”
患者さんが生きている時だからこそ
この言葉を忘れないで
家族のサポートに動きなさいと
言われたことを思い出しました。
自分自身のさまよう心を経験して
この言葉を実感することができました。
(再掲 つづきます)
家族が想像しなかった速さで肝性昏睡を生じ、
もう一度声が聞きたかった、
と言うご家族の思いを何度か聞いてきました。
そんな時は特に、生きている、話せる時だからこそ
何かを伝え合えるように、
自分はどんなケアができるのだろうか…
そんなことを思い続けています。
一人の人の周りには、
ご家族だけではなくて、
見えないところにもたくさんいるんだよな、
そう感じさせて頂いた先生のエピソードでした。
しかしながら・・・。
主人の妹達は・・・。ご本人が宜しければ、それで良いとは思う物の、どうも、腑に落ちないことが多い。
私自身の至らなさで、そう言う関係にしかなれていない、自分の反省点であります。
人生色々です。
患者さんと家族・・それにとどまらず、患者さんを取り巻く人々はその人その人のグリーフワークを行っていくものなんですよね。
ブログ訪問させて頂きました。院、楽しんで過ごしてくださいね。
ぴょんさん
患者さんとの死別体験と、その後の家の問題は異なるものですね。
いつの間にか蝉の声が聞こえなくなり、いつの間にかクリスマス、そしてお正月がくるのですね。
でも、季節は、また春がめぐってきて、落ち葉の木にも芽吹きます。
生きていれば、また、出会うことができるようなそんな感覚です。