緩和ケア医の日々所感

日常の中でがんや疾病を生きることを考えていきたいなあと思っています

恩師(4)さようならを言う準備

2012年10月28日 | 医療

その後、異動した大学病院の
直接の上司であった当時の院長が
井島先生と大学で同期だったことから
時々出る話が慰めでした。

「井島君は、いつも笑顔で皆を笑わせてね。
 素晴らしい仲間だったよ。
 最後は医学教育にとても力を入れていて
 若すぎるよね。」
そんな話をしてくださっていました。

50代で亡くなられました。
外科に所属され、血管外科に限らず
後進の教育に当たられていたようです。
だから、緩和医療の抄録にも
お名前が載っていたのでしょう。
所属なさっていた病院の診療科に
入院なさっていたのでしょうから
癌治療をなさりながら
緩和医療について
考えていらっしゃったのかもしれません。


在米中
研究室の仕事と並行して行っていた
在宅ホスピスケア研修。
そこのスタッフから
家族ケアのキーワードとして
“ready to say good-by”
患者さんが生きている時だからこそ
この言葉を忘れないで
家族のサポートに動きなさいと
言われたことを思い出しました。

自分自身のさまよう心を経験して
この言葉を実感することができました。
(再掲 つづきます)


コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 恩師(3)100%ないこと。 | トップ | 恩師(5)支えあうための病... »
最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
"ready to say good-by" (kana)
2007-09-22 09:42:22
消化器の病棟勤務をしていた時に、
家族が想像しなかった速さで肝性昏睡を生じ、
もう一度声が聞きたかった、
と言うご家族の思いを何度か聞いてきました。
そんな時は特に、生きている、話せる時だからこそ
何かを伝え合えるように、
自分はどんなケアができるのだろうか…
そんなことを思い続けています。

一人の人の周りには、
ご家族だけではなくて、
見えないところにもたくさんいるんだよな、
そう感じさせて頂いた先生のエピソードでした。




返信する
私なりに・・・。 (ぴょん)
2007-09-22 10:17:51
これで良いと100点は自分にあげられませんが、私なりに精一杯、サヨナラを言える、時間をもてたという、実感は、私を支えています。

しかしながら・・・。
主人の妹達は・・・。ご本人が宜しければ、それで良いとは思う物の、どうも、腑に落ちないことが多い。

私自身の至らなさで、そう言う関係にしかなれていない、自分の反省点であります。
人生色々です。
返信する
コメントありがとうございます (aruga)
2007-09-22 20:32:15
kanaさん
患者さんと家族・・それにとどまらず、患者さんを取り巻く人々はその人その人のグリーフワークを行っていくものなんですよね。
ブログ訪問させて頂きました。院、楽しんで過ごしてくださいね。

ぴょんさん
患者さんとの死別体験と、その後の家の問題は異なるものですね。
返信する
季節の別れ (こぼちゃん)
2012-10-30 17:52:52
今朝、赤く色付いた木々を見ながら、季節も、さよならを言わずに過ぎていくなあと思いました。

いつの間にか蝉の声が聞こえなくなり、いつの間にかクリスマス、そしてお正月がくるのですね。
返信する
こぼちゃん (aruga)
2012-10-30 21:38:17
頂いたコメントを読み、ああ・・その通りだなあと思いました。いつの間にか、季節が移っているというのが、今年です。
でも、季節は、また春がめぐってきて、落ち葉の木にも芽吹きます。
生きていれば、また、出会うことができるようなそんな感覚です。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

医療」カテゴリの最新記事