緩和ケア医の日々所感

日常の中でがんや疾病を生きることを考えていきたいなあと思っています

恩師(5)支えあうための病状の共有

2012年10月30日 | 医療

突然の死を迎えることは
残されたものに
何も準備をする猶予を与えてくれません。
知ったときから
その人探しが始まります。
でも、そのときは
残念ながら、もう、その人はいないのです。
尋ねてみたかった事も
答えをもらう事はできません。

ですから、がんのように
ソフトランディングができる疾患だからこそ
生きていらっしゃる間にできる
ご家族のための時間を持って頂きたいと
いつも思うのです。

それには
医師は起こりえることをしっかりと見据え
患者自身にも家族にも
理解できるように説明できなければ
いけないと思っています。

後何ヶ月という生命予後や医療病名などの
医療的な側面以上に
患者さんや家族にとって
どのような変化が予想されるかということ・・

例えば、食事のための利き手の麻痺
歩行や呼吸困難のこと
鮮明な意識で話し合える時間

生活側面の変化をイメージできるような
説明が大切だと思います。

とはいえ、厳しく、辛い話が
多くなってしまうかもしれません。
でも、厳しい話を伝えることが
最終目的ではありません。

患者さんを取り巻く人々が
皆で暖かな時間を持ち
支えあうための情報の共有であれば
それは、力を得るための
情報になるはずです。
(再掲にて つづきます)


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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ハイ、それが大事だと。 (ぴょん)
2007-09-22 20:24:26
ハイ、それが大事だと心の底から思います。



大事なところを「怖いから聞かない。」では、真の心のふれあい、時間の共有は、ないと考えます。
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そうですね (May)
2007-09-23 01:35:54
私はReady to say good byeが出来た身内の死と出来なかった身内の死を両方とも経験しています。

出来た場合、残されたもののその後の気持ちも違うんですよね~

だから家族が「さよなら」といえる時間が出来るように援助がしたいなあといつも思っています。

オーストラリアで働きはじめてから、患者さんの家族に「神父様を呼んでください」といわれることがあります。

オーストラリアでは、宗派毎にオンコールの神父様がいたり(さすがに仏教とかイスラムとか言われると無理なのでしょうが・・・)、病院にチャペルがあったり、また残されたものがどのようなケアを受けられるか知ることができるように病棟にパンフレットがあったりします。

そういうのを見ていると、やはり「Ready to say good bye」は大切なんだなあと思います。
患者さんのためにも家族のためにも。
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コメントありがとうございます。 (aruga)
2007-09-23 22:44:58
ぴょんさん
素敵なご夫婦でいらっしゃったのですね。目に浮かびぶようです。

Mayさん
mayさんご自身が経験されているからこそ、よりよいケアにつながるのでしょうね。オーストラリアの宗教的支援についてシェアしてくださり、ありがとうございました。
返信する
ソフトランディング (しののめ)
2007-09-26 22:54:13
母が4ヶ月の癌の治療を受け退院、少し体力も回復した昨年の今頃は”あそこに行きたい””あれがしたい”というささやかなリクエストに応じる度に、「これが最後の思い出になってしまうのかしら?」と親孝行がむなしくさえ思えて家に帰ってから突然涙があふれてくることが何度もありました。主人の父も母も急逝で、その時主人はじめ義姉たちと「苦しまなくて良かったね」と語ることで、突然の悲しみを沈めた経験がありましたので、癌患者のサポートという長い戦いの日々を過ごすことが辛くもありました。一方で、母は長年自分の好きな仕事を続け、私にとっては家庭や家族を省みずの人でしたので、最近は今までの○十年分を母と話している時間が嬉しくもあります。
今年の初め2度目の入院で、先生方が次なる治療方法を模索していた頃、病院へ行ったら「今日から緩和ケアーの先生にも受け持っていただくことになったの。緩和ケアーって何?」と母から聞いた時、私は緩和ケアー=終末医療と思っていたので、”ついに来たかー”と正直ショックでした。その時偶然にも先生のブログを知り、緩和ケアーの意味を知りました。癌はかかったものにしかわからない想像を絶するつらい病気だし、誰もがいつかは迎える人生の最後を病と闘うことは大変なことですが、痛み止めの薬がうまく合って、時に「癌であることを忘れる」という母と過ごす時間を思うと「癌はソフトランディングできる疾患」という言葉がしみじみ心に響き、親孝行できる時間を持つ幸せを感じる今日この頃です。最も私自身は子供もいないし、主人が先だった時は、最後は”ぽっくりと”が願いですが。(笑)
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もしかして・・と思いながら拝読いたしました (aruga)
2007-09-27 23:16:15
私達は、医療者としてケアに当たらせていただいていますが、結局は患者さんやご家族がそれまで築かれてきた家族の歴史や家族の力でよい時間を作り出すことができることを実感します。私達はお手伝いに過ぎません。本当にお母様とよいご関係でいらっしゃるのだと思います。好きな仕事を続けられ、一見家族を省みないお母様だったとのことですが、その答えは今見えているのかもしれません。素敵なご家族ですね。私もそうなれるように心がけたいと思います。
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Unknown (himawari)
2012-10-31 13:43:18
夫のガンを2度経験し(現在克服中)、父をガンで看取り、母を痴呆介護の末送った私は
自分の葬儀の準備までし、幸いほとんど最後まで意思疎通もでき穏やかに逝った父の最期が自分の理想です。
痴呆になり不幸という感覚だけが残り嘆きながら逝った母の最期を想うにつけ、年老いてからなら特にソフトランディングができる疾患で、先生のような緩和ケア医に診ていただけたら幸せな最期だなぁ・・・と思っています。
それから、夫のがん闘病の経験から、死を身近に感じてからでは話しにくいお互いの最期のあり方・・・
ギアチェンジの時はどうしたいか延命措置はどこまで、お墓の問題やらを、元気な時期にしておく事が大事だと感じています。
子供の成長に伴いお墓の問題などは方向が変わるもので・・・その時その時どうありたいかを数年に1度は話をしています。
そういう話の時は不思議と悲しい時間ではなくお互いの心に寄り添うような時間なんですよ。
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himawariさん (aruga)
2012-11-04 23:44:34
コメントありがとうございます。

>そういう話の時は不思議と悲しい時間ではなくお互いの心に寄り添うような時間なんですよ。

誠実にご家族と向き合われているhimawariさんならではの言葉として心にしみいりました。
力みはない、その自然な言葉に、ありきたりなのですが、いいなあ、素敵だなあと思いました。
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