突然の死を迎えることは
残されたものに
何も準備をする猶予を与えてくれません。
知ったときから
その人探しが始まります。
でも、そのときは
残念ながら、もう、その人はいないのです。
尋ねてみたかった事も
答えをもらう事はできません。
ですから、がんのように
ソフトランディングができる疾患だからこそ
生きていらっしゃる間にできる
ご家族のための時間を持って頂きたいと
いつも思うのです。
それには
医師は起こりえることをしっかりと見据え
患者自身にも家族にも
理解できるように説明できなければ
いけないと思っています。
後何ヶ月という生命予後や医療病名などの
医療的な側面以上に
患者さんや家族にとって
どのような変化が予想されるかということ・・
例えば、食事のための利き手の麻痺
歩行や呼吸困難のこと
鮮明な意識で話し合える時間
生活側面の変化をイメージできるような
説明が大切だと思います。
とはいえ、厳しく、辛い話が
多くなってしまうかもしれません。
でも、厳しい話を伝えることが
最終目的ではありません。
患者さんを取り巻く人々が
皆で暖かな時間を持ち
支えあうための情報の共有であれば
それは、力を得るための
情報になるはずです。
(再掲にて つづきます)
大事なところを「怖いから聞かない。」では、真の心のふれあい、時間の共有は、ないと考えます。
出来た場合、残されたもののその後の気持ちも違うんですよね~
だから家族が「さよなら」といえる時間が出来るように援助がしたいなあといつも思っています。
オーストラリアで働きはじめてから、患者さんの家族に「神父様を呼んでください」といわれることがあります。
オーストラリアでは、宗派毎にオンコールの神父様がいたり(さすがに仏教とかイスラムとか言われると無理なのでしょうが・・・)、病院にチャペルがあったり、また残されたものがどのようなケアを受けられるか知ることができるように病棟にパンフレットがあったりします。
そういうのを見ていると、やはり「Ready to say good bye」は大切なんだなあと思います。
患者さんのためにも家族のためにも。
素敵なご夫婦でいらっしゃったのですね。目に浮かびぶようです。
Mayさん
mayさんご自身が経験されているからこそ、よりよいケアにつながるのでしょうね。オーストラリアの宗教的支援についてシェアしてくださり、ありがとうございました。
今年の初め2度目の入院で、先生方が次なる治療方法を模索していた頃、病院へ行ったら「今日から緩和ケアーの先生にも受け持っていただくことになったの。緩和ケアーって何?」と母から聞いた時、私は緩和ケアー=終末医療と思っていたので、”ついに来たかー”と正直ショックでした。その時偶然にも先生のブログを知り、緩和ケアーの意味を知りました。癌はかかったものにしかわからない想像を絶するつらい病気だし、誰もがいつかは迎える人生の最後を病と闘うことは大変なことですが、痛み止めの薬がうまく合って、時に「癌であることを忘れる」という母と過ごす時間を思うと「癌はソフトランディングできる疾患」という言葉がしみじみ心に響き、親孝行できる時間を持つ幸せを感じる今日この頃です。最も私自身は子供もいないし、主人が先だった時は、最後は”ぽっくりと”が願いですが。(笑)
自分の葬儀の準備までし、幸いほとんど最後まで意思疎通もでき穏やかに逝った父の最期が自分の理想です。
痴呆になり不幸という感覚だけが残り嘆きながら逝った母の最期を想うにつけ、年老いてからなら特にソフトランディングができる疾患で、先生のような緩和ケア医に診ていただけたら幸せな最期だなぁ・・・と思っています。
それから、夫のがん闘病の経験から、死を身近に感じてからでは話しにくいお互いの最期のあり方・・・
ギアチェンジの時はどうしたいか延命措置はどこまで、お墓の問題やらを、元気な時期にしておく事が大事だと感じています。
子供の成長に伴いお墓の問題などは方向が変わるもので・・・その時その時どうありたいかを数年に1度は話をしています。
そういう話の時は不思議と悲しい時間ではなくお互いの心に寄り添うような時間なんですよ。
>そういう話の時は不思議と悲しい時間ではなくお互いの心に寄り添うような時間なんですよ。
誠実にご家族と向き合われているhimawariさんならではの言葉として心にしみいりました。
力みはない、その自然な言葉に、ありきたりなのですが、いいなあ、素敵だなあと思いました。