緩和ケア医の日々所感

日常の中でがんや疾病を生きることを考えていきたいなあと思っています

(6)司法と医療との狭間で

2007年06月30日 | 医療

他人の迷惑になりたくないからと言って
患者は死を選択する場合があるのではという質問に対して
「迷惑になりたくない気遣う気持ちも
 それも含めて、自己決定なのです」
と明確に語られました。

+++++++++++++++++++
お元気でしたか?
ここをクリックお願いします。
ブログランキング「緩和ケア医の日々所感」のクリックでもどってきます。
+++++++++++++++++++

この李先生の講演を聞きながら
とはいえども、池上先生が言っていたように
現在の日本の司法の姿勢は
すべての治療の中止は殺人の可能性がある
というものに変わりはありません。

これが払拭されない限り
李先生が指摘するパターナリズムは変わらないでしょう。

アメリカのネジルとハーバーの事件のような
きっかけがなければ変われないのでしょうか。

2月の終末期医療の公開討論会
救急学会のガイドラインに延命治療の中止が盛り込まれており
会場の弁護士から、危険性を指摘されたことがありました。
その時、救命学会の立場では
医療者として、議論をつくし判断したことで
訴えられるなら、どうどうと司法の場に出ると
きっぱりと言われたことを思い出します。
2月25日の記事です。)

明日、同様のことが身近に起こったときは
兎に角、対話を促進し
患者・家族、医療者がとる方向が集束するよう
コーディネートし、記録を残していくこと
これに尽きると思いながら会場を離れました。

私自身、1日目の臨時シンポジウムに発表者として
壇上に立たせていただきましたが
依頼を受けた意図と本来私が感じていたこととに
ギャップがありました。

依頼者の意見を聞き
また、ガイドラインの策定に関わった方の
意見も聞きに訪ねました。
このプロセスが大変勉強になりました。
シンポジウムに関しては
ひとまず、依頼者の意を汲みながら
目的・役割は果たせたと思っています。

以前いた病棟で経験したことを発端に
終末期医療のあり方については
勉強しました。

今回の学会で
さらに前に進めることができ
よい機会を与えてもらえたと感謝しています。
(シリーズ終わります)

+++++++++++++++++++++++++++
ここ、クリックお願いします。人気ブログランキング参加中です。
今日も、お付き合いくださりありがとう。明日も、来て下さいね。
+++++++++++++++++++++++++++

コメント (7)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« (5)殺人罪での告発は愚か... | トップ | ビリーズ・ブート・キャンプ »
最新の画像もっと見る

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
素人の疑問 (たぬくまぞうさん)
2007-06-30 21:23:58
素人の疑問として聞き流して下さい
今までの記事を読んで思ったことをコメントします
機械や薬によって生かされている人々の寿命を少し早めただけで、苦痛の時間を少なくしただけで殺人罪になるのでしょうかね?増して本人が希望していても。
それなら自殺した人は全員殺人罪では?(自分を殺した罪で、被疑者死亡で書類を送らないと)
法律家(検察・弁護士・判事)の考えている事は分かりません。
お医者の皆さんが一人でも多くの命を救い、苦しみを和らげ様としているのに、細かなミスや対処方法に対して殺人罪を適用するなんて、考えられません。(お医者さんに言っても仕方無いかも知れませんが)
返信する
Unknown (Unknown)
2007-06-30 23:23:09
自己決定能力のある患者の自己決定の尊重、他人に迷惑をかけてまで生きたくないというのも自己の価値観による決定

オーストラリアに住み、ナースとして働いている私には何の抵抗もなく、すっと入る当たり前の人間の基本的権利ですが…

勿論、この決定は医師の最良のアドバイスに反する自殺行為的決定というときに、鬱病がないかとか、カウンセリングや家族ミーティングを開いたりはしますが(本人が了解すれば)、その事によって、本当に患者さんが家族の迷惑になっているのか(それなら援助できる事はいっぱいあるから)、或いは、患者さんが自分が他人の迷惑になって生き延びていると思うことが耐えられない、こんな形で生きる事は自分にとって尊厳のある生き方と思えないとか、色々出てくると思います。最終的には、患者さんの自己決定。

日本のガイドラインはこの疾患の場合このような状態だったら延命治療を中止してもいいとか、何だかとんでもない方向に動いていってるような気がします。

先生のおっしゃるように、現場では、とにかく患者、家族との話し合いを促進し、しっかり記録を残し、ということをやっていくことが必要なのでしょうね。

私たちのユニットでは家族会議の記録用紙があって、そのコピーは家族にもわたし、記録に間違いがないか、家族にも確認してもらいます。(殆ど、問題ないケースばかりですから、渡さない事も多いですが…)
返信する
Unknown (Hana)
2007-06-30 23:31:40
すみません。コメントに名前いれるの忘れてました。Hanaです。

ついでに追加、アメリカでもオーストラリアでも、法的にはどうなのだという解釈があいまいなケースに対して、最終的には、法廷で争われて、延命治療の中止は殺人ではないとか、経管栄養は医学的治療の一環である(オーストラリアの判例)から、治療を拒否してもよいとか、そういう判例がその後の臨床のよりどころになっていってるように思います。日本でも、病院なりが、(患者さんや家族では負担が大きすぎるから)、こういうケースで人工呼吸器をはずす事を認めてほしいというような訴えを起こすことはできないんでしょうかね?
返信する
コメントありがとうございます (aruga)
2007-07-01 15:19:03
たぬくまぞうさん
池上先生の講演の中で、ガイドラインに沿って話し合う過程は、“兎に角、経時的に何度も何度も治療方針の確認を行っていく作業を行わなければならないけれど、それは、ほとんど自殺の意思確認に近くなる”(すみません。私の記憶の範囲で書いていますので、表現に誤りがあるかもしれません)といわれていました。たぬくまぞうさんが書かれていることは、私も含めて、多くの者が疑問に思っていることと共通していることだと思います。法律は難しいです。
ただ、
>機械や薬によって生かされている人々の寿命を少し早めただけで、・・
李先生の講演を聞いて私が感じたことですが、この意識が変わらなければ司法も変わらないのではないかと思いました。つまり、“寿命が短くなる”これが問題なのだと思うのです。李先生の言葉を借りると、本来あるべき寿命に戻すだけだと。短くなるのではなく、自然な形に戻るだけだと。それなら、殺人ではないと。社会がそう思えれば、司法も変わるような気がしました。

Hanaさん
おっしゃるとおり、病院や患者・家族が延命治療の中止を判断を司法の場に求めたり、延命治療の中止を求めても実行されないことが自己決定の侵害だとする裁判などが開かれることが、今後あれば、変わっていくのかもしれません。ただ、こうしたことには、多大なエネルギーなどを要しますから、誰しも避けて通りたいところです。
返信する
決定は真空で起こるのではありません。 (acceleration)
2007-07-02 20:53:20
在宅医療に従事している医師です。

>「迷惑になりたくない気遣う気持ちも
>それも含めて、自己決定なのです」
>と明確に語られました。

とても明快です。でもこんなに明快で大丈夫なのかという不安も持ちます。
障害を持って生きること、介護されて生きることを
過剰なまでに「迷惑をかけている」と感じさせるところが
この日本の社会にはあるように感じるのですがいかがでしょう。
この点を不問に、李先生のように断定してしまっていいのか、
抽象論ではないのか、
という不安があります。

決定は真空で起こるのではありません。
それが起こる社会的文脈というのがあります。
僕は介護されていることを迷惑をかけていると感じてこの世から立ち去る、
という決定が普通の社会はあまりよい社会ではないのではないか、
と思います。

ついでに言いますと、「本来あるべき寿命」というのはフィクションだと思います。このあたりは倫理学者なども交えてもう少し議論が必要かと思います。
返信する
Unknown (megane)
2007-07-02 22:01:05
高校生の時に安楽死について考えたことですが・・・・

「医師や家族、社会が"Best"のサポートができれば、患者さんの苦痛は無くなるはず。だから、安楽死は必要ないし許されない。
でも、今"Best"のサポートが受けられる患者さんは少なく、苦痛を強いられる。この現状では、安楽死も(少なくとも消極的なものは)許されざるを得ない。」

この考えは、癌治療に携わる医師となった今も大きく変わっていません。延命治療に置き換えれば、本当に"Best"のサポートができていれば「中断」という決定を患者さんが下すことはもっと少ないでしょう。現状、延命治療中断のルールが必要なのは確かですが、決定は多くの場合、今の社会から少なからず強いられたものであり真の意味での権利の行使ではないと思います(海外も含め)。私たちはもっと"Best"を追求する努力が必要です。

・・・と言いつつ、医者が困難な理想をだけを追っていると(押し付けると?)目の前の患者さん達が苦しむので、ちょうどいい着地点をその時々で見つけながら理想に思いを馳せているのが今の現状です。
返信する
コメントありがとうございます (aruga)
2007-07-03 00:40:50
accelerationさん
要は、「自己決定ができている」という前提でのコメントであろうと思います。

meganeさん
bestとは、受け手側によって変化します。患者さんとの対話の中で見出す作業が大切だと感じます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

医療」カテゴリの最新記事