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京都府北部の一級河川由良川沿いは縄文遺跡が残る地域で、式内社も3社が鎮座する。麻良多神社は
そのうちのひとつである。
【創建】伝 貞観5年(863)
【ご祭神】誉田別命(ほむたわけのみこと=応神天皇)豊宇気持神(=豊受大御神)
【社格】延喜式内小社 従二位 村社
【境内】鳥居2柱 灯籠3対1基 狛犬1対 手水舎 境内摂社3社 護国神社 篭屋 拝殿 本殿など
【場所】舞鶴市丸田西
西舞鶴から国道175号線を進み、宮津方面と大江方面に分かれるT字路を右折(宮津方面)を行くと
まもなく小学校、そして保育園が見えてくる。その保育園の横道が参道である。
鳥居に掛かる神額は二條基弘公爵の揮毫。どのような縁故が二條公爵とあったのだろうか?
手水舎。 境内には護国神社もある。
二の鳥居は朱塗りの鳥居。
狛犬に生えた苔が緑の毛がなびいているように見える。「栗田港」の銘がある。栗田港は宮津の港。
境内摂社は3社。山神神社・恵比寿神社・大黒神社を祀る。
本殿に相対してあるのは大変古そうな篭屋。
拝殿を兼ねた舞殿。廊が延びて本殿をつなぐ。
本殿覆屋の外からわずかに見えるのは本殿の彫刻。かなり精巧なものだ。
さて、この麻良多神社の創建には伝説があり、貞観5年(863)に丸田の沼に夜々異光を放つものがあって、
村人はこれを明神と称えて尊崇し、同8年に男山八幡を勧請した・・・とある。その沼が現在も境内に残る。
<参拝メモ>
土曜日の朝に行ったのだが、参道横の保育園はなにか行事でもあるのか、園児の賑やかな声がする。
この保育園の他は何もない静かな場所なので、これも変に怪しまれないように一眼レフを首から下げて
参道を歩く。境内は山裾の林の中にあり、ケヤキやタブノキの大木などが境内を覆っている。
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二の鳥居は朱塗りの鳥居。
狛犬に生えた苔が緑の毛がなびいているように見える。「栗田港」の銘がある。栗田港は宮津の港。
境内摂社は3社。山神神社・恵比寿神社・大黒神社を祀る。
本殿に相対してあるのは大変古そうな篭屋。
拝殿を兼ねた舞殿。廊が延びて本殿をつなぐ。
本殿覆屋の外からわずかに見えるのは本殿の彫刻。かなり精巧なものだ。
さて、この麻良多神社の創建には伝説があり、貞観5年(863)に丸田の沼に夜々異光を放つものがあって、
村人はこれを明神と称えて尊崇し、同8年に男山八幡を勧請した・・・とある。その沼が現在も境内に残る。
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土曜日の朝に行ったのだが、参道横の保育園はなにか行事でもあるのか、園児の賑やかな声がする。
この保育園の他は何もない静かな場所なので、これも変に怪しまれないように一眼レフを首から下げて
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