「死をおそれる人間は、もちろん話すに足らないけれども、死を急ぐ人も、またけっしてほめられないよ。日本人は、一体に神経過敏だから、必ず死を急ぐとか、または、死をおそれるものばかりだ。こんな人間は、共に天下の大事を語るに足らない。
万般の責任を一人で引き受けて、非常な艱難にも耐え忍び、そして綽々として余裕があるということは、大人物でなくてはできない。こんな境遇におっては、その胸中の煩悶は死ぬるよりも苦しい。・・・この五百年が間の歴史上に、逆境に処して、平気で始末をつけるだけの腕のあるものを求めても、おれの気にいるものは一人もいない。
しかし強いて求めると、まあ、山中鹿之助が貧弱の小国をもって凡庸の主人を奉じ、しばしば失敗し、ますます奮発し、倒れるまではやめなかったことや、大石良雄が、若いものの議論を押えて、容易に城を明け渡し、山科の月を眺めたり、祇園の花に酔うたりなどして、復讐の念は、どこかえ忘れたようであったけれども、ついには四十七士を糾合して、見事に目的を達したことなどは、かの世間の少しのことに失望して自殺したり、または歳月と宴安とに志気を失ってしまったりするやつとは、大した違いだ。」(勝海舟「氷川清話」より)
毎日、反省の日々です。