田中正造が足尾鉱毒事件に出会ったのは1891年(明治24年)だそうです。田中正造が50歳の時で、それから亡くなるまでの22年間、この問題に取り組みました。足尾鉱毒事件は田中正造が国会議員の選挙区の問題でもありましたが、それ以上にこの問題を人類の生存に関わる普遍的な問題であり、自分の人間としての行き方、良心という自分の存在が問われている問題として受け止めていたようです(小松裕著「真の文明は人を殺さずー田中正造の言葉に学ぶ明日の日本」より)。田中正造は国会議員を辞めて天皇直訴事件を起こした後も自ら谷中村に入って亡くなるまでこの問題に取り組みます。
私は薬害問題に出会ってから17年になります。薬害エイズ事件に始まり薬害肝炎事件など薬害根絶に向けて活動を継続してきましたが、この問題も人の命に関する人間の根本的な問題であり薬害は決して他人事ではなく私たちの生活の中に起きている問題で私たちの生き方そのものが問われている問題だと感じています。社会問題に取り組む一番大切なことは、正にこのような人類、人間の生存に関わる普遍的な問題を自分自身の行き方・良心に問いかける姿勢ではないかと思います。17年まだまだ先は長く続きます。