幕末の熊本の武家の家に生まれ武家の家に嫁ぐも離婚して明治5年に40歳で上京してキリスト教に入信女子学院の初代院長や教育界やキリスト教活動で活躍した矢嶋楫子。結婚するも夫と合わず実家の経済的理由で離婚し実家の経済的援助のため売春、人身売買で騙されアメリカの売春宿へ、そこから逃げ出して娼婦救済施設に身を寄せキリスト教に入信。帰国後、社会学者と結婚して女性の地位向上のための運動を行い数々の出版や団体役員に関わった山田わか。この二人は人間の弱さを身を持って体験して、その苦労を乗り越え、その体験を基にして社会運動に身を投じました。人間として逃げたくなる現場、思い出したくない現場で人間の弱さを体験して、その体験から女性の地位向上の社会運動に身を投じた二人に惚れこみました。
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