グッチーの日本寸評

「わが日本を少しでもいい国、住みたい国にしたい」との思いから日本の政治、経済、世相を自由気ままに評論する。

独裁者も久しからず(その3)

2011年03月21日 | 日記
先日このブログでリビアの近況につき「国際社会の反政府体制支援の動きが見えない」と記したが実はその間国連安保理でキチンと手順を踏んでいたのだった。
そしてカダフィー政権軍が(反政府勢力の牙城である)リビア第二の都市ベンガジに迫ったギリギリの時点で仏英米軍が政権部隊に対し空と海から攻撃、何とか間に合った形だ。
多国籍軍は地上部隊の投入までは考えていないようだがそれでも反政府勢力には大きな援軍だ。
政権軍はたとえ相応の軍備を持っていたとしても多国籍軍対応で消耗するだろうし反政府戦力に対し戦闘行為を採ることも難しくなった。
それでも筋金入りの革命指導者にとって和平の道はなく徹底抗戦の選択肢しかないのかもしれない。
またこれから何が起きるかもしれない。
如何に犠牲者を少なくして民主化移行を実現するのかがリビア国民と国際社会に残された課題だ。



セ・リーグは何故月内開催に固執するのか(その2)

2011年03月20日 | 日記
公式戦開幕日を検討していたセ・リーグ理事会は当初の今月25日の開催予定を29日に延期すると発表した。
僅か3,4日延期することに何の意味があるのか首を傾げざるを得ない。
選手会やプロ野球OBたちが4月のセパ両リーグ同時開催を主張している中でセ・リーグが何故ここまで月内開催に固執する理由が分からない。
昨日も節電施策の説明はあったが3月中に開幕する意義については何の説明もない。
計画停電が続き交通機関も縮退運転を余儀なくされる中で本当にプロ野球を楽しめるのか、はたまた楽しんでいいのだろうか。
セ・リーグ理事会は開幕カードの払い戻しが相次いでいるファンの行動実態も直視しつつ4月のセパ同時開催を目指したらどうだろう。
昨日のテレビニュースでセ・リーグの某球団代表がセパ同時開催案を支持していたことが印象に残っている。
どうしても月内開催を考えているのなら理事会はその理由を明確にすべきだろう。





菅内閣の正念場

2011年03月19日 | 日記
先日このブログで菅内閣における女性議員2人の登用について触れたところだが今度はこの人事を進言したとされる前官房長官ご本人が官房副長官として官邸入りされるとのことだ。
参院選惨敗の責任をとって辞任した前幹事長の官房長官就任に続き、問責決議受けた前官房長官がアッという間に影の官房長官(影の首相?)に復活するなど「一体禊は済んだのか」といいたくなるが人材払底世帯の辛さだ、止むを得まい。
さらに野党を巻き込んだ救国内閣作りだがこちらはさすがに思い通りにうまくはいかなかった。
未曾有の大災害発生はまさに救国内閣組成のいい契機だったがそのためにはいかにも現内閣が無力過ぎたためだ。
野党にとっては東電一つコントロールできない政権に協力を申し出るなど対戦相手のクリンチに自らとびこむボクサーのように映るだろう。
菅内閣は先ずは独力で避難者支援、原発事故処理について実績を積み上げていくしかない。
今だったらどんな手段も許されるのではないか。
そしてその結果次第ではほとんど「死に体」だった政権が息を吹き返す可能性もある。


セ・リーグは何故月内開催に固執するのか

2011年03月18日 | 日記
プロ野球の開催準備が進んでいるが日程についてセ・リーグとパ・リーグ、球団と選手会との間で乖離が生まれている。
計画停電が続いている最中に少なくとも3000世帯分の電力を消費する試合を開催することが世の中の賛意を取り付けられるかどうか疑問だ。
早期開催を主張する論拠として「真剣なプレーをファンに見てもらうことにより元気を与えることができる」というが国民全員がプロ野球ファンというわけでもないし、ファンであっても身内に被災者がいればとても観戦に興じることなどできないだろう。
まして何時停電が起きてもおかしくない状況とあれば月内開催などとても国民の支持を得られないと思うのだがセ・リーグは何故ここまで今月開催に固執するのか。
読売新聞のドンは「今月開催に正当制がある」というがどんな正当性なのだろう?、興行収入?メデイア等関連産業の生活権?選手の就業機会提供?・・・ウーン、さっぱり分からない。
選手会だって後々の過密スケジュールは甘受するといっている。
この際セ・リーグもパ・リーグとの同時開催を目指したらどうだろう。

独裁者も久しからず(その2)

2011年03月17日 | 日記
日本が大震災、大津波で危急のときを迎えているがあのリビアでも大変なことになっている。
以前このブログで取り上げたときにはカダフィー大佐の命運もこれまでかと思われたが最近では戦闘機、戦車を動員した反攻に転じ反政府勢力が掌握していた都市を奪回しているとのことだ。
報道では明らかになっていないが反政府側、政府側の双方に相当の犠牲者が出ているのではないか。
一時期は欧米各国の反政府側を支援する発言も今はすっかりカゲを潜めてしまったがこれはどうしたことか。
しかしカダフィー大佐に今や安住の地はない。
このままでは行くところまで行き着かないと終息しないだろう。
国家だけでなく国際社会も機能不全に陥ってしまったようだ。


したたかな菅内閣

2011年03月16日 | 日記
去る13日菅首相は内閣の中に節電啓発等担当、災害ボランティア活動担当を新設し人気と実力を兼ね備えた女性2名を充てた。
そもそも節電啓発はエネルギー行政を司る経産相の守備範囲だし災害ボランティアも防災特命国務大臣(現在は環境相が兼務)マターだと思うが敢えてこのような人事を発令したこと自体いかにもウケ狙いが得意な民主党らしい。
言うまでもないが筆者はこの組織人事を否定するものではない。
関係閣僚、関係部門と連携し内閣全体・政府全体のパワーアップになればそれはそれで万々歳だ。
節電意識の高揚も防災ボランティアの活性化も重要であることには微塵の疑いもない。
「単なるパフォーマンスだ」などと言われないためにも確かな成果を残して欲しいものだ。

平時には強いが有事には極度に弱い・・・

2011年03月15日 | 日記
東京電力が昨日から(配電事業開始以来初の)計画停電を行っている。
電力の安定供給を唯一無二の使命とする電力会社にとってまさに断腸の思いだろう。
しかし今や電力はライフラインの最たるものの一つである。
様々な影響に十分配慮し社会の混乱や反発を最小限に抑えながら実施して欲しかった。
電力の需給状況がカギを握っているためギリギリまで判断を待つ必然性は理解できるがユーザー側には一定の準備時間が必要だ。
もう少し前広にアナウンスするとともに該当地域をキチンと明示してやることが不可欠であるが広報活動は全く配慮を欠いていた。
また停電実施には交通機関や警察、消防、医療機関との連携も重要だがそれもよく見えなかった。
そもそもこの会社には有事対応能力が恐ろしく欠如していることは今までの原発事故処理を見ても明らかだ。
本日未明に行われた原発事故報告記者会見もビックリするほどお粗末で関係者のニヤニヤしながらの対応には腹立たしさを覚えたくらいだ。
政府関係者の激怒を生むのももっともだ。
自律的に生まれ変わる能力がなければ外部の力を借りた荒療治が必要だ。

大震災の余波

2011年03月14日 | 日記
地震発生後3日目に入り被災地救済活動も本格化してきた。
しかし今回の災害は被災地域の広域さや水没化、避難場所の点在で相当難渋するのではないかと危惧される。
物質的な支援は勿論だが精神的なケアも求められるかもしれない。
仮設住宅問題も候補地からして神戸大震災のときほど容易ではないだろう。
政・官・民・ボランティアの新たな連携体制が試される時だ。
今回の災害はいろんな分野で余波を生んでいる。
首都圏を含む東電全域での計画停電もそうだ。
世界最大級の地震があったといえ東電のその後の対応は必ずしも統制のとれたものではなかった。
計画停電のプランも理解できないことが多すぎる。
原発運営の不手際も含め電力の安定供給責任を完全には果たしえなかった東電トップの経営責任は免れられない。
東電も一から出直して欲しい。

大地震災害に思う(その2)

2011年03月13日 | 日記
大変な災害が起きてしまった。
過去類のない大規模捜索救難体制がとられているが一人でも多くの救命を祈るばかりだ。
私がこの地震に気付いたのは独り自宅で国会テレビ中継の視聴中のことだった。
「緊急地震速報」がいつものフリップと違い身の安全確保を指示するものだったので一瞬嫌な感じがしたがその直後に停電、かって体験したことのない振動が始まった。
即座に出口を確保し火の元をチェックしたのだが揺れは止まなかった。
家財道具のうちテレビと電子レンジ台の揺れが激しかったがカラダは一つ、一方をを抑えるしか手はなかった。
数分後振動は一旦収まったが20分後また大きな余震が発生しあらためて容易ならざる事態を痛感した。
しかし本当の被害は約一時間後の大津波を迎えてからだった。
停電が復旧してからはテレビニュースに驚愕するばかりである。
それにしても米国の空母「ロナルド・レーガン」派遣行動は早かった。
既に三陸沖に到着したとのことだ。
海上自衛隊の唯一のヘリ空母「ひゅうが」も先ほど横須賀基地を出動した。
今回の救難活動の主役はヘリだ。
両部隊の最高の働きを期待したい。

大地震災害に思う

2011年03月12日 | 日記
昨日は地震は観測史上最大の強度だったが倒壊被害より津波被害が目立った。
どうも日本は今まで津波を軽視してきたようだ。
以前アンダマン海付近で起きた津波災害が記憶に新しいが当時も日本ではどこか「対岸の火事」のように受けとめられた。
テレビなどはすぐ津波警報を発令したがそれでも多くの人たちには間に合わなかった(連絡がつかなかった)。
緊急連絡網の再構築がこれからの大きな課題だ。
外出中の人々、在宅中の人々に如何に迅速に、確実に(半ば強制的に?)安全な場所に誘導できるのか・・・。
それにしても「災害は忘れた頃にやってくる」だ。
「自然」を決して甘く見てはいけない。