アメリカのオバマ大統領が、初めて被爆地広島を訪れました。アメリカ大統領として初めての訪問というだけでなく、核保有国の首脳が広島、長崎を訪れたことはないようです。かつてプラハで核廃絶を訴えて、ノーベル平和賞を受賞したリベラルなオバマ大統領を評価する一方で、残念なことも多くあったのは事実です。原爆資料館を10分足らずの駆け足で巡り、被爆者の話をじっくり聞くことも謝罪のことばもありませんでした。そして、なぜ広島だけで、長崎には行かないのか、「核のボタン」を広島に持ち込んでいたことなど、不満な点は多々あります。
しかし、我々日本人ははたして彼に多くを要求することはできるのかと、考えるのです。
ハワイのパール・ハーバーを奇襲して太平洋戦争が始まったわけですが、日本の総理大臣はここを訪れることもしていません。戦争の歴史は被害と加害を見ることによって初めて正しい判断ができるのです。
まずは、栗原貞子さんの詩「ヒロシマというとき」をじっくり読んでみてください。
ヒロシマというとき
栗原貞子
〈ヒロシマ〉というとき
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくこたえてくれるだろうか
〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉
〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉
〈ヒロシマ〉といえば 女や子供を
壕のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
〈ヒロシマ〉といえば
血と炎のこだまが 返って来るのだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああヒロシマ〉と
やさしくかえってくるためには
捨てた筈の武器を ほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を撤去せねばならない
その日までヒロシマは
残酷と不信のにがい都市だ
私たちは潜在する放射能に
灼かれるパリアだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああヒロシマ〉と
やさしいこたえが
かえって来るためには
わたしたちは
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない
私は33年間の小学校教師として、3回の6年生を担任しました。つまり卒業生を3回出したということです。小学校では6年生の社会科で日本の歴史を学びます。3回歴史を教えたことになります。今思いだして教師として自分自身不十分だったことがあります。広島、長崎の原爆、東京大空襲、沖縄戦など被害の歴史については熱心に教えた記憶があります。しかし、南京大虐殺や日本軍「慰安婦」などについては教え方が不十分であったといわざるを得ません。
今こそ、「ヒロシマというとき」を繰り返し読んでみたいものです。
捨てた筈の武器を ほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を撤去せねばならない
…
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない
栗原さんの詩といえば、「生ましめんかな」です。
吉永小百合さんばりに、声を出して読んでみるのも良いかもしれません。
生ましめんかな
栗原貞子
こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク1本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ1本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも
原爆を読んだ詩人といえば、栗原さんの他に峠三吉、原民喜などがいます。久しぶりに原爆詩集を紐解いてみるのも良いかもしれませんね。
しかし、我々日本人ははたして彼に多くを要求することはできるのかと、考えるのです。
ハワイのパール・ハーバーを奇襲して太平洋戦争が始まったわけですが、日本の総理大臣はここを訪れることもしていません。戦争の歴史は被害と加害を見ることによって初めて正しい判断ができるのです。
まずは、栗原貞子さんの詩「ヒロシマというとき」をじっくり読んでみてください。
ヒロシマというとき
栗原貞子
〈ヒロシマ〉というとき
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくこたえてくれるだろうか
〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉
〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉
〈ヒロシマ〉といえば 女や子供を
壕のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
〈ヒロシマ〉といえば
血と炎のこだまが 返って来るのだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああヒロシマ〉と
やさしくかえってくるためには
捨てた筈の武器を ほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を撤去せねばならない
その日までヒロシマは
残酷と不信のにがい都市だ
私たちは潜在する放射能に
灼かれるパリアだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああヒロシマ〉と
やさしいこたえが
かえって来るためには
わたしたちは
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない
私は33年間の小学校教師として、3回の6年生を担任しました。つまり卒業生を3回出したということです。小学校では6年生の社会科で日本の歴史を学びます。3回歴史を教えたことになります。今思いだして教師として自分自身不十分だったことがあります。広島、長崎の原爆、東京大空襲、沖縄戦など被害の歴史については熱心に教えた記憶があります。しかし、南京大虐殺や日本軍「慰安婦」などについては教え方が不十分であったといわざるを得ません。
今こそ、「ヒロシマというとき」を繰り返し読んでみたいものです。
捨てた筈の武器を ほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を撤去せねばならない
…
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない
栗原さんの詩といえば、「生ましめんかな」です。
吉永小百合さんばりに、声を出して読んでみるのも良いかもしれません。
生ましめんかな
栗原貞子
こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク1本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ1本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも
原爆を読んだ詩人といえば、栗原さんの他に峠三吉、原民喜などがいます。久しぶりに原爆詩集を紐解いてみるのも良いかもしれませんね。