前ブログで紹介したところざわ太陽劇団の舞台を見終わってから新所沢の駅に向かっていたら、市橋久生さんが前を歩いていました。声をかけると時間はあるということで、駅近くの喫茶店でお茶を飲むことにしました。彼はかつて日本演劇教育連盟事務局長、私は『演劇と教育』編集代表としての長い付き合いなのですが、久しぶりに長時間積もる話をすることになったのでした。3時間くらいはあったように思います。
2,3日して彼から『ざわざわ』(2015.5.15)という雑誌が送られてきました。初めて目にする児童文学雑誌の創刊号でした。特集は私の大好きなあまんきみこさんでした。出版不況といわれているこの時代、しかも児童文学の新雑誌とは出版社も随分思い切ったものです。興味津々でページをめくりました。
目次を紹介してみましょう。(四季の森社HPより)
■No.1 特集 あまんきみこ
口上(内田麟太郎) 創刊によせて宮川健郎 2 for Children(写真)
落合次郎 4~7 リレーエッセイ 子どもの現在 霜村三二 8
〔特集 あまんきみこ〕
あまんきみこアルバム 10 (初出再現)びわの実学校版 「くましんし」 17 あまんきみこのエッセイから 21
インタビュー対談-作品は一通しかだせないラブレター あまんきみこ×矢崎節夫 22 あまんきみこ-たぬきねいり 内田麟太郎 52
贖罪の児童文学-あまんきみこの人と作品-矢部玲子 55
境目の魔女(ほんわり系) 谷山浩子 62
あまんきみこ論-経験と成長のファンタジー 山元隆春 66
『きつねのおきゃくさま』を教材として読む/作品として読む 府川源一郎 76
あまんきみこ 加藤真理 83
ずっと友達にしていただいて 宮川ひろ 86
あまんさん 岩崎京子 89
あまんきみこ年譜+文献 宮田航平 92
谷山浩子『ねこの森には帰れない』紹介(編集部) 95
〔小特集 加速するナンセンス-起承転転…〕
インタビュー 内田麟太郎さんに聞く 内田麟太郎×宮川健郎162
村上しいこと二宮由紀子のナンセンス-私的ナンセンスの読み方の模索 内川朗子174
少年詩におけるナンセンス-笑える詩・笑えない詩-菊永謙178
宮澤賢治とナンセンス 平澤信一185
「ことばあそび﹂の世界-子どもの中のイノセンス-吉田定一189
白秋にはくしゅ 林 木林194
中原佑介の「ナンセンス芸術論」を読む 入江隆司198
童謡 創作 詩 随想 (略)
*A5判 272頁 定価:本体1200円+税 発売 四季の森社
さて、送っていただいたのは創刊号で、この『ざわざわ』は4号まで発行されていました。なかなか意欲的な雑誌であることはその目次から見て取れます。私からの出版へのエールを込めて2号からは特集と主な記事を抜き書きさせてもらいましょう。
■No.2 特集 武鹿悦子の世界
武鹿悦子アルバム インタビュー対談 一番自分らしい生き方だったと……武鹿悦子×聴き手 矢崎節夫
武鹿悦子アンソロジー 童謡篇(矢崎節夫・選) 少年詩篇(菊永謙・選)
武鹿悦子詩人論 吉田定一 畑中圭一 菊永謙 奥山恵 足立悦男 鶴田清司 児玉忠 千早陽生 ほか
エッセイ 新川和江 赤岡江里子 あまんきみこ こやま峰子 上野与志 後路好章 ほか
年譜(菊永謙)
創作 岡田淳、最上一平、千田文子/エッセイ 宮川健郎、内田麟太郎、志津谷元子、海沼松世、小林雅子、山中利子/童謡・詩 西村祐見子、二宮龍也、林木林ほか
*A5判 368頁 定価:本体1200円+税 発売 四季の森社
■No.3 特集 内田麟太郎
内田麟太郎アルバム インタビュー対談 新宿の怪しいルノアール……内田麟太郎×村上しいこ
エッセイ 長新太 今江祥智 菊永謙 暮尾淳 いずみたかひろ 西村繁男 伊藤秀男 余郷裕次
草谷桂子 こがしわかおり ひこ・田中 長野ヒデ子 山本孝 矢崎節夫 高橋秀雄 最上一平
降矢なな 内田麟太郎詩アンソロジー(菊永謙・選) 内田麟太郎年譜 小特集〈内田麟太郎が推す絵本作家〉
石川えり子・田島征三 筒井大介 加藤休ミ ウレシカ・小林 西須由紀 土井章史
創作 最上一平/エッセイ 内川朗子、海沼松世、小林雅子、山中利子/童謡・詩 西村祐見子、二宮龍也、ほか
*A5 判 288頁 定価:本体1200 円+税 発売 四季の森社
■No.4 特集 神沢利子
神沢利子アルバム
神沢利子さんに聴く(聴き手・いとうゆうこ)
─幼年時代は今もわたしのまわりに
「いないいない国へ」の幻郷 吉田定一
幼年期からの根源的な問い きどのりこ
ほか
小特集〈心を揺さぶられた詩・童謡〉
谷萩弘人 いずみたかひろ 宇部京子 ほか
連作「あらわれしもの」④ あらわれしもの・ひめりんごちゃん 最上一平
エッセイ―魅せられた一冊─『エルフギフト 上:復讐の誓い 下:裏切りの剣』小川英子
詩はどこにあるか2『詩の絵本』の試み 宮川健郎
*A5判 336頁 定価:本体1200円+税 発売 四季の森社
私は『演劇と教育』(日本演劇教育連盟編集、晩成書房)の編集に30数年かかわってきました。編集代表を担っているときに、「~を遊ぶ」シリーズを企画したことがあります。最初は詩人の谷川俊太郎、工藤直子、まどみちお、阪田寛夫、次に児童文学者の佐野洋子、あまんきみこと特集は続きました。できれば続けて神沢利子を考えていたのですが編集部を去ることになりそれはかないませんでした。
『ざわざわ』の特集を見ていて何か共通点やら、懐かしさを感じるのです。
□全6号「~を遊ぶ」シリーズ(執筆者)
・「谷川俊太郎を遊ぶ」2008年7月号、福田三津夫、内部恵子、加藤みはる、山地千晶
・「工藤直子を遊ぶ」2009年7月号、工藤直子、霜村三二、神尾タマ子、高丸もと子
・「まどみちおを遊ぶ」2010年7月号、伊藤英治、廣本康恵、泉宣宏、福田三津夫、霜村三二
・「阪田寛夫を遊ぶ」2011年7月号、霜村三、刀禰佳夫、福田三津夫、山地千晶 ・「佐野洋子を遊ぶ」2012年7月号、福田三津夫、平井まどか、新井早苗、梶本暁代、上 保節子、小森美巳
・「あまんきみこを遊ぶ」2013年7月号、あまんきみこ、佐熊郁代子、篠原久美子、宮﨑充治
さて、市橋さんから『ざわざわ』が送られてきたときあるコピーが同封されてきました。彼が『ざわざわ』の最新4号に執筆したリレーエッセイ《子どもたちの現在4》でした。許可を得て転載させてもらいます。
■今日も健気に生きている 市橋久生
幼児の発達支援に携わる小さな施設の午後。子どもたちは、それぞれお気に入りの絵本や紙芝居を持ってテーブルの周りに寄ってくる。自閉症、ダウン症、体の不自由な子、なんらかのハンディを抱えている一人ひとりの子に、支援スタッフが寄り添う。一緒に声を出して読んだりページをめくったり…。紙芝居ではお気に入りの場面に見入ってしまって、観ているほかの子に待ちぼうけをくわせたり、絵本はページを飛ばして好みの絵に移ってしまったりするが、スタッフはにこやかにやんわりと促す。埼玉県のその事業所を時々訪ねている私は、この光景を「○○(施設名)の“ブック・スタート”」と呼んで、微笑ましく見ている。“小さな施設”と記したが、この一日の利用者十人ほどの子どもたちというのが程良い規模に見える。一人ひとりに、その日の体調や動きを頭に入れながら、“ゆる~い一体感”(管理責任者の謂う)のスタッフの目が行き届き、思わぬできごとにも慌てず、待つ、聴く。遊ぶ場面ではスタッフは言わば黒子になって動き、ときに遊びに誘う場合にはその子の意思を尊重し、選択肢を示す程度にして見守る。まずは子どもたちの気持ちを思いやるおおらかな姿勢がここの雰囲気を醸し出している。
今、この社会ではこのような“おおらかさ”を感じられるだろうか? 逆に息苦しさや不安を語られることはしばしばである。<子どもたちの現在>を語るということはとりもなおさず、おとながつくる社会の現在を語るということになる。たとえば、子どもの貧困は喫緊の社会的課題であり、子ども同士のできごとであった「いじめ」はいじめ防止対策推進法という国家の法律制定を要するほど深刻な問題になってしまった。貧困もいじめもおとな社会の縮図である。所得や家計のゆとりに格差がある、教育や健康の格差にもつながる、人と人の間に線を引く、異見を排除する、等々(為政者からして!)。ネット時代の社会では知らず知らずなんとなく気を張っていなければならない。メール対応にスピードを要求され、友だちは「承認」を受けてなるもの? 空気を読めという同調圧力がかかる。何事につけ寛容な精神が脆くなったと感じざるをえない社会。
学校では「道徳」が「特別の教科」として子ども一人ひとりに「評価」がされることになった。これまで副読本はあったが、教科書になる。パン屋が「和菓子屋」に書き換えられ、公園のアスレチックが「和楽器の店」に差し換えられる―学習指導要領にある「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」という観点に照らしてとする文部科学省の検定意見に反応した教科書会社の対応―という悪い冗談のような現実が起きている。
また、子どもが巻き込まれる事故や事件が起きるたびにその対策は強化されていく。公園の遊具が取り外されたり、防犯カメラが設置されたり、植え込みが刈り込まれたり。「親の目届きすぎ?今の子育て」と題する読者の投稿が新聞に載った(2017年6月5日、朝日)。「だいたい子どもというものは、『親の目が届かないところ』で育っていくんです」(河合隼雄)という言葉を引いて―。おとなの善意、見守りのつもりが押し付けや息苦しさになったり過干渉になったりしてはいないだろうか?
しかし、子どもとは、いつの時代どんな社会でも、おとなの目や管理の抜け道を探して生きるもの。知恵も体感覚もそうやって身に付けていくものだろう。一方、今日の環境に危機感を覚えるおとなたちは、子どもには心身ともにたっぷりの子ども時代が必要であると考えている。埼玉県内の子ども劇場おやこ劇場が仕掛けている「子どものまち“ミニ○○”」(○○は市区町村名)。ある一日、子どもたちがつくるまちが出現する。役所、首長、議員、警察署、病院、銀行、商店街、広場など文字通り一つのまちを創る(広い公共施設などを会場にして)。どんなまちにしたいか、事前に何度も子ども会議を開き、意見交換や議論を重ね、時間をかけて準備する。それでも失敗はある。それも含めての子ども自身の貴重な体験。おとなは見守りに徹する。口を出さない。このような「子どものまち」づくりは今や全国各地で行われているという(子ども劇場おやこ劇場埼玉センター『KOGNET』vol.49)。「冒険あそび場」「プレイパーク」なども各地で見られる。失ってしまった自然や生活様式を嘆いても懐かしんでいてもどうにもならない。今日の環境でできるだけのことをしようというおとなたちがいる。
埼玉の「ミニ○○」。子どもたちの掲げたテーマは「やさしいまち」。実際のまちは?のおとなの問いかけに「やさしくない!」―そう感じながらも子どもたちは今日も健気に生きている。(『ざわざわ』4)
●市橋久生(いちはし・ひさお)1948年、佐渡島生まれ。埼玉で中学校勤務とともに日本演劇教育連盟の活動に参加。事務局長、『演劇と教育』編集委員などを務める。フリー・スクールや子どもデイ・サービスにも関わる。子どもと文化環境に関心をもつ。共同通信連載「気持ち伝えるには」や週刊メルマガ『演劇タイムズ』連載「ドラマティックな人々」など寄稿。
2,3日して彼から『ざわざわ』(2015.5.15)という雑誌が送られてきました。初めて目にする児童文学雑誌の創刊号でした。特集は私の大好きなあまんきみこさんでした。出版不況といわれているこの時代、しかも児童文学の新雑誌とは出版社も随分思い切ったものです。興味津々でページをめくりました。
目次を紹介してみましょう。(四季の森社HPより)
■No.1 特集 あまんきみこ
口上(内田麟太郎) 創刊によせて宮川健郎 2 for Children(写真)
落合次郎 4~7 リレーエッセイ 子どもの現在 霜村三二 8
〔特集 あまんきみこ〕
あまんきみこアルバム 10 (初出再現)びわの実学校版 「くましんし」 17 あまんきみこのエッセイから 21
インタビュー対談-作品は一通しかだせないラブレター あまんきみこ×矢崎節夫 22 あまんきみこ-たぬきねいり 内田麟太郎 52
贖罪の児童文学-あまんきみこの人と作品-矢部玲子 55
境目の魔女(ほんわり系) 谷山浩子 62
あまんきみこ論-経験と成長のファンタジー 山元隆春 66
『きつねのおきゃくさま』を教材として読む/作品として読む 府川源一郎 76
あまんきみこ 加藤真理 83
ずっと友達にしていただいて 宮川ひろ 86
あまんさん 岩崎京子 89
あまんきみこ年譜+文献 宮田航平 92
谷山浩子『ねこの森には帰れない』紹介(編集部) 95
〔小特集 加速するナンセンス-起承転転…〕
インタビュー 内田麟太郎さんに聞く 内田麟太郎×宮川健郎162
村上しいこと二宮由紀子のナンセンス-私的ナンセンスの読み方の模索 内川朗子174
少年詩におけるナンセンス-笑える詩・笑えない詩-菊永謙178
宮澤賢治とナンセンス 平澤信一185
「ことばあそび﹂の世界-子どもの中のイノセンス-吉田定一189
白秋にはくしゅ 林 木林194
中原佑介の「ナンセンス芸術論」を読む 入江隆司198
童謡 創作 詩 随想 (略)
*A5判 272頁 定価:本体1200円+税 発売 四季の森社
さて、送っていただいたのは創刊号で、この『ざわざわ』は4号まで発行されていました。なかなか意欲的な雑誌であることはその目次から見て取れます。私からの出版へのエールを込めて2号からは特集と主な記事を抜き書きさせてもらいましょう。
■No.2 特集 武鹿悦子の世界
武鹿悦子アルバム インタビュー対談 一番自分らしい生き方だったと……武鹿悦子×聴き手 矢崎節夫
武鹿悦子アンソロジー 童謡篇(矢崎節夫・選) 少年詩篇(菊永謙・選)
武鹿悦子詩人論 吉田定一 畑中圭一 菊永謙 奥山恵 足立悦男 鶴田清司 児玉忠 千早陽生 ほか
エッセイ 新川和江 赤岡江里子 あまんきみこ こやま峰子 上野与志 後路好章 ほか
年譜(菊永謙)
創作 岡田淳、最上一平、千田文子/エッセイ 宮川健郎、内田麟太郎、志津谷元子、海沼松世、小林雅子、山中利子/童謡・詩 西村祐見子、二宮龍也、林木林ほか
*A5判 368頁 定価:本体1200円+税 発売 四季の森社
■No.3 特集 内田麟太郎
内田麟太郎アルバム インタビュー対談 新宿の怪しいルノアール……内田麟太郎×村上しいこ
エッセイ 長新太 今江祥智 菊永謙 暮尾淳 いずみたかひろ 西村繁男 伊藤秀男 余郷裕次
草谷桂子 こがしわかおり ひこ・田中 長野ヒデ子 山本孝 矢崎節夫 高橋秀雄 最上一平
降矢なな 内田麟太郎詩アンソロジー(菊永謙・選) 内田麟太郎年譜 小特集〈内田麟太郎が推す絵本作家〉
石川えり子・田島征三 筒井大介 加藤休ミ ウレシカ・小林 西須由紀 土井章史
創作 最上一平/エッセイ 内川朗子、海沼松世、小林雅子、山中利子/童謡・詩 西村祐見子、二宮龍也、ほか
*A5 判 288頁 定価:本体1200 円+税 発売 四季の森社
■No.4 特集 神沢利子
神沢利子アルバム
神沢利子さんに聴く(聴き手・いとうゆうこ)
─幼年時代は今もわたしのまわりに
「いないいない国へ」の幻郷 吉田定一
幼年期からの根源的な問い きどのりこ
ほか
小特集〈心を揺さぶられた詩・童謡〉
谷萩弘人 いずみたかひろ 宇部京子 ほか
連作「あらわれしもの」④ あらわれしもの・ひめりんごちゃん 最上一平
エッセイ―魅せられた一冊─『エルフギフト 上:復讐の誓い 下:裏切りの剣』小川英子
詩はどこにあるか2『詩の絵本』の試み 宮川健郎
*A5判 336頁 定価:本体1200円+税 発売 四季の森社
私は『演劇と教育』(日本演劇教育連盟編集、晩成書房)の編集に30数年かかわってきました。編集代表を担っているときに、「~を遊ぶ」シリーズを企画したことがあります。最初は詩人の谷川俊太郎、工藤直子、まどみちお、阪田寛夫、次に児童文学者の佐野洋子、あまんきみこと特集は続きました。できれば続けて神沢利子を考えていたのですが編集部を去ることになりそれはかないませんでした。
『ざわざわ』の特集を見ていて何か共通点やら、懐かしさを感じるのです。
□全6号「~を遊ぶ」シリーズ(執筆者)
・「谷川俊太郎を遊ぶ」2008年7月号、福田三津夫、内部恵子、加藤みはる、山地千晶
・「工藤直子を遊ぶ」2009年7月号、工藤直子、霜村三二、神尾タマ子、高丸もと子
・「まどみちおを遊ぶ」2010年7月号、伊藤英治、廣本康恵、泉宣宏、福田三津夫、霜村三二
・「阪田寛夫を遊ぶ」2011年7月号、霜村三、刀禰佳夫、福田三津夫、山地千晶 ・「佐野洋子を遊ぶ」2012年7月号、福田三津夫、平井まどか、新井早苗、梶本暁代、上 保節子、小森美巳
・「あまんきみこを遊ぶ」2013年7月号、あまんきみこ、佐熊郁代子、篠原久美子、宮﨑充治
さて、市橋さんから『ざわざわ』が送られてきたときあるコピーが同封されてきました。彼が『ざわざわ』の最新4号に執筆したリレーエッセイ《子どもたちの現在4》でした。許可を得て転載させてもらいます。
■今日も健気に生きている 市橋久生
幼児の発達支援に携わる小さな施設の午後。子どもたちは、それぞれお気に入りの絵本や紙芝居を持ってテーブルの周りに寄ってくる。自閉症、ダウン症、体の不自由な子、なんらかのハンディを抱えている一人ひとりの子に、支援スタッフが寄り添う。一緒に声を出して読んだりページをめくったり…。紙芝居ではお気に入りの場面に見入ってしまって、観ているほかの子に待ちぼうけをくわせたり、絵本はページを飛ばして好みの絵に移ってしまったりするが、スタッフはにこやかにやんわりと促す。埼玉県のその事業所を時々訪ねている私は、この光景を「○○(施設名)の“ブック・スタート”」と呼んで、微笑ましく見ている。“小さな施設”と記したが、この一日の利用者十人ほどの子どもたちというのが程良い規模に見える。一人ひとりに、その日の体調や動きを頭に入れながら、“ゆる~い一体感”(管理責任者の謂う)のスタッフの目が行き届き、思わぬできごとにも慌てず、待つ、聴く。遊ぶ場面ではスタッフは言わば黒子になって動き、ときに遊びに誘う場合にはその子の意思を尊重し、選択肢を示す程度にして見守る。まずは子どもたちの気持ちを思いやるおおらかな姿勢がここの雰囲気を醸し出している。
今、この社会ではこのような“おおらかさ”を感じられるだろうか? 逆に息苦しさや不安を語られることはしばしばである。<子どもたちの現在>を語るということはとりもなおさず、おとながつくる社会の現在を語るということになる。たとえば、子どもの貧困は喫緊の社会的課題であり、子ども同士のできごとであった「いじめ」はいじめ防止対策推進法という国家の法律制定を要するほど深刻な問題になってしまった。貧困もいじめもおとな社会の縮図である。所得や家計のゆとりに格差がある、教育や健康の格差にもつながる、人と人の間に線を引く、異見を排除する、等々(為政者からして!)。ネット時代の社会では知らず知らずなんとなく気を張っていなければならない。メール対応にスピードを要求され、友だちは「承認」を受けてなるもの? 空気を読めという同調圧力がかかる。何事につけ寛容な精神が脆くなったと感じざるをえない社会。
学校では「道徳」が「特別の教科」として子ども一人ひとりに「評価」がされることになった。これまで副読本はあったが、教科書になる。パン屋が「和菓子屋」に書き換えられ、公園のアスレチックが「和楽器の店」に差し換えられる―学習指導要領にある「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」という観点に照らしてとする文部科学省の検定意見に反応した教科書会社の対応―という悪い冗談のような現実が起きている。
また、子どもが巻き込まれる事故や事件が起きるたびにその対策は強化されていく。公園の遊具が取り外されたり、防犯カメラが設置されたり、植え込みが刈り込まれたり。「親の目届きすぎ?今の子育て」と題する読者の投稿が新聞に載った(2017年6月5日、朝日)。「だいたい子どもというものは、『親の目が届かないところ』で育っていくんです」(河合隼雄)という言葉を引いて―。おとなの善意、見守りのつもりが押し付けや息苦しさになったり過干渉になったりしてはいないだろうか?
しかし、子どもとは、いつの時代どんな社会でも、おとなの目や管理の抜け道を探して生きるもの。知恵も体感覚もそうやって身に付けていくものだろう。一方、今日の環境に危機感を覚えるおとなたちは、子どもには心身ともにたっぷりの子ども時代が必要であると考えている。埼玉県内の子ども劇場おやこ劇場が仕掛けている「子どものまち“ミニ○○”」(○○は市区町村名)。ある一日、子どもたちがつくるまちが出現する。役所、首長、議員、警察署、病院、銀行、商店街、広場など文字通り一つのまちを創る(広い公共施設などを会場にして)。どんなまちにしたいか、事前に何度も子ども会議を開き、意見交換や議論を重ね、時間をかけて準備する。それでも失敗はある。それも含めての子ども自身の貴重な体験。おとなは見守りに徹する。口を出さない。このような「子どものまち」づくりは今や全国各地で行われているという(子ども劇場おやこ劇場埼玉センター『KOGNET』vol.49)。「冒険あそび場」「プレイパーク」なども各地で見られる。失ってしまった自然や生活様式を嘆いても懐かしんでいてもどうにもならない。今日の環境でできるだけのことをしようというおとなたちがいる。
埼玉の「ミニ○○」。子どもたちの掲げたテーマは「やさしいまち」。実際のまちは?のおとなの問いかけに「やさしくない!」―そう感じながらも子どもたちは今日も健気に生きている。(『ざわざわ』4)
●市橋久生(いちはし・ひさお)1948年、佐渡島生まれ。埼玉で中学校勤務とともに日本演劇教育連盟の活動に参加。事務局長、『演劇と教育』編集委員などを務める。フリー・スクールや子どもデイ・サービスにも関わる。子どもと文化環境に関心をもつ。共同通信連載「気持ち伝えるには」や週刊メルマガ『演劇タイムズ』連載「ドラマティックな人々」など寄稿。