私にとっての師匠は竹内敏晴さん、冨田博之さん、そして村田栄一さんです。
3人との出会いについては、詳細に『実践的演劇教育論-ことばと心の受け渡し』(晩成書房、2013年)としてまとめました。(「冨田博之の演劇教育論」「竹内敏晴から学んだこと-語るということ」「考える現場人、村田栄一」)
しかし、惜しくも村田栄一さんは、拙著出版の前年、2012年1月21日、76歳で逝去されています。お連れ合いの村田悦子さん(1度だけ村田栄一さんの誕生会でお目にかかっています)に拙著をお送りしたとき、墓前に捧げてくださったというお手紙をいただきました。
村田さんは22年間の小学校教師生活を経て、バルセロナに遊学、教育工房を主宰しながら、自由教育の国際交流に努められました。1998年、アジアで初めてのフレネ教育者国際会議の実行委員長として大役を果たされました。(埼玉・自由の森学園が主会場、10日間開催)私は実行委員としてこれに参加しています。
村田さんの編著は数十冊にのぼりますが、そのほとんどを手元に揃えています。ただ子ども向けのシリーズもの十数冊だけは持っていません。そのことを村田さんに話したら、「学校で揃えてもらったら。」と返されました。
村田さんの主著は『戦後教育論』と『学級通信ガリバー』です。そして最後の著書が『石も夢みるスペインロマネスク』ということになります。実はもう一冊、教育工房ブックレット(私家版)として出版していますが、現在行方不明で本棚を探しています。全著作のラインアップも掲載されているだけでなく、注目すべき「遺書」めいた本でした。
『石も夢みるスペインロマネスク』の出版記念会が2007年4月14日、カサ・デル・ブエノというスペイン料理店(渋谷?)で開かれました。4,50人の参加者があったように記憶しています。ラボ教育センター会長の松本輝夫さんと再会して、ラボ言語教育総合研究所に誘われたのもこの時でした。第2回例会に竹内敏晴さんが見えるので来ないかということでした。それ以来私は正式に所員として認められ、現在に到っているのです。この時の最後の話の締めは児童読み物作家の山中恒さんで、私の憧れの人でした。
さて、『石も夢みるスペインロマネスク』はA5版、388頁、厚さ3㎝の大冊です。以前に村田さんが出版された『スペイン・ロマネスク巡礼』(社会評論社、1989年、198頁、四六版)に大幅加筆して、ほぼ原形を留めていないというのが村田さんの言です。そもそも『スペイン・ロマネスク巡礼』の末尾には『スペイン・サラセンの残照』続刊予告が掲載されていましたが、その内容も含めて『スペイン・ロマネスク巡礼』の3冊分にはなっていそうです。
最初手にした『石も夢みるスペインロマネスク』を読み切るのは不可能でした。興味があるところだけの拾い読みに終始していました。それが今回十数年ぶりに完読しようと思ったのは次のような訳があります。
今年の夏15回目のドイツ旅行を家族で計画しています。相変わらず後期ゴシック彫刻作品を訪ねるということがテーマですが、せっかくならフランスロマネスクの作品のあるモワサック(以前ブログで紹介、故・植田重雄さんが残してくれた写真集に掲載)とディジョン(ボーデ博物館館長、シャピュイさんが送ってくれた図録に掲載)に行こうということになったのです。
待てよ、それなら村田さんの『石も夢みるスペインロマネスク』を読んでおかなければ、ということです。
読み始めてこれは凄い本だと改めて思いました。並みの研究者には書けない本です。
村田さんはスペインをレンタカーで巡るために、50歳近くになって運転免許証を取得します。連続7回の旅に遠藤豊吉さんが同乗したと言います。
村田車はほとんどが片田舎にあるロマネスク教会をしらみつぶしに巡ります。その時のことを写真に撮り、その時のあれこれを克明に記録したことでしょう。村田さんの執念は半端ではありません。取り上げる文献の数も凄まじいものがあります。現地で取得した膨大な資料も手に入れ、それを読破したことでしょう。
多数掲載されている素敵な写真は村田さんが間違いなく撮影したものです。スペインの風景や人々をこよなく愛する村田さんだからこそ写せたのに違いありません。
サグラダ・ファミリアの石彫り職人、外尾悦郎さんの『バルセロナ石彫り修業』(筑摩書房)はほとんど村田さんの手になること、初期の『地球の歩き方 スペイン』には村田さんがかなり関わっていたことなど興味深く読めます。さらに、「銃殺されたフリースクール創設者」フランシスコ・フェレルのくだりは、村田さんの面目躍如といったところで、「学校教育運動JAPAN」がフェレルに連動していることをさわやかに宣言しています。
元小学校教師の村田さんはスペインに遊学し、自由教育運動の交流だけでなく、スペインロマネスクを歩きながら大著『石も夢みるスペインロマネスク』を遺されました。連れ合いの福田緑も元小学校教師を辞し、ドイツに留学し、リーメンシュナイダーをはじめとするドイツ後期ゴシック彫刻を歩き、私との共著も含めて5冊写真集を上梓しました。
私が新卒時代に彼女にプレゼントしたのが村田さんの実践記録『飛びだせチビッコ』(エール出版社、後に『学級通信ガリバー』)でした。
時を経て、不思議な巡り合わせを感じるのです。
3人との出会いについては、詳細に『実践的演劇教育論-ことばと心の受け渡し』(晩成書房、2013年)としてまとめました。(「冨田博之の演劇教育論」「竹内敏晴から学んだこと-語るということ」「考える現場人、村田栄一」)
しかし、惜しくも村田栄一さんは、拙著出版の前年、2012年1月21日、76歳で逝去されています。お連れ合いの村田悦子さん(1度だけ村田栄一さんの誕生会でお目にかかっています)に拙著をお送りしたとき、墓前に捧げてくださったというお手紙をいただきました。
村田さんは22年間の小学校教師生活を経て、バルセロナに遊学、教育工房を主宰しながら、自由教育の国際交流に努められました。1998年、アジアで初めてのフレネ教育者国際会議の実行委員長として大役を果たされました。(埼玉・自由の森学園が主会場、10日間開催)私は実行委員としてこれに参加しています。
村田さんの編著は数十冊にのぼりますが、そのほとんどを手元に揃えています。ただ子ども向けのシリーズもの十数冊だけは持っていません。そのことを村田さんに話したら、「学校で揃えてもらったら。」と返されました。
村田さんの主著は『戦後教育論』と『学級通信ガリバー』です。そして最後の著書が『石も夢みるスペインロマネスク』ということになります。実はもう一冊、教育工房ブックレット(私家版)として出版していますが、現在行方不明で本棚を探しています。全著作のラインアップも掲載されているだけでなく、注目すべき「遺書」めいた本でした。
『石も夢みるスペインロマネスク』の出版記念会が2007年4月14日、カサ・デル・ブエノというスペイン料理店(渋谷?)で開かれました。4,50人の参加者があったように記憶しています。ラボ教育センター会長の松本輝夫さんと再会して、ラボ言語教育総合研究所に誘われたのもこの時でした。第2回例会に竹内敏晴さんが見えるので来ないかということでした。それ以来私は正式に所員として認められ、現在に到っているのです。この時の最後の話の締めは児童読み物作家の山中恒さんで、私の憧れの人でした。
さて、『石も夢みるスペインロマネスク』はA5版、388頁、厚さ3㎝の大冊です。以前に村田さんが出版された『スペイン・ロマネスク巡礼』(社会評論社、1989年、198頁、四六版)に大幅加筆して、ほぼ原形を留めていないというのが村田さんの言です。そもそも『スペイン・ロマネスク巡礼』の末尾には『スペイン・サラセンの残照』続刊予告が掲載されていましたが、その内容も含めて『スペイン・ロマネスク巡礼』の3冊分にはなっていそうです。
最初手にした『石も夢みるスペインロマネスク』を読み切るのは不可能でした。興味があるところだけの拾い読みに終始していました。それが今回十数年ぶりに完読しようと思ったのは次のような訳があります。
今年の夏15回目のドイツ旅行を家族で計画しています。相変わらず後期ゴシック彫刻作品を訪ねるということがテーマですが、せっかくならフランスロマネスクの作品のあるモワサック(以前ブログで紹介、故・植田重雄さんが残してくれた写真集に掲載)とディジョン(ボーデ博物館館長、シャピュイさんが送ってくれた図録に掲載)に行こうということになったのです。
待てよ、それなら村田さんの『石も夢みるスペインロマネスク』を読んでおかなければ、ということです。
読み始めてこれは凄い本だと改めて思いました。並みの研究者には書けない本です。
村田さんはスペインをレンタカーで巡るために、50歳近くになって運転免許証を取得します。連続7回の旅に遠藤豊吉さんが同乗したと言います。
村田車はほとんどが片田舎にあるロマネスク教会をしらみつぶしに巡ります。その時のことを写真に撮り、その時のあれこれを克明に記録したことでしょう。村田さんの執念は半端ではありません。取り上げる文献の数も凄まじいものがあります。現地で取得した膨大な資料も手に入れ、それを読破したことでしょう。
多数掲載されている素敵な写真は村田さんが間違いなく撮影したものです。スペインの風景や人々をこよなく愛する村田さんだからこそ写せたのに違いありません。
サグラダ・ファミリアの石彫り職人、外尾悦郎さんの『バルセロナ石彫り修業』(筑摩書房)はほとんど村田さんの手になること、初期の『地球の歩き方 スペイン』には村田さんがかなり関わっていたことなど興味深く読めます。さらに、「銃殺されたフリースクール創設者」フランシスコ・フェレルのくだりは、村田さんの面目躍如といったところで、「学校教育運動JAPAN」がフェレルに連動していることをさわやかに宣言しています。
元小学校教師の村田さんはスペインに遊学し、自由教育運動の交流だけでなく、スペインロマネスクを歩きながら大著『石も夢みるスペインロマネスク』を遺されました。連れ合いの福田緑も元小学校教師を辞し、ドイツに留学し、リーメンシュナイダーをはじめとするドイツ後期ゴシック彫刻を歩き、私との共著も含めて5冊写真集を上梓しました。
私が新卒時代に彼女にプレゼントしたのが村田さんの実践記録『飛びだせチビッコ』(エール出版社、後に『学級通信ガリバー』)でした。
時を経て、不思議な巡り合わせを感じるのです。