昭和天皇は「戦争と平和」との闘いであった。昭和20年までの戦争の時代を終始一貫平和解決への道を模索し、戦後は国民の先頭に立ち復興の象徴として引っ張った。一方、上皇陛下(平成天皇)は、災害との闘いだった。阪神淡路大震災・東日本大震災と近年増加した豪雨災害などの被災地に足を運び国民を励ました。共通するのは、国民の安寧と平和への強い願いだ。国民の幸せを唯一の願いとして生きる存在「人」が天皇なのだ。そこには内なる闘いがあった。
現在、皇室(天皇)議論は旬の話題である。眞子さまのご結婚問題が契機となった訳だが、そもそも秋篠宮悠仁親王の誕生まで(小泉政権下)は、女性天皇など皇位継承問題が多いに議論となっていた。男系男子である悠仁親王が生まれた事で一旦下火になった議論だが、皇位継承権を持つ男子皇族が3名しかいない現状はなお今でも危機だと言える。国際的にジェンダーフリーの時代に女性も皇位継承者とすべき意見が多い。しかし、少しでも勉強すれば女性天皇や女系天皇と言う議論は如何に安易な解決かすぐに分かるはずだ。2000年以上世界でも唯一の万世一系の天皇を続けて来た皇室議論に国際的常識を当てはめる事こそが、非常識なのだ。今の世論の通りだと小室氏などの女性皇族の配偶者が、天皇の夫とか天皇の父となることになる。それはいずれ国民のだれもが天皇になりえることになる。そのことだけでも十分に検討されるべきである。
「平安京の天皇たち」を書いていて思うのは、中には突然君主意識の極めて強い天皇が現れる事である。古来より国や民を思う「君主意識」は天皇家に共通した基本的精神である。しかし、国家を統治し人民に君臨する「君主意識」には歴代天皇には格差がある。皇室だけに武力も政治権力も集中していた古代と違い、平安時代以降は藤原氏を中心とする公家社会、源氏・平家などの武家社会との関係性で統治スタイルに大きな変化が生じる。そして、皇室(天皇)の復権を狙って、時として強引に戦いを挑む天皇が出現する。平安時代途中までは、藤原摂関家や天皇家内部の権力闘争だった。それが、平安末期の保元・平治の戦乱を境に「武者(むさ)の世」となり、その荒ぶる武士たちに挑んだ強い天皇も出て来る。
平安京の天皇の中から「武士と戦った天皇たち」を書くに当たり、一つの仮説を立てて見た。天皇の君主意識の差は、生い立ちなど即位の経緯にあるのではないかという事だ。「傍系」からの即位、「つなぎ(一代限り)」の即位など、強い「君主意識」を持つことで自らの存在意義を強調せざるを得ない天皇が、復古・復権をかけて武士に挑んで行ったのではないか。後鳥羽天皇、後醍醐天皇、後水尾天皇、そして光格天皇はいずれも特に強い君主意識を持ち、武士に挑んだのである。
※ 文中、原則天皇名は崩御後の諡号か追号で通した。後醍醐ならば「尊治」という諱を使うべきだが、混乱を避ける為、すべて諡号・追号で書くことにする。なお、天皇にならなかった皇子は諱を用いる。