予報だと、もっと遅くなってからの雨なのだけれど・・・。
午後の早い時間から、降り始めている。
秋の長雨、である。

♪チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調op 74『悲愴』/ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル 1960年

第四楽章を聞いている。
秋の午後、とりわけ長雨の午後に聞きたくなるのだ。
この楽章を聞いていると「秋思」という季語が脳裏を駆け巡る。
ゴリラの眉間のように、或いは又並木を鎮める枯葉のように・・・。
カーンと冴え返っているのは、花水木の赤い実生。
第四楽章は「アダージョ・ラメントーソ」。
この盤は、ムラヴインスキーの名演奏である。
レニグラード。フィルハーモニーが見事に名指揮に応えている。
何故かしら、涙が零れてならない。
そんな演奏である。

『野仏の眉間に宿る秋思かな』

1960年の録音だけれど、ぼくの琴線を揺らし続ける。
ぼくは今「たゆたい」の中に居る。

まるで、この演奏は母の胎内で聞いた心音のように響いてくるのだ。
柔らかく優しく語りかけ、而して包み込むように・・・。
愛情のたっぷりと詰まった、母の心音である。
荒 野人
午後の早い時間から、降り始めている。
秋の長雨、である。

♪チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調op 74『悲愴』/ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル 1960年

第四楽章を聞いている。
秋の午後、とりわけ長雨の午後に聞きたくなるのだ。
この楽章を聞いていると「秋思」という季語が脳裏を駆け巡る。
ゴリラの眉間のように、或いは又並木を鎮める枯葉のように・・・。
カーンと冴え返っているのは、花水木の赤い実生。
第四楽章は「アダージョ・ラメントーソ」。
この盤は、ムラヴインスキーの名演奏である。
レニグラード。フィルハーモニーが見事に名指揮に応えている。
何故かしら、涙が零れてならない。
そんな演奏である。

『野仏の眉間に宿る秋思かな』

1960年の録音だけれど、ぼくの琴線を揺らし続ける。
ぼくは今「たゆたい」の中に居る。

まるで、この演奏は母の胎内で聞いた心音のように響いてくるのだ。
柔らかく優しく語りかけ、而して包み込むように・・・。
愛情のたっぷりと詰まった、母の心音である。
荒 野人