甲斐武田氏の祖、清光の居城である。
典型的な山城である。
いまはもうその雄姿を見ることはできないけれど、土塁が残っていて往時の「よすが」を探せるのである。
城の頂上へと入り込む麓である。
土塁は、まさに曲輪跡である。
谷戸城は吾妻鏡にみえる「逸見山」に比定されており、甲斐源氏の祖とされる逸見清光の居城とされている。
地元ではこの山を城山と呼んでいるのである。
『吾妻鏡』の治承4年(1180年)9月15日条に拠れば、武田信義ら甲斐源氏一党は源頼朝の挙兵に際して「逸見山」に集結し頼朝からの使者を迎えたとある。
源頼朝の挙兵を記憶する場所でもあるのだ。
谷戸城一帯は、国の史跡として保全されている。
林を造成して山を守ろうとしている。
それなりに下草も刈られている。
この城跡の二の曲輪から、八ヶ岳が望める。
立地の良い山城であったことが偲ばれるのである。
吾妻鏡に記された谷戸城である。
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荒野人
典型的な山城である。
いまはもうその雄姿を見ることはできないけれど、土塁が残っていて往時の「よすが」を探せるのである。
城の頂上へと入り込む麓である。
土塁は、まさに曲輪跡である。
谷戸城は吾妻鏡にみえる「逸見山」に比定されており、甲斐源氏の祖とされる逸見清光の居城とされている。
地元ではこの山を城山と呼んでいるのである。
『吾妻鏡』の治承4年(1180年)9月15日条に拠れば、武田信義ら甲斐源氏一党は源頼朝の挙兵に際して「逸見山」に集結し頼朝からの使者を迎えたとある。
源頼朝の挙兵を記憶する場所でもあるのだ。
谷戸城一帯は、国の史跡として保全されている。
林を造成して山を守ろうとしている。
それなりに下草も刈られている。
この城跡の二の曲輪から、八ヶ岳が望める。
立地の良い山城であったことが偲ばれるのである。
吾妻鏡に記された谷戸城である。
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