秋の海は、寂しい。
寂しいけれどキラキラしている。
トワ・エ・モアが「いまはもう秋 だれもいない海」と唄ったけれど・・・。
確かに、うら若き女性が一人汀を歩いていた。
絵になる風景であった。
汀は、きらきらと日の斑が遊んでいる。
秋晴れの一日であった。
場所は、葛西臨海公園である。
ゆっくりじっくり、一人吟行である。
入口の、そう云うよりも駅を出た広場の噴水に虹が架かった。
暑さは頃合いなのだけれど、水遊びをするには涼しい。
でも、若いカップルは靴を脱いで遊んでいた。
ぼくは、海。
海の日の斑を見たいから、出かけたのであった。
家族連れも多く来ている。
子どもは、海浜が好きである。
「浜ゆけば日の斑と遊ぶ残る海猫」
残る海猫、である。
これは秋の季語である。
海猫、だけだと夏の季語。
海猫は、ゴメと読みたい。
この人工海浜。
でも、シーグラスを一つだけ拾った。
日の斑とシーグラスの取り合わせは、繪硝子の吟行で投句しようと思っている。
暫く呻吟しようと思うのである。
鎌倉への下見の時は、七里ケ浜の海は荒れていた。
吟行当日は、晴れて暮れるだろうか・・・。
荒 野人
寂しいけれどキラキラしている。
トワ・エ・モアが「いまはもう秋 だれもいない海」と唄ったけれど・・・。
確かに、うら若き女性が一人汀を歩いていた。
絵になる風景であった。
汀は、きらきらと日の斑が遊んでいる。
秋晴れの一日であった。
場所は、葛西臨海公園である。
ゆっくりじっくり、一人吟行である。
入口の、そう云うよりも駅を出た広場の噴水に虹が架かった。
暑さは頃合いなのだけれど、水遊びをするには涼しい。
でも、若いカップルは靴を脱いで遊んでいた。
ぼくは、海。
海の日の斑を見たいから、出かけたのであった。
家族連れも多く来ている。
子どもは、海浜が好きである。
「浜ゆけば日の斑と遊ぶ残る海猫」
残る海猫、である。
これは秋の季語である。
海猫、だけだと夏の季語。
海猫は、ゴメと読みたい。
この人工海浜。
でも、シーグラスを一つだけ拾った。
日の斑とシーグラスの取り合わせは、繪硝子の吟行で投句しようと思っている。
暫く呻吟しようと思うのである。
鎌倉への下見の時は、七里ケ浜の海は荒れていた。
吟行当日は、晴れて暮れるだろうか・・・。
荒 野人