エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

雨に濡れていた花たちへ

2011年05月31日 | 
雨に濡れてた・・・黄昏のビギンの歌い出しである。
台風二号は温帯低気圧に精力を落としつつ東日本の被災地に爪を立てた。

隆起した地域、陥没した地域、それぞれ悲喜交々であるけれど、無事であることを願う。



葉っぱは、雨を水滴にして弾きかえす。
生きている証である。

雨の降りしきる中、ぼくは花を見に出かけたのである。
雨に濡れた花は、心を煽られる。



これは花が終わった後である。
「花いかだ」の葉っぱである。

かすかに花弁が葉っぱにしがみついているのである。
健気である。



ユキノシタ科の「アカショウマ」である。
くっきりとした葉の緑が、その白い花を際立たせるのである。

花の下の茎がすっきりと長く、スリムな肢体である。



これはヤマボウシである。
濡れた事で、花が浮き出たように見える。

儚い佇まいである。



これは「シライトソウ」である。
ススラスッーとした花である。

ミズヒキだとか、ねじ花だとかと同じで花が直立して生き様として鮮明である。



こんなふうにして咲いているのである。
目立つ花である。



「イブキジャコウソウ」である。
さしずめ乱舞するように咲いている。

藪に咲く・・・といった風情である。



外せないのは「ブラッシの花」である。
雨滴をたっぷりと溜めこんで咲いているのである。



蕾のなかにも雨滴を溜めこんでいる。
欲張りな花である。

でも可愛いのだ。



フウロソウ科「アケボノフウロ」である。
茎には繊毛が生え水を蓄えている。

小紫の可憐な花である。



さて最後はユキノシタ科「コアマチャ」である。
額紫陽花の趣きがあるけれど、コアマチャというのである。

野生の匂いがぷんぷんする花である。



歩いていたら雨に降られた少女がいた。
「水辺」とある。

緑滴る水辺で遊んだ後、スカートの水を絞っている姿である。



雨の中で眺める彫刻もその標題と合わせしっくりとくるものである。
楽しい雨の中の散策であった。

被災地における雨の被害が少なければ、ぼくはもっと幸せである。




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 荒野人

クレマチスに恋する

2011年05月30日 | 
クレマチスの秘密は、花のように見える部位は額であると前に書きました。
言いかえれば、花弁を持たない花なのです。



少し「ガックシ」ですね。
でも蔓系植物の女王だとも言われているのですから、そう思って鑑賞すると優美ではあります。



クレマチスに恋する




クレマチスの花言葉は、多様だ。
「精神的な美しさ」「たくらみ」「高潔」「旅人の喜び」「心の美しさ」「貧弱」
とある。

イメージとしては、蔓が「か細く」かつ花が「華美」であるところから、こうした花言葉になっているとも言われているのである。



ヨーロッパでは主に修景に用いられる。最近はバラと組み合わせてオベリスクやアーチに絡めたり、ワイヤーで誘引し壁面を這わせる仕立て方が人気でイングリッシュガーデンの主役を飾るのである。



テッセン(鉄線)およびカザグルマ(風車)は、クレマチス(センニンソウ属)に属する種の名前だが、クレマチス全体を指してテッセンやカザグルマの名が使われることもあるけれど、厳密には違う花を指す言葉である。





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 荒野人

紫陽花が咲くとき

2011年05月29日 | 
27日、関東も入梅したとの報道があった。
紫陽花の季節が来たのである。

入梅と同時に台風も襲ってきた。
フィリピンから台湾の間の海で産まれるのが台風である。
台風の台は台湾の台である。



台風2号は温帯低気圧に変わったようだ。
だがしかし、明日にかけて大雨だとも言う。
雨に降り込められる一日となりそうである。

さて・・・我が家の近在の紫陽花は、咲く準備に余念がない。
雨に濡れる紫陽花は何とも例えようも無い。



この紫陽花が満開になる頃、ぼくは練馬区にある豊島園のアジサイ園に出かける。
ここには野生の紫陽花が多く、原種の素朴さが漂っているのである。



ピンク、紫、青、あるいはまたそのグラデーションが見事である。



土によって色が違うのだという。
酸性であるとか、アルカリ性であるとか知ったかぶりしてみたこともあったけれど、そんな事は大した問題では無い。

紫陽花は綺麗なのである。



葉に隠れるように咲く花玉もある。
この葉と花の下に隠れる小動物だっている。

紫陽花は、花の盛りが終わっても花弁の色を変えながら枝に付いている。
そのひたむきさが好きだ。

間もなく満開だ・・・。






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 荒野人

旧・日立航空機立川工場変電所の壁に残る弾痕

2011年05月29日 | 日記
東大和市にある都立公園に一画に、戦争の悲惨と残酷、そしてそれを遂行する酷薄という人間性を今に残している。
弾痕に纏われた建屋は静かに立ちすくんでいるのである。



戦という亡霊の在りし日の姿である。


旧・日立航空機株式会社立川工場変電所の壁に残る弾痕



悼む。



碑を以って悼むのは、後世の人々の浅はかな記憶の追悼である。
なによりも免罪符を求める、愚かしくも愛おしい行為としては温かく見守られるのである。

戦争と言う人殺しは、断じて行ってはならず!
それが人類の英知であるのだ。

ネットの情報では、俳優の山本太郎が出演予定のドラマを降板させられたとある。
原発反対を発言した途端、ドラマを降板させられ干されたと地震のツィッターで明らかにしたのである。

いつの間に、日本はこんな国になってしまったのだろうか。
怖ろしい情報統制の匂いがするのである。
自由で民主的な国でなくなっている・・・。

忖度するという日本の美しい精神世界が、いつの間にか予め危険を避けるという臆病者の言い訳になっていはしまいか??






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 荒野人

ブラッシの赤き花

2011年05月28日 | 
ブラッシの木に赤い花が咲いた。
穂状花序をなし、花序全体がブラシのように見えるのである。



開く前の、ほんの一瞬である。



開き始めた。
この花は、おしべが花のように見えるのである。



いかにも、ブラッシである。
これならコップの底も綺麗に洗えるではないか。



花言葉は・・・。

「恋の炎」「儚い恋」である。



ブラッシの木の学名の「カリステモン」はギリシャ語で「美しい雄しべ」という意味である。
これは頷ける。



極めて個性的な花であって、花序の先から枝が伸びるという珍しい特徴を持つのである。

深い赤の世界が広がっている。
ブラッシの赤き花にぼくは恋してしまっている。




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 荒野人