エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

今日の桜花 Vol,2

2010年03月31日 | 日記
天気予報によると、午前中は青空を背景に桜花が撮れるでしょう!
どのチャンネルもそう言っていたのである。

実態は、どんよりとした空模様で少しばかりがっかりであった。



上野公園へ出かけてみたのである。
人出はそれなりにあって、桜花は全体平均では3~4分咲き程度であった。

花見客の多くは、アジアからの観光客らしく嬉々として記念写真を撮っている。
「満開だともっと素敵」ですよ!
と声をかけたい気分である。



樹によっては8分咲きもあってなかなかである。
おそらく満開はこの土日であろうと思われる。



上野の五重ノ塔である。
ここも満開の桜だともっと素晴らしい出来栄えとなる。

東照宮の神楽殿脇の桜は春の兆しに満ちていた。



現在デジブックを作成中である。
明日にはアップ出来ると思う。

御期待あれ!




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               荒野人

今日の桜花 Vol,1

2010年03月30日 | 日記
開花宣言から、かれこれ10日あまり。
いまだ2~3分咲きに止まっている。

それは楽しい出来事であるけれど、寒さに凍える蕾が可哀想でもある。

今日は、昨日よりは暖かいと言えども、風の冷たさは身を切るようである。



午前中は青空が桜花を鮮やかに見せていた。
午後3時以降は、寒さが厳しくなり空もどんよりと曇ってきた。



それでも、桜は綺麗である。
染井吉野の姿形は、いかなる天気にも美しく見せる術をわきまえていると言えるのだ。



東京の北区に染井墓地がある。
その周囲には造園業者が多いのであり、庭師も多く居住していた。
そうした庭師たちの作品が染井吉野という桜である。

染井墓地には、著名な人の墓が多い。

名前を列記してみよう。
  岡倉天心  幣原喜重郎  高村光雲 光太郎 智恵子  二葉亭四迷  宮武外骨
  芥川龍之介  谷崎潤一郎  千葉周作  水原秋桜子
などと枚挙に暇(いとま)が無い。
また、この墓地は水戸徳川家の墓所でもある。



智恵子抄という詩集で有名な高村光太郎・智恵子の墓である。
ここには父であり著名な彫刻家、光雲も眠っている。



芥川龍之介の墓である。
芥川は現在においても私小説の巨大な峰を形作っているのである。

また、もう一つ霊験新たかな墓所がある。
「お岩さん」である。
たたりを恐れてか、今でも映画やドラマ化する場合、スタッフやキャストたちはこの墓所に詣でるのである。

とまれ、染井吉野は咲き始めている。



この咲き初めた桜花を、小鳥が啄(つい)ばんでいる。
蜜の甘さに誘われているのである。





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スノーフレーク~大待雪草の美しき肢体

2010年03月30日 | 日記
スノーフレークが今を盛りと咲いている。
まるでスズランのように。



学名: Leucojum aestivum 別名:オオマツユキソウ(大待雪草),スズランズイセン(鈴蘭水仙)。
花期は春。
ヒガンバナ科である。





スノーフレーク

            ~その美しき肢体に捧ぐ~


       その艶やかな裳裾は
       天平の妖しくも妖艶な壁画に刻まれた
       女性の一人であるのか
       何かを語りだそうとする唇は
       美しく可憐に開く

       スノーフレ-クは
       裳裾の広がりにも似て
       ぼくを包み込むのだ
       許されるならぼくはその内なる世界に埋没して
       時空を超えたいと希求する

       誰にも与えてはならない
       秘めたるその分泌する甘美な体液を
       ぼくのためだけに
       滲ませるのだ
       時空は誰の手によっても破壊できない
       時空は堅牢たる
       スノーフレークの心象世界であるのだ

       スノーフレークが純潔であるなら
       ぼくは純情でありたいのだ
       時空は一途の道となって
       永劫に続いていく





スノーフレークの花言葉は「純潔」である。
4月16日の誕生花でもある。

ヨーロッパでは1年365日、誕生花がある。
その美しき風習の始めは、ギリシア・ローマの神話時代に遡(さかのぼ)る。
その頃、花や木々は神秘的な力や神からのメッセージを宿すものと考えられていた。
ギリシア・ローマの人達は日々を司る神がいると信じ、その神と花を結び合わせて暦にしたのが誕生花であるのだ。

美しき習いである。





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雪柳・・・その真白き花

2010年03月29日 | 日記





         雪 柳


       雪柳
       その白き連なりよ
       
       おしいただく
       連なりの
       白さよ

       雪柳が
       つぶやくように咲く
       名残の雪が
       重く
       湿ったまま
       降り積んだ
       景色

       雪柳よ
       連なって
       降り積むように
       咲け

       はらはらと散るのでなく
       ポタポタと落ちよ
       落ちて
       その真白き花を
       敷き詰め
       やがて
       流れ行け

       流れ行き
       辿りつく心象の景色
       多角的重層的
       かつ
       刹那的な叙事詩に
       きみの
       生きる術を
       投げ捨てよ
       さらば
       ぼくはきみの全ての前に
       身も心も投げうとう

       雪柳よ
       その真白き姿を
       白き連なりを
       ぼくに捧げよ





この雪柳、小手毬(こでまり)と間違えられる。
花が毬状になっているのが小手毬であって、雪柳は一つ一つの花が独立している。
似て非なるものである。



ユスラウメの花が混じって咲いている。
ここは毎年こうした咲き方をして目を楽しませてくれる。

白とピンクのコンビネーションは見事な色彩感覚で構成されている。



桜花の先触れのように咲いているのである。
雪柳の白さは素直に楽しめる。

春先は、田舎の庭先が華やぐ季節なのである。






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春は連翹(れんぎょう)とともに

2010年03月28日 | 日記
春は満開の桜花とともに訪れるけれど、実は黄色い連翹(れんぎょう)の花こそが春を連れてくると言いたい。



連翹の黄色が目に沁みるようになってくると、穏やかに空気が熟成してくるのである。
それは春の気配であり、春の風景のたおやかさでもある。



お隣の国「韓国」のソウルは、ハンガン沿いにこの連翹が咲き誇ると春が来るのである。
インチョン空港から海岸沿いを走り、やがて漢江(ハンガン}に沿ってソウルに向かうと、川沿いに黄色い連翹の花が咲き誇る。

美しい川沿いの道路である。
ソウルのこの季節が、ぼくは大好きである。



菜の花の色とも違い、一つ一つの花がシャープである。
それが連翹の特徴でもある。

日本列島を連翹が染める頃、ぼくは春の「あけぼの」を楽しみたくなる。





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