エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

南アルプスの夕景

2010年08月31日 | 日記
八ヶ岳の麓では、ようやく秋風がそよぎ始めたのである。
東京では、相も変わらず暑い日が続いている。

こんな気候にしたのは「誰だっ!」。
ごめん・・・ぼくたち人間だ。



自然を破壊する事の恐怖は「風の谷のナウシカ」で宮崎駿氏が世に問うている。
腐海(ふかい)が健康な森や林を呑みこんでいく恐怖である。

南アルプスの山の神々は、そんな愚かな人間の行為を抱きこもうとしているのかもしれない。



夏の雲よ・・・来い!
そう言って夏の雲を集め、呑みこもうとしているのである。



空には、秋の雲が幅を利かせて始めた。
目に涼しい。

掃いたような雲たちが空を彩り始めている。

南アルプスの夕景は、秋を告知しているのである。






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高原に秋が・・・

2010年08月30日 | 日記
八ヶ岳の麓にようやく秋が訪れようとしている。
今年、初めて秋の雲を見たのである。



八ヶ岳である。



コスモスが綺麗に咲き始めている。



これはキバナコスモス。
鮮やかな濃い黄色である。

この花は近いでも見られるのである。
けれど、高原だと色がより鮮やかであって、しかも目に優しい。



トウモロコシ畑である。

高原の収穫物は、甘く・・・かつ歯に弾けるような瑞々しさがある。



セロリ畑である。
この畑の横を通り過ぎる時、セロリの香りが鼻孔を打った。

高原の清んだ空気とあいまって、気分が爽やかになって行くのである。



極めつけはこれ。
そばの花が満開になって、白さが増している。
そばの向こうの稲が、色づいてきている。

刈り取りが近付いているのである。

実りの秋である。





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ぼくも枯れススキなのか

2010年08月28日 | 旅行
おれは河原の枯れすすき・・・。
故人となった「森繁久弥」氏が、独特の節回しとブレス(息継ぎ)の妙でヒットさせた歌である。



枯尾花(かれおばな)とも言う。



秋風こそが似合う穂先の銀色の輝きである。



とりわけ、山並みを背景にしたり川の水を背景とすると一際目立ってくるのである。



花言葉は・・・。

「活力」
「精力」
「心が通じる」
「隠退」
「勢力」
「 生命力」

とある。



少しく冗舌に語ると・・・。

「心が通じる」
「悔いのない青春」

である。



秋の訪れが色濃く漂うのである。





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吾亦紅(われもこう)に寄せて

2010年08月27日 | 日記
すぎもとまさと氏作詞・作曲の同名の歌がある。
ぼくは時折、車の中で聴くけれど、涙誘われる歌ではある。

ぼくは大学時代に母を失った。
マザコンとしては、感激して聴いてしまうのである。

しかし、何回か聞くうちに歌詞に重大な瑕疵(かし)があることに気付いたのである。
「離婚するから、初めて自分を生きる」という意味合いの部分である。

結婚生活は自分を殺して生きるのか!
と、問わざるを得ないのである。
結婚生活が共同の営みであるからこそ、自分が生かされるのではないのか?



今日紹介するのは、車山高原の吾亦紅である。



吾亦紅・・・吾もまた紅(あか)なり。



花言葉も美しい。
「愛慕」
「変化」
である。



高原の風に揺れる吾亦紅である。
スックと立ち上がっているその姿は凛凛しく感じられるのである



吾亦紅の先にトンボがチョコンと乗っていた。
季節は感じられるのであるけれど、下界の暑さには参った!



この日、白樺湖湖畔のホテルに投宿したけれど、夜まで蒸し暑さが続いたのである。





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一面そばの花

2010年08月26日 | 旅行
小淵沢から富士見高原を経て、原村方向に車を走らせると一面のそば畑が眼に飛び込んでくる。
白い可憐な花である。



この日、空は蒼く高かった。
その蒼いキャンバスに雲が描く風景は素晴らしく、感動的ですらあった。



そばの花の花言葉は、少しばかり冗舌である。

「喜びも 悲しみも」
「あなたを救う」
「あなたのそばにいたい」
「懐かしい思い出」

などがある。



あなたのそばにいたい・・・ダジャレであるのか?
とも思うけれど、これが何だかしっくりするのは、ぼくが年老いたからなのだろうか。



そばは、縄文時代以前からあったとされている。
縄文時代の食料の一つであった事は言をまたない。



俳聖・松尾芭蕉にこんな作がある。

  「蕎麦はまだ 花でもてなす 山路かな」

心に染みいるような俳句である。







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