エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

山茱萸の花

2016年02月29日 | ポエム
サンシュユ、である。
古来から、その実は漢方の生材として珍鳥されて来た。
韓国では、精力機能を期待しているらしい。

体力増強の生材であることは、論を俟たない。
いまが花の開花時機、である。



黄色くて、ツンツン咲く。
葉は伴わない。
枯枝に花が付くのだ。
マンサクと同様である。



とまれ、春に魁けて咲く。







「山茱萸の花つんつんと明日は雨」







山茱萸の花言葉は・・・。
「持続」「耐久」「 気丈な愛」だ。。
中国、朝鮮原産の植物である。



咲くのが待ち遠しい。
そんな花である。



     荒 野人

廃屋や

2016年02月28日 | ポエム
我が家の近くに、廃屋が一軒。
かつて火を出した家、である。
その火事以降、人は住んでいない。

そろそろ十年近くにもなろうか・・・。
この家の周りは、現在新しい径作りで交通止めとなっている。

余計に、人が住まない家の不気味さが漂っている。







「廃屋や散々に枯る窓の蔦」







持ち主が誰かは分からないけれど、何か余程の思い入れがあるのだろうか?
あるいは、持ち主がお亡くなりになってしまっている・・・。
縁故者も居られない・・・。

廃屋化している理由は、それほど多くはないであろう。
工事の邪魔になっているし、新道路に夥しく食い込んでいる。

行政の怠慢と云うべきか。
あるいはまた、持ち主がかなりの偏屈なのか。

不思議な一画である。

蔦、もしくは枯蔦が季語だ。
三冬である。



     荒 野人

メジロ

2016年02月27日 | ポエム
早咲きの桜。
春に目ざといメジロが来ている。
蜜を吸い、花を落として遊んでいる。



目の周りが白いから「目白」。
分かり易いネーミングである。



今年、初めてじっくりと写真を撮らせてくれた。
メジロに感謝!

生の営みが目の前にある。
なんと楽しいことであろう。







「メジロただ花の波頭の遊び人」







大分前から、メジロは目にしていたけれど・・・。
そのすばしこさに、写真が撮れなかった。



満開の桜では、逃げようも無く遊んでくれる。
メジロ・・・春を告げる鳥である。



     荒 野人

深山含笑

2016年02月26日 | ポエム
深山含笑・・・実に奥深さを感じる和名である。
みやまがんしょう、と発する!
この花に関しては、2014年03月17日のエピローグに記述してある。

そのブログの書き出しは、以下であった。
「オガタマノキが同種であるけれど、深山含笑の清楚さには全く負ける。」



その記述通りに今年も咲いてくれた。
全き「白」である。



この清楚さは、筆舌に尽くし難い。



ぼくは、この花だけを撮りに植物園に出かけた。
この木から離れることも無く、ひたすらシャッターを切り続けた。

いまが丁度満開である。



そう・・・この白さは空の蒼さに決して負けることは無い。







「戴天の蒼に染まらぬ深山含笑」







花言葉は「甘い誘惑」である。
確かに誘われる。

この仄かに甘き匂いは、そそられるのである。
煽情する匂いである。



更に見せよう。



この花はその白さの故に、開くと同時に腐食が始まる。
見所は一瞬なのである。

加えて、花が開く時に額の残滓を纏う。
それもまた、ポイントなのである。
いかに美しく写し取るのか、それが勝負所でもある。

白さの全き清潔さは、誰も侵すことのできない輝きを持っている。
深山で咲く所以である。

この花の前で、春は笑うしか無いのである。



     荒 野人


コンサート

2016年02月25日 | ポエム
ある夜、コンサートに出かけた。
東大フォイヤーヴェルク管弦楽団の定期演奏会である。

賛助会員になって、このオーケストラを支援している。
ブログの友のご子息が、コンサートマスターであったという景胃によるものである。
このご子息は、既に社会人だけれど定期演奏会に参加し続けている。

第一ヴァイオリンのコンマスだったけれど、社会人になってからはヴイオラを弾いてこのオケを支えている。
すっかり社会人然として、落ち着いた雰囲気を備えている。
このオケの、楽しみの一つでもある。

団員の成長が見えるのである。



プログラムの表紙である。

現役の大学生が中心である。
そのオケを卒業生たちが支えている。
だからと云う訳では無いけれど、一年が経過するとメンバーの入れ替えがある。

音が違ってくる。
その違いもまた、楽しいのである。

この夜は、34回の定期演奏会である。
まことに時機を得たプログラムであった。
とりわけ、チャイコフスキーの一番はパーカッションが大切である。







「春浅しトライアングル良く響く」







丁度コンサートが終った舞台、である。
パーカッションの響きが、とても良かった。

ティンパニーの余韻であったり、トライアングルの冴えた音色が良かった。
比較的管楽器が弱いのだけれど、この夜はとても良く響いていた。
そうそう、ハープも良かった。

次回の演奏会は、七月である。



     荒 野人