エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

終の葉

2016年11月30日 | ポエム
終の葉が、風に揺れる。
秋を踏ん張ろうとするのだけれど、もはや季節は冬。
抗いようも無い。



凍空にシルエットとなって、虚空を睥睨(へいげい)する。
なんと云う鋭さであろうか。



銀杏黄葉も、桜紅葉もおし並べて終の葉を湛えようとする。
だがしかし、そうは問屋がおろさない。

間もなく冬至、なのだ。







「終の葉の落ちて凍空始まれり」







空を指すのは、外でもない。
人に季節を知らしむる、のである。

ぼくは、その自然の営みに感動する。
いよいよ、俳句の山への本格的な登攀が始まる。
自らに課した修行とするために、登攀する。



喘ぎつつ・・・。
たった一人で・・・。
だが・・・新たな句友が生まれるであろう。



      荒 野人


農溝の滝

2016年11月29日 | ポエム
のうみぞのたき・・・である。
最新の観光地、である。
従って、まだ遊歩道もそれほど完備している訳ではない。

地元の方が、インスタグラムで発信して一躍有名になった。
そのコピーは「まるで、ジブリの世界」のようだというのである。



滝を覗く場所まで降りて、駐車場に戻る途中にのみ木道が渡されている。
撓垂れ掛かる紅葉に、雪が舞い降りている。

雪の着地点は、紅葉の上である。
せせらぎに、溶け入りもする。
木道を化粧する。

様々な顔を見せてくれる。







「丸窓の石の額縁雪降れり」







流れは鋭いけれど、穏やかな円形の窓に守られている。
その円形の額縁が、ジブリの世界を演出している。

不思議な空間、である。



       荒 野人

二三恵さん哀悼の五句

2016年11月28日 | ポエム
二三恵(ふさえ)さんは、かつてぼくが所属していた俳句結社の副主宰。
同郷ということもあり、様々なシーンで立てて頂いた。

まだ未熟だった野人を、励まし且つ導いてくれた。
具体的な助言を頂いた事は無かったけれど、暖かく優しい視線で励ましてくれたのであった。
逝去され、ご家族で密葬に附された。

昨日、俳句結社が偲ぶ会を催されたと聞いた。
闇雲に外を歩きながら、追悼句を詠んだ。






 二三恵さんを追悼する
   謹んで追悼句五句を捧げん  野 人

「南天の実の優しさよ君逝けり」
「小春日や痛哭の風織り交ぜる」
「一ひらの葉に躓けり冬ざれり」
「名の木枯る足早に逝く君の影」
「冬薔薇語りかけらる耳痒し」

二三恵さんは、きっとこう云っている。
「野人さん、自分の信じる道を歩めば良いのよ!」
と。







南天の実が、身体に沁みてくるように二三恵さんの眼差しが蘇ってくる。
ぼくが結社と縁を切った事、きっと心配してくれたのだろうと思う。
二三恵さんの優しさだろうか、特段に慰留するでもなく見守っていてくれたのだった。

結社を辞した後、一度も話しをした事が無かった。
今では、それで良かったと思っている。



南天の実を残しつつ、雪うさぎを作ろうと思う。
もちろん、南天の実はうさぎの目である。



改めて、白い南天の実を捧げつつ哀悼の誠を捧げる。
二三恵さん、野人はいま何合目まで俳句の山を登ったのでしょうか。
俳句の山を登攀する意欲は、まだ衰えておりません。

結社を辞して以降、無為な時間も多くありました・・・。
いまは、結社「繪硝子」で学んでおります。
和田順子主宰の指導を頂いております。
喜んで頂けると・・・野人は思っております。

「あら、良かったわね!」
と。



     荒 野人


養老渓谷

2016年11月27日 | ポエム
時ならぬ初雪があった日、千葉県の紅葉名所「養老渓谷」に出かけた。
紅葉に白い雪。
そのコントラストは、誠に見事であって滅多に出会えない。

おそらく・・・ぼくが死ぬる後もこうした景色は無いであろう。






「渓谷に季節重ねる雪降れり」







遊歩道の途中に三本の置石の渡りがあって、雪の為に難儀をした。
しかし、一見の価値ある景色に皆苦情を言わない。

縛れる寒さであったけれど、黙々と自然の中に身を置いている。
それが、楽しいのである。



この流れは、本流に合流してくる支流である。
その風情たるや、筆舌に尽くし難い。

泥濘の雪道を踏破したからこそ、出会えるのである。
自己満足であるけれど、嬉しい。

自然の造形は、神の意匠である。
そう思えるのである。



     荒 野人

シンコペーション

2016年11月26日 | ポエム
syncopationとは、西洋音楽において拍節の強拍と弱拍のパターンを変えて独特の効果をもたらすことを言う。
日本語訳では「切分法」とする。

冬隣・・・晩秋から初冬にかけて「季節の音」は、シンコペーションである。
とりわけ、紅葉・黄葉のコンビネーションはそれである。



この林の中を歩きながら、ぼくは音を聞いている。
耳を敏くする。
豊かなオーケストラの音が、響いてくるのだ。



ぼくは、シャボン玉になって林を遊弋する。
風でもなく、女神の吐息で揺れる。

贅沢なシャボン玉、である。







「耳敏しシンコペーション秋の音」







こうして、ぼくの秋は終わり冬に入る。



錦木の赤は敏い。
その敏さに感動する。

錦木の赤は、オーケストラのチューニング。
オーボエが聞こえ、やがてコンマスの弦が響く。
コンサートのプログラム前の、このチューニングの時間が大好きだ。



やがて、陶然とした時間が流れるのだ。



     荒 野人