エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

桂枝雀を聴いている

2012年03月31日 | 日記
このところ、改めて桂枝雀を聴いている。
西の爆笑王とも言われた噺家である。

彼は自殺して果てたのであった。
人を笑わせる仕事の彼が鬱であったのだ。



それも深刻な鬱であって、自殺の危険が医師からも告げられていたのであった。

1999年3月に自殺を図り、意識が回復する事なく4月19日に心不全のため死去した。
59歳没。
同世代の噺家の中では『東の志ん朝、西の枝雀』とも称されていた。
奇しくも二人共自殺であった。

正統派の志ん朝も大好きであった。
枝雀の、しかし破天荒な話が最も好きであった。

愛宕山を聴いている。
時うどんを聴いている。

腹の底から面白い。



多くのCDが出されているけれど、DVDで彼の所作、表情を見ながら聴くのが最高である。
だがしかし、Ipodに入れて聴いている。
生前の彼を知って知るから、所作や表情が充分に想像できる。

枝雀の何処が良いのかって?
それは・・・以下の聴き応えである。
①言葉のリフレイン、繰り返しによる滑稽味
②所作のリフレイン、繰り返しによる面白さの増幅
③所作の大きさ、高座に収まりきれない大きさ
④表情の百面相的変化、類い稀なる顔の筋肉の強さ
⑤圧倒的な括舌、その言葉回しの早さ、早口が早口で亡くなる見事さ
⑥理論に裏打ちされた噺の展開、時代時代の人の存在感
⑦声調の豊かさ、その声量も豊かである
⑧声音の豊かさ、声で表現する能力の確かさ
などなどが挙げられるのである。
ただし、これはぼくがそう思っているだけである。

桂枝雀は落語の真髄は笑いであり「笑いは緊張の緩和である」を原点にして生涯、笑いを追求し、論理化し続けたのであった。
従って、深く深く彼は笑いの緊張に身を委ねてしまったのだと思う。
ふっと、緩和すれば良かったのにと思わざるを得ないのである。

ごめんなさい。
今日は俳句は1句のみ。
枝雀に哀悼の意を表したいのである。




       悲しさも笑いで包む雀の子         野 人




枝雀の出囃子は「昼飯(ひるまま)」である。
出囃子とは、三味線や太鼓などで噺家を送りだす音曲である。
落語家が高座に登場する時の音楽の1フレーズなのである。

言ってみれば「ちゃんちゃん!」と音楽が終わった時に座布団に座っていて、頭が垂れている状態から頭を上げ、客席を見て「え~っ・・・」と噺が始まるのである。

出囃子で有名なのは以下の通りである。

梅は咲いたか:3代目春風亭柳好・6代目柳家つば女・9代目春風亭小柳枝・立川志の輔
越後獅子:古今亭志ん輔
老松:3代目古今亭志ん朝
お江戸日本橋:3代目三遊亭遊三
木曽節:6代目月の家圓鏡
金毘羅船々:4代目桂米丸・3代目柳家権太楼
佐渡おけさ:林家こん平
さわぎ:春風亭小朝・桂歌春
大漁節:桂歌丸
鳩ぽっぽ:三遊亭らん丈・立川志らく

上方落語では・・・。

ああそれなのに:月亭可朝(または『芸者ワルツ』)
夫婦万歳:月亭八方
元禄花見踊り:5代目桂米團治(3代目小米朝時代)
軒簾(のきすだれ):桂三枝・5代目桂文枝(3代目小文枝時代)
春はうれしや:笑福亭鶴光
円馬囃子:桂文珍

といった具合である。
出囃子から噺は始っているのである。
枝雀はその出囃子すら笑いにしたのであった。

本当に面白く、魅力的な噺家であった。

合掌





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      荒 野人

季節4題

2012年03月30日 | ポエム
季節4題と称して、即興で俳句を詠んだ。
完成度は低いけれど、暖かさにつられて表に出る気分は詠めたと思うのである。

椿、菜の花、白木蓮、そして梅である。
今日は、これからグーンと気温が上がると言うのである。

きっと明日は、汗を掻いたよといった内容で認(したた)めると思う。
今日は、花の写真で俳句を一句挟んで多くを語らない。
素っ気ないことこの上ないけれど、御了承を頂ければ幸いである。

では・・・。







      菜の花の譲らず咲ける花壇かな      野 人






菜の花である。






      梅が香の青空にこそ漂えり       野 人
  





梅である。






      空間を切り裂き咲ける白木蓮       野 人    






白木蓮である。






      散る椿道にはらはら通せんぼ       野 人






椿である

この4句、あくまで即興である。
言葉が不足している・・・ボキャブラリの貧困を痛感する瞬間である。
表現力の生硬さは度し難い。

許されたい。





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      荒 野人

馬酔木と沈丁花

2012年03月29日 | ポエム
馬酔木が満開である。
しかして、チンチョウゲが綻び始めた。

誠に爽やかで甘い香りを放っているのである。
春を満腔で感じられる今日この頃である。

馬酔木の流れるような房の連なりをじっと見つめたのである。
沈丁花のにほひに身を委ねたのである。

由利先生の普段からの御指導である。






      咲き流る馬酔木の午後の気怠るさや          野 人






馬酔木の花言葉は「犠牲」「二人で旅をしよう」「清純な心」
である。

学名は「Pieris japonica」である。
Pierisはアセビ属、japonicaは日本の~といった意味である。
Pieris(ピエリス)は、ギリシャ神話の詩の女神「Pieris」の名前にちなんだものだ。

古今東西、詩歌に詠まれてきた花である。
例えば、万葉集では多く詠まれている。

 「池水に 影さへ見えて 咲きにほう
あしびの花を 袖に扱入(こき)れな」
万葉集 大伴家持(おおとものやかもち)

「磯の上に 生ふるあしびを 手折らめど
見すべき君が ありといはなくに」
万葉集 大来皇女(おおくのひめみこ)

「わが背子に わが恋ふらくは 奥山の
あしびの花の 今盛りなり」
万葉集

「河蝦(かわず)鳴く 吉野の川の 瀧の上の
馬酔木の花ぞ 末(はし)に置くなゆめ」

などがある。
これらは和歌である。






       ふと時雨曙光さしたり沈丁花         野 人






沈丁花こそ、季節を告ぐる花である。
甘いかほりとともに。

花言葉は「栄光」「不死」「不滅」「歓楽」「永遠」
である。

この花の名前も、ギリシャ神話に拠っている。

学名の「Daphne odora」の「Daphne」はギリシア神話の女神ダフネにちなむ。
「odora」は芳香があることを意味するのである。

ギリシア語で月桂樹の意味を持つのである。
アポローンに求愛され自らの姿を月桂樹に変えたのである。

花はギリシャ神話に依拠するケースが多い。
それほど不思議で麗しいのが、花なのである。





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      荒 野人

下弦の三日月

2012年03月28日 | ポエム
今日は改めて下弦の三日月を眺めたのであった。
もう少し右方向に立てれば、完全に「旗本退屈男」早乙女主水之介の、額の向こう傷である。



「禄は低けれど直参旗本」
「天下御免の向う傷、パッ!」

旗本退屈男の決め台詞である。
このセリフを名セリフにまで高めたのは「市川右太衛門」である。
北大路欣也は彼の次男である。






      三日月の下弦で照らす白木蓮        野 人

      托鉢の椀にも似たり春の月          野 人




春めいた一日であった。
気分のままに、梅の花を眺めた。



ヒヨドリが蜜を吸いに来ていたのである。
けたたましく鳴き、それまで梅の木に群がっていたメジロを追い払ってしまった。

これも命の連鎖であろう・・・そう思うと、ヒヨドリの大きな身体も愛おしいのである。

「からまつ」の由利主宰に叱られそうな句ばかり詠んでいる。
「俳句道即人間道」
その精神には、道遠しである。






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      荒 野人





所詮、人間て奴は自分勝手であるという事

2012年03月27日 | ポエム
梅が咲かなければ、まだかまだかと督促する。
咲けば咲いたで、今度は見向きもせずにサクラサクラと騒ぐ。

所詮自分勝手な生き物が「ヒト」であると謂わざるを得ないではないか。
「梅は咲いたか~桜はまだかいな~」とか言って乙にいる。
かく言う自分であるけれど・・・。



この日、ぼくは従弟と石神井公園に出かけたのである。
水温む気配に心が弾んだ。

そりゃそうだ・・・。
昨日、この従弟に初孫が誕生した。
名前は「レオ」というらしいのだけれど、漢字がどんなか「難しい字だよ!」とか言う。

ジャングル大帝のパンジャの子だね、その名前とか言いあいながら、石神井公園の池のほとりを歩いたのであった。



天気は今一であった。
あったけれど従弟を「おじいちゃん!」とか言ってからかいながら、楽しい時間を過ごしたのであった。



さて、桜である。
このように蕾は固い。



木蓮は咲き初めていると云うのにである。
あの産毛を掠めた陽射しは鼻に注がれているのである。

春がそこにいる。



ぼくたちは、公園内の茶店?で味噌おでんと甘酒をいただいた。



この甘酒、ノン・アルコールである。
気分だけ甘酒。
少しもてあまし気味に頂いたのであった。

石神井公園の春を紹介しよう・



トサミズキの花である。
花が全て下を向いている。

例えば、4月末くらいに咲く「カタクリ」はピンクで花が可愛らしいけれど、地味な花である。





       植垣の俯くほどやトサミズキ         野 人




と、言ったイマージュである。
ぼくはこの花を見ると、いつもマラソンの土佐選手が想起される。
地味な、しかし一流の選手である。



ネコヤナギである。
産毛の確かに春を思うのである。



これは柳の若葉。
垂れている様は、そこに天女が潜んでいるような気配である。



蕗の薹である。
これは、食用に耐える?
苦しいけれど、天ぷらに限って食べられるかもしれないのである。

春の野草は「ほろ苦い」。
それが美味いのである。



ニリンソウである。
一輪が咲き、その下にもう一輪が蕾を膨らましている。

この花が一輪だと「イチリンソウ」と言う。
分かりやすい花の名前である。



タチツボスミレである。
可憐なスミレである。

陽だまりにこっそり咲いている。
意識して見ないと、見過ごしてしまいそうである。







     新しき命が産まれ春夕焼         野 人





従弟と分かれた後、空が夕焼けに染まった。
春夕焼である。





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      荒 野人