エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

アルベロベッロ

2012年07月31日 | 旅行
アルベロベッロのトゥルッリの写真アルベロベッロのトゥルッリ (トリップアドバイザー提供)

アルベロベッロにはトルッロ(「部屋一つ屋根一つ」の意)という建物が約1,000軒ある。
16世紀半ばに約40軒のトルッロが建てられ、以後100年の間に土地開墾のため集めた農民が住むのにこの家屋を作らせたといわれる。







「アルベロベッロお伽話しの夏の夢」





一つの屋根に平らな石を何層にもつみかさねており、一つの屋根に一つの部屋がある。玄関や廊下がないので、ドアをあけるといきなり部屋に入る構造になっている。
とんがり屋根がひしめき合う、まるでおとぎの国のような街である。

これらトルッロ群(複数形で「トルッリ」)は「アルベロベッロのトゥルッリ」として1996年に世界遺産として登録されている。






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  荒 野人


ポンペイの遺跡

2012年07月30日 | 旅行


ポンペイの遺跡である。
ポンペイは、、イタリア・ナポリ近郊にあった古代都市。
79年のヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれたことで知られ、その遺跡はユネスコの世界遺産に指定されているのである。

ローマ人の余暇地として繁栄したポンペイの最盛期の人口は約2万人といわれる。
都市機能としては充分なものがあり、大きな都市であった。



噴火当時のイメージ画である。

62年2月5日、ポンペイを襲った激しい地震によりポンペイや他のカンパニア諸都市は大きな被害を受けた。
町はすぐに以前より立派に再建されたが、その再建作業も完全には終わらない79年8月24日にヴェスヴィオ火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続けた。
翌25日の噴火末期には火砕流が発生し、ポンペイ市は一瞬にして完全に地中に埋まった。
降下火山灰はその後も続いたのであった。




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  荒 野人

谷崎忌

2012年07月30日 | ポエム
今日は、谷崎潤一郎の忌日である。
谷崎忌は、この真夏の時期、梅雨明け前後なのである。







「谷崎忌供えられたる和菓子喰い」


「瘋癲や既に彼岸へ谷崎忌」


「谷崎忌妻の姉妹の朧たけぬ」







明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得ているし、現在でもその評価は揺るがない。
正に「文豪」であり「大谷崎」である。



初期は耽美主義の一派とされ、過剰なほどの女性愛やマゾヒズムなどのスキャンダラスな文脈で語られることも少なくない。
だが「痴人の愛」「春琴抄」「細雪」など、情痴や時代風俗などのテーマを扱う通俗性と文体や思想における芸術性を高いレベルで融和させた純文学の秀作によって世評は高いのである。



3冊とも新潮文庫である。

従って・・・と言うべきかどうか。
1960年代以降はノーベル文学賞の候補とされもし、また1964年(昭和39年)には日本人で初めて全米芸術院・米国文学芸術アカデミー名誉会員に選出されたのであった。





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  荒 野人

ピサの斜塔

2012年07月28日 | 旅行


ピサの斜塔である。
傾いているため、あまりにも有名な観光名所となってしまった。

さらには、ここでガリレオ・ガリレイが落下の法則を実験したことでも有名である。
ガリレオは、コペルニクスの地動説を証明した学者として有名である。
このためローマの異端審問所に召喚され宗教裁判にかけられた。







「斜めの塔幾年経たる草いきれ」





ガリレオは科学の問題について教会の権威やアリストテレス哲学に盲目的に従うことを拒絶し、哲学や宗教から科学を分離することに寄与し、「科学の父」と呼ばれることになる。

有罪とされたときに、「それでも地球は動いている」そう言ったというのである。
信念の学者である。



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  荒 野人