我が家のゆすら梅が咲いている。
花が終わって、結実する。
赤く熟すと食べられる。
甘酸っぱくて美味しい。
何回も同じことを書いて恐縮だけれど、人に食べられるために咲く花は愛おしい。
そう思うと、何故か後ろ姿すら美しい。
季節はいま、桜。
しだれ桜は、たおやかだ。
ぼくは、春風となって桜を抱きしめたい・・・。
視線を下ろせば、草木瓜の花が紅白入り乱れて咲く。
その、コントラストの絶妙な事。
自然の造形は流石であるとしか、云いようもない。
見上げれば桜、見下ろせば草木瓜。
視線の中庸は、連翹。
日差しを浴びて、気持良さそうである。
「ゆすら梅点々枝を装えり」
我が家のシンビジューム。
もう10年以上咲いてくれている。
愛おしさが、ひとしおである。
「今年も咲いてくれて、ありがとう。」
毎年そのように声をかける。
その平凡な幸せがある。
荒 野人
花が終わって、結実する。
赤く熟すと食べられる。
甘酸っぱくて美味しい。
何回も同じことを書いて恐縮だけれど、人に食べられるために咲く花は愛おしい。
そう思うと、何故か後ろ姿すら美しい。
季節はいま、桜。
しだれ桜は、たおやかだ。
ぼくは、春風となって桜を抱きしめたい・・・。
視線を下ろせば、草木瓜の花が紅白入り乱れて咲く。
その、コントラストの絶妙な事。
自然の造形は流石であるとしか、云いようもない。
見上げれば桜、見下ろせば草木瓜。
視線の中庸は、連翹。
日差しを浴びて、気持良さそうである。
「ゆすら梅点々枝を装えり」
我が家のシンビジューム。
もう10年以上咲いてくれている。
愛おしさが、ひとしおである。
「今年も咲いてくれて、ありがとう。」
毎年そのように声をかける。
その平凡な幸せがある。
荒 野人