エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

カタバミそしてエニシダ

2012年05月31日 | ポエム
カタバミは色彩のグラデーションが美しい。
花びらが淡いのが良い。

エニシダは黄色の色が鮮やかである。



まずはカタバミである。
生薬名は、酢漿草(サクショウソウ)とする。






  カタバミや淡きピンクの夢見たり  野人


  カタバミの頬赤らみぬ普段から  野人






花言葉は「心の輝き」「喜び」である。



生薬としては、消炎・解毒・下痢止めなどの作用があるとされる。
なんと、臨床実験で肝炎にも効果があったとの報告もあるのである。



貴重な生薬である。



次いで、エニシダである。

花言葉は「清潔」「謙遜」「清楚」「きれい好き」「上品」とある。
漢字で書くと「金雀子」である。







  エニシダや雨に濡れても色褪せず  野人







いずれも、楚たる花であって初夏を代表できる花である。



こんなに豪勢に咲くカタバミもある。
大体が、花壇で咲いていて、多くの場合ドクダミと共生しているのである。





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  荒 野人


ドクダミとユキノシタ

2012年05月30日 | ポエム
ドクダミもユキノシタも古来から薬草である。
火傷をした・・・それっドクダミの表皮を剥いで貼れ、と言われたものだ。
また、火傷の場合はアロエも使われた。



どれも火傷の炎症を緩和する効果があって、ヒンヤリと労わってくれたものだ。

ドクダミは、ことのほか臭いが強くて辟易したものだった。
アロエは、透明感があってヒンヤリとした記憶が強く残っている。



ユキノシタも然り。
表皮を剥いで患部にあてがってくれた。
母や祖母の優しい手が思い起こされるのである。







  ドクダミの其処にありしか白き花  野人


  祖母の手や干して刻めり十薬の  野人


  ユキノシタ神子鈴鳴らす風がある  野人


  雨降れば神楽鈴揺れユキノシタ  野人







どちらも乾燥させて、お茶として服用する慣習もある。
身体の内部から綺麗にしてくれる効用が期待できると言うのである。



さもありなん。
古人からの言い伝えが、連綿として語り継がれ定着した民間療法である。



従って、季語としても残されているのである。
優しい効用が身体に沁みてくる。



因みに、ドクダミは葉が薄いので揉んで患部に張った事が多い。
ユキノシタの葉は、比較的肉厚なので表皮をはいで患部に貼ったものである。



とまれ、そんな植物である。





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  荒 野人

姫女苑に捧ぐ

2012年05月29日 | ポエム
川の畔を歩いていた時、この花に出会った。
その花は、清楚に咲き、それでいて艶めかしかった。



花言葉は「素朴で清楚」。

北アメリカ原産の帰化植物である。
道端でよく見かける花である。







  姫女苑空き地に棲める色どりや  野人


  抱きしめる素として朴の姫女苑  野人







本来「紫苑(しおん)」の漢字が使われるべきなのだが、日本産で「姫紫苑」という別の植物があり、それと区別するため「姫女苑」の漢字をあてたらしいのだ。

このヒメジョオンは、昨日紹介した竹林に発する川沿いで出会った。



若竹の川が削ぎ落とされる時の音を感じながら、ヒメジョオンのような人とぼくは歩いた。



澄んだ川面から正に白鷺が飛び立たんとしていた。
かれもまた、漂泊の旅に出るのか。



湧水の源は穏やかで静かだった。
ひとは、この事を静謐と称する。

そうそう余談だけれど、ある女性が「この花は私・・・」と言っていた。
ならば、その花を摘んで、お浸しにして食べてみようか、などと思っている。








  抱けば折れ折れば愛しき姫女苑  野人







ヒメジョオンは食べられるのである。
柔らかい茎や花芽を摘んで湯がいたら、お浸しだ。
天ぷらなどにすると、初夏の味がする。
その苦さが野趣溢るる野草である。





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  荒 野人

皐月煌めく

2012年05月28日 | ポエム
タケノコが伸び、若竹に成長する。
皮を一枚一枚丁寧に脱いでいき、天を目指す。







  若竹の皮剥ぐ音の響きおる  野人


  風と居る竹林の影若々し  野人







ぼくはこのベンチでお尻を温めつつ俳句を詠もうとしたのである。
頬を、五月の爽やかな風が嬲るように過ぎていく。

だがしかし、皮が剥がれる時音は聴き取れなかった。
ある俳人は、その音を聴いたというのだが・・・。



風が香る様である。
皐月の風に身を任せるのだ。

イマージュが飛び、ぼくは竹林を飽きるままに眺めた。



この竹林に源を持つ湧水の流れを追った。
白鷺が羽を休める。







  水草の揺らぎのままの花流る  野人


  水光る銀鱗隠し雑魚遊べ  野人







水がキラキラしている。
水の生々流転は飽きることがないのである。



水草が揺れる。
水が煌めく。
風が薫る。
五月晴れの一日であった。




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  荒 野人

湯滝という趣き

2012年05月27日 | ポエム
湯の湖から注ぎ落ちる湯滝は、まことに勇壮である。
滝坪から、マイナスイオンが雲の峰のように湧き上がっている。

気分爽快を地で行く態である。



然も有難い事に、注ぎ落ちる水量の如何を問わず「菩薩」がその真中に浮かびあがっているのである。



菩薩に見えるかどうかは、見る者の心の在処次第である。



少なくとも、ぼくには菩薩の姿に見えたのである。
この滝は、菩薩と一緒に愛でるのが良い。

愛すべき女性と共に・・・といった意味である。
湯滝は日光三大名滝に数えられる。

「華厳の滝」「龍頭の滝」そして「湯滝」である。

湯ノ湖の南端にある高さ70メートルの滝で、湯川をせき止めて湯ノ湖をつくった三岳-みつだけ-溶岩流の岩壁を湖水が流れ落ちているのである。
幅は最大で25メートルもある。

誠に勇壮で、かつ大きい。
その水量に圧倒される。

日光に出かけたら、行ってみたい名所である。
期待を裏切らない滝である。

この滝から流れ落ちた水は、戦場ヶ原を過ぎ、中禅寺湖に注ぎ込む。



川の流れは意趣に富んでいる。



ぼくの好きな佇まいである。
この流れに沿って、木道が渡されている。

そのも木道を歩くと良い。
季節季節の趣きが出迎えてくれるのである。



そして、後ろを振り返ると湯滝の豪壮な姿が見られるのである。






  落ち口の水の轟き夏嵐  野人


  滝壷や次から次の夏の夢  野人







この滝の大きさは、この写真で確認出来ると思うのである。



滝坪で釣りに戯れる釣り人である。
人と流れ落ちる滝の姿のコントラストである。



湯滝。
この前日、奥日光には雨が降った。
その所為で水量が多いのだろうと思った。



だがしかし、湯滝レスト・ハウスの方は、これからは男体山の雪解け水が落ちてくるので、もっと水量は多くなる。
と教えてくれた。

きっと今頃が見頃であって、観光シーズンの幕開けであろうと推測するのである。





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  荒 野人