地方の女たち

夜の街で出会った女達と男達

戦争の憎しみ

2021-08-14 10:30:43 | 日記

「右の頬を殴られたら、左の頬を差し出せ・・」

私は右の頬を殴られたら、、、たぶん、、、殴り返します。

これで小さな戦争は始まります。

 

子供の時によく言われました 「先に手を出した方が悪い」

しかし、先に手を出す人にもそれなりの理由は有ります。

これが個人レベルの話なら、殴られる危険を感じたら「逃げる」と言う選択も有ります。

しかし、国レベルの話だと「逃げる」と言う選択は有りません。

 

殴った相手がその場から立ち去れば、殴られた方は二つの選択が有ります。

1つ目は追いかけて殴り返す。

2つ目は、もう殴られないのだから我慢する。

 

殴った相手がその場に居座り続けた場合も二択です。

1つ目は死を覚悟で戦い続ける。

2つ目は奴隷になるのを覚悟する。

 

戦争の良し悪しを簡単に語る事は出来ません。

戦争経験者も少なくなっているし、その記憶も正確かどうか疑問点も有ります。

今の時代に語る戦争経験は終戦直前に兵士になった人か、国内での被害に遭った人たちの話になっています。

戦地で戦争と言う名のもとに殺し合いをした人たちの話は、もう聞くことが出来なくなっています。

 

※ 一年前の「中国での戦争日記」と内容はほぼ同じです↓↓

私の父親は2回満州(中国北東部)に、その後にフィリピンから赤道を超えた南方の島にも行って戦いました。

戦後、両親ともに高齢となっての子供(末っ子)の私には、勇猛果敢な日本兵の話ばかりでした。

しかし、それから数十年経ち、私も大人になり親は老人となってからの戦争の話は全く違っていた。

 

色々と戦争の話は聞きましたが、その中でも満州での話は生々しくてかなりの接近戦でした。

敵の弾がヒュッと音を立てて身体をかすめていくのは生きてる証だから怖くないと・・・

確かに被弾すれば音は聞こえないでしよう。

その時の写真が残っています。 名刺の半分程度の写真も有れば、手のひらサイズの有ります。

全て白黒写真で、かなり劣化もしていて分からない写真も多くあります。

また、日本兵の残酷な行為も写真に多く収められています。残酷と言う言葉を使いましたが、それは現在の感覚で、戦時下においては難しい判断だと思います。

それらの写真をここに掲載しないのは、その一瞬だけをとらえて判断出来ないと思ったからです。

    

昭和11年4月から13年4月までの写真です。 手前が虎林で川(湖)の向こうがソ連(ロシア)

その後帰国して結婚し、昭和14年の春ごろに再度満州に行ったみたいです。

 

しかし、米国との戦争の可能性が出て来て、帰国命令が有り日本に・・・その後、行き先を教えられないまま出兵し、到着したのが台湾の沖。そこで上陸作戦の訓練をして向かった先はフィリピンです。

日本海軍の真珠湾攻撃を合図にしたのかどうかは不明ですが、その攻撃の後にアメリカが占領していたフィリピンに攻撃をはじめたそうです。勝負は早く着き、日本軍の圧勝で親父が上陸した時には、ほぼ決着が付いていて戦火を交えることは無かったみたいです。短い期間だったがフィリピンでの生活は楽しかったらしい。

それから南方の島に行ったが、現地に敵はおらず兵器を持たない地元民だけで、日本兵がする事を遠くの方から見ているだけだったと。 時折、米軍の戦闘機が来て空から攻撃する程度で、接近戦を経験している親父にとってはそれほど恐怖は無かったと。。。。半年後には猛攻撃を受けて全滅状態になる事など思いもしなかったのでしょう。

※ ↑↑ ここまでは昨年に書いた内容とほぼ同じです。

 

日本国内で戦争時の生活を体験した人(90才代)の話で。。。

米軍機が墜落して大破。パイロットも墜落の衝撃で身体の一部が欠損していた。

その死体を憲兵や住民が囲う様に見ていると、ひとりの女性が近寄り

「私の息子を殺したのはお前か!!」と言って死体を蹴ったそうです。

それを証言した人も 「ワシの所もおんなじじゃ!!」と言って死体を踏みつけたと・・・

それを見ていた憲兵は黙認した。

これが自分が殺されそうになったり、戦友が目の前で殺される戦地ではどうだったかを想像するのはたやすい。

それらの行為を批判できるのでしょうか・・・

また後に違反行為だとして罰する事は正しいのだろうか・・・

 

私は全面的に戦争を否定する平和主義者ではありません。

この世に犯罪者がいるように、国の指導者の中にも犯罪者と呼べる人は存在します。

ただ、、、戦う意志・戦う能力の無い人を巻き込む無差別殺人の様な戦争は絶対に有ってはならないと思っています。

 

その無差別殺人の極致が広島・長崎で、それをアメリカによって行われたのは絶対に許せない。

アメリカは核兵器を小型化して、実際に使えるようにしようとしています。小型化しても日本に落とした原爆より大きく無差別殺人の道具に変りは有りませんし、一度アメリカが使えば他国も使い、段々と元の大きさに戻ります。

 

戦争なんて遠い国の話で、私を含め今の日本人には現実味が有りません。

しかし、手を先に出さないが、、、

中国・ロシアの様な巨体でジリジリ迫られたら、身体の小さい人(日本)はどうすれば良いのかを決めておく必要はあると思います。

迫る巨体に押しつぶされたくはないはず。「止まれ、止まれ」と言うだけなのか、、、。

つっかえ棒にもならない弱い力で止めることが出来るのだろうか、、、。

しっかりと戦う意志を示す為にも手を先に出すのか、、、。

それともアメリカに泣き付くか、、、。

戦争の話をするのは戦争をする為ではなく、戦争をしない為にも話(議論)をする必要は絶対に有る