脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

今世のテーマ・・働くということ。(ラジカセ訪問販売)

2015年08月18日 09時31分06秒 | わが半生
経理専門学校を卒業したものの就職せず喫茶店でのアルバイトをしていたのです。若かったですし都会の中でスーツを着て働きたいなぁ~・・そんな気持ちから新聞の求人欄を見ていると・・音楽を友達に高給を得られる!!という見出しが芽に飛び込んできました。何の迷いもなく履歴書を出し、面接を受けました。すると??その面接官に、かつてのプロ野球で有名だった皆川氏がいたのです。皆川氏は南海ホークス(現:ソフトバンク)の投手で当時は杉浦投手・野村勝也捕手と並び一時の南海黄金時代の選手でした。無事、内定も決まり初出勤。会社はソニーの電化製品を販売する会社で東京に本社、大阪、福岡などいくつかの支社があり中小企業とは言え従業員120名程の規模で私が在籍する大阪支社は約30名いました。支社長から初出勤の日に説明を受けると・・基本給6万円、厚生年金・社会保険等は無し、通勤定期代もなく営業に出向く交通費も自己負担・・世間知らずの私は、そんなもんなのかな?と思いました。販売商品はソニーのステレオ式ラジオカセットで二か国語放送などTVチューナー付・・昭和50年代半ば・・当時、ウオークマンが日本初で販売された頃です。ラジカセ本体は48000円、このラジカセを持って訪問するのですが何と・・ラジカセも自費購入しないといけないとのこと。その事を親に言うと・・『その会社は、おかしい!!辞めてしまえ!』と父から言われたのですが私として初めての就職らしい就職でしたので、とにかく頑張ってみることにしたのです。これから半年・・お金もなく飛び込み訪問の厳しさを思い知らされることになるとは夢にも思いませんでした。本当、若かった。。世間知らずの小僧であったと思いますが、この経験と少年の頃の新聞配達が意外と精神鍛錬になっていたんだな・・と思う、今日このごろです。
コメント
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