脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

義母の認知症を義兄へ初めて連絡(泣)

2015年08月09日 09時14分12秒 | 義母の認知症
昨日の夜・・21時を過ぎていた。『お父さん・・お兄ちゃんに連絡、やっぱり、したほうがええかな?』妻は少し暗い表情で言う。義母が軽いアルツハイマーであることである。『そりゃ、せなアカン。お義兄さんは息子やしな。』妻は、テーブルに置いてあった自分のスマートフォンを手に取り暫く画面をジッとみていた。おそらく・・連絡したくないのであろう。『どっちにしても後になって連絡するか、わかるよ。その時、なんで?もっと早く連絡sぇへんかってん!ってお母さんが言われるかも知れんし、こういうのんは早いほうがエエって!』私の言葉に背中を押され妻は電話した。RRRRRR♪数回の呼び出し・・出ることはなかった。『忙しいンかな?』妻は携帯を置いた瞬間、折り返しかかってきた。『A、お兄ちゃん?急やけど話たいことあるねん。お盆とか空いてる?お母さんの身体のことで話したいねんけど・・』すると義兄は『身体って危ないンか?嫁も入ったらアカンのか?』『別に命が危ないわけじゃなねん。けど大事な事やからお嫁さんは抜きでお兄ちゃんと二人で話たいねん。』『なんでや、お母さんは嫁にとってもお母さんやし、お前のご主人にとっても同じやろ?4人で話できへんのか?それにできたら電話で話されへんのか?俺も忙しいしな。』妻はチラッと私に向って目で話しかけて来たが視線を戻すと『わたしらの、お母さんやん!まずは、お兄ちゃんだけに話したい!ほな言うワ』妻はセキを切ったように話し始めた。これまでの経緯を義兄に話した。2年くらい前からモノ忘れが多くなったこと。長女と次女が、その様子を何度も私たち夫婦に言ってきたこと。そして病院で軽度認知症の診断をされたこと・・『それでな・・お兄ちゃん、これからのことあるし地域包括センターの方に依頼して、ヘルパーさんとケアマネージャーは、もうお願いして1週間に1度やけど買い物とか掃除とか、してくれはんねん。』妻は泣きながらすべてを話し終えた。『だから・・お兄ちゃんと二人で話したかってん。私・・お嫁さんには直接に言いたくない!!お母さんが倒れて救急搬送されたのに遺言書書けって言う人には言いたくない!!』すると義兄は『遺言書?そんなこと知らんけど、そんなん、どうでもええやろ?』妻は愕然となり、もう話にはならないという表情で『とにかくお母さんは軽い認知症やけど今後、進行するし治らない・・』『そうか。わかった。いよいよ来たな。とにかく責めずに怒らんかったらええんやろ』・・(それだけ?)妻も私も心の中で思ったことは同じだった。電話を切った妻は・・『やっぱり、お兄ちゃんに電話するいんじゃなかった!!』妻は泣きながら電話したことを後悔したようなので『これでええねんで。何も間違ってないよ。』妻の肩に手をあてながら言うと・・『お父さんが脳出血で倒れて連絡した時の第一声・・何て言ったと思う?なったもん仕方ないやろ・・やで。こんなお兄ちゃんとチャウかったのに』すると自宅の電話が鳴った。長女の家に居候している次女からだった。妻が電話に出ると『おばあちゃん・・倒れたから救急車呼んでる。うんと・・お姉ちゃんとお姉ちゃんの彼氏と3人で、今、おばあちゃんの家』この日は大阪の淀川花火大会でした。3人で花火見学をして次女は二人に遠慮するため長女の彼氏の車で義母宅に送ってもらったら・・義母が和室でゼェゼェ言っていたらしいのです。救急搬送されると一晩、入院となるのが、これまでのパターン。『病院がわかったら連絡くれる?』そう言って受話器を置いた。『もう・・限界!』妻は、この5年間、長女の拒食症・私の脳出血・・娘のこと・・そして実母。『私・・明日、迎えに行くワ。病院・・』私は、ふと義兄と妻の電話のやりとりを思い出したのです・・すると無性に腹が立ち初め『お義兄さんに頼めば?』義兄は実家より30分もあれば来れる距離に住んでいるのです。これまで義母の救急搬送、ケア、認知症までの支援は全て私たちの家族がしてきて義兄の方はお嫁さんも娘も全くと言って義母の家には近寄らず挙句に遺言書・・・実家の売却までも言ってのける嫁・・『そやんな?お兄ちゃん、明日、休みやし・・』そう明日は日曜日。妻は義兄へ再び電話し豊中のW病院へ迎えに行ってくれるよう頼んだのでした。勿論、義兄は承諾しました。でも何となく複雑な1日でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする