脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

今世・・お金と労働・・消費者金融会社

2015年08月25日 09時21分29秒 | わが半生
私の今世の課題って何だろう・・思い起こせば55年の人生を振り返ると幾つかの気づきがあります。人生の節目は勿論、何度も選択肢が現れ幾つもの道があると思いますが結局は1つのゴールに向かうのではないか?13歳で新聞配達、親は学業よりも働く事の大切さを教えようとしてくれました。どちらかと言えば我儘で自己中心な私、人に何かをするより、人から何をしてもらうか?の方が多かったのです。そんな考え方で生きていると人は離れますよね。学生の頃も社会人になっても多くの人達と知り合うことが出来ましたが・・さてさて何人の人が現在、おつきあいがあるかと言えば・・???です。お金が欲しくて高い給料の消費者金融会社に勤務した私が最初に配属されたのは京阪天満橋駅にある支店でした。新店オープン・・当時、業界は新規オープンラッシュで武富士、プロミス、レイク・・業界大手は競い合うように新規オープンを行い始めた頃です。支店は新規オープンなので顧客は全くいません、なので新規顧客を獲得する行動と既存店の顧客が来店されたときに口座移動して自店の顧客にする作業が主でした。なので督促・・いわゆる取り立て業務も当初はとても少なかったので営業時間が終わると現金を締めて帰宅していましたから結構、疲れも少なく精神的にも軽い状態でした。しいて言えば、早朝7:30に出勤して京阪天満橋・地下鉄谷町線の天満橋駅でのティッシュ配布をするのが嫌?でしたね。天満橋は大阪府庁や近畿電気工事、造幣局、日本経済新聞本社、自衛隊など堅いところに勤める方々が結構、お金を借りにきてましたので、コゲ付など当初半年は無かったですヨ。当時の金利は年率47・45%で10万円借りると月の利息は3900円程でした。今のご時世なら驚くほどの高さですが当時は大手以外の中小零細のサラ金では年率73%~100%を超えるところも?ビックリでしょう?京阪沿線では京橋に行くと多くの消費者金融会社があって中には情報センターに加盟してないところも・・私は金融会社に就職して【お金と労働】について知らず知らず勉強させられたのかも知れません。そして【サラ金】高い給与を得る代わりに失うこと、世間からの偏見という眼を沢山、受けるようにもなりました。しかしながら私が就職した○○ムは社内的には普通でマトモでしたよ。社員同士の繋がりも良くて貸付ノルマも、厳しくない・・と思っていたのも新規オープンの店?だったからかも知れません。約1年8か月、お世話になりましたが・・実は退職理由は今でいう【鬱病】の入口まで来たからでした。
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