本日、相手方準備書面が届きました(^^)内容は(まだ?こんな事言ってるの?)と思う内容ばかり(^^)もう、苦し紛れの言い分としか思えない何とも見っともない内容でした(^^)裁判所からは和解の意向を尋ねてきており実質、名ばかり管理職であると裁判所は認識していることを前提とした和解の意向を言ってます。担当弁護士へ連絡すると『和解するとすれば1時間当たりの残業代を管理職手当含み計算しているので管理職手当を除くと約35万円を減額となるので当方として歩みよれるところは 、そこを規準に幅を持ちませんか?』私としては残業代で、とことん争う気持はなく、後遺障害裁判の前に相手の出方などを知りたい要素として提起した裁判です。訴訟請求額は150万円だったので100万円以上で弁護士に一任したのです(^^)相手方弁護士は具体的に裁判所から金額提示されれば会社側へ説得してみるとのこと。会社側代表者は本件では強硬な姿勢を示しているとの事でした。おそらく判決までいくかな?(^^)と思う今日この頃です
熊本地震が起きて日にちの経過と、共に被災地の状況がメディアにより報道されてますが、どうして被災地へ火事場泥棒をしにいく人がいるのか?即刻、やめろ!!今朝のワイドショーで100キロ離れた福岡から倒壊した住宅より盗みを働いた男がいたと。また不審なクルマや人。中には何かに装い安心させてから盗もうとする奴。避難所へ潜り込んで盗もうとするやつ。恥ずかしくないのか!!本当に情けない。即刻!やめろ!
後遺障害損害賠償請求訴訟を来月に控え、あらためて過労死問題や長時間労働についてユーチューブやネット検索をしています(・・;)2000年以降、大手ハンバーガーチェーン社員の過労死は奥様が泣きながら過労死という悲しい言葉をなくしたいと切実に訴える姿、また当時、東証1部上場企業である外食チェーン企業は過労死を2人も出していたことは驚きでした(・・;)京都の若い飲食店男性、家電量販店などなど。少し古くは大手広告会社、航空会社、銀行、京都の中小建設、とキリが無いほど過労死された方々がおられ後を絶ちません。損害賠償請求すると何も事情を知らないのに中には心のない批判をされる方々もいます(・・;)『金が欲しいのか?』とか訴訟に勝って『良かったね』とか。大切な家族や子供を失った遺族の方の気持ちを爪の垢ほども知らないくせに批判だけは一人前の人。一家の大黒柱を失った奥様の気持ち、お腹を痛めて産んだ我が子を過労死という形で失った気持ちは、何億何十億積まれても、その悲しみを埋めることはできません。訴訟に例え勝ったとして、何故?良かったねなのでしょう。人の命を失って良かったねはないだろう?私はパソコンに向かって憤りを持ちながら思わず呟いたのです。人は仕事を通じて生きがい、家族を守る責任、夢、希望、成長などを膨らませながら仕事をしている人は決して少なくありません。いのちを失うことはなかったにせよ、寝たきりになってしまった方、重い後遺障害を持ってしまった方、労働による災害で、その方やご家族の人生を会社は奪っているのです。2人も過労死を出した外食チェーン店は現在では店舗ブランドを変えていますが一時は経営危機まで騒がれたことも。過労死を出して会社が倒産すれば残った従業員と、その家族が路頭に迷うわけです。そういった意味では企業の持っている社会的責任 は重く、お客様を大切に!そして従業員を大切に!利益は、それらが、まともであることがベースとして上げていくこと、そして儲けたら税金を納め社会貢献することが使命だと思います。私も来月、訴訟提起を予定しておりますが労働環境の改善に一石を投じるつもりです。
脳出血後遺症は本当に辛く当人にしか理解はできません。私は家族に心配をかけないよう、なるべく明るくしようとしますが・・左半身の麻痺に指先の痺れ。また、パーキンソン病のように手や手先の震えや左指は意思とは関係なく動くのです。スマホでシャッターを切るのは出来ますが、スクリーンショットを撮るときは困難極まりなく電源スイッチと画面の白いボタンを同時に押すことが出来ません。歩くのも杖を使うのですが、100mも歩くと息が上がります。嚥下障害もあり喉の左側の痺れもあって飲み込むときに、かなり噛んで細かくし時にはお茶や味噌汁で流さないといけません。特に粉っぽいもの、トンカツの衣・・結構、大変です。時々、食べることさえ嫌になることも・・・人間、食は楽しみの一つですが私は苦痛に感じるときがあるのです。これからの人生、この身体と、どう向き合っていくか・・不安や恐怖もあるわけです。『食べることが出来なくなったら・・』その恐怖は健常者の方には理解できないでしょう・・医学の発達により脳卒中での死亡率は低下している・・。運よく命は失うことはなくとも程度の差こそあれ後遺障害を持っている方も多くおられます。私は、このブログを通じて脳卒中の後遺症で苦しんでいる方々に少しでも前を向き人生を歩んで欲しい!その気持ちで始めたブログです。ブログを続けて2年を超えました。始めた頃は20~30名の方がご覧頂いてたブログも今では多い時には800名を超える方々が訪問してくださるようになりました。脳出血後遺症を持ちながらも懸命に生きて行き少しでも多くの脳卒中で苦しんでいる方、また、そのご家族様へ元気を届けることが出来ればと思いますので、これからも宜しくお願い致します。
人生を振り返ると、結構、魂の修行になっているのかな(・・;)貧乏な両親の元に生まれて、すぐに母方の実家へ預けられ1年後迎えに来たそうです。物心ついたころの住まいは四畳半一間のアパート(・・;)その後、団地へ引越し、漸く、まともな生活。中学生で新聞配達をして高校でもバイト生活、父親の病気で大学進学を辞めて専門学校へ。まともな就職が出来ず1年くらいは喫茶店でのアルバイト(・・;)やっぱり、会社勤めをしなくては?と入った会社がラジカセ訪問販売。ここは勉強になりました(・・;)その後、流通業界を経て消費者金融会社(・・;)ま、職業差別、偏見の嵐に飲まれながらも1度目の結婚。消費者金融会社の長時間労働に精神をやられ大手家電量販店へ転職するも、結局、別の消費者金融会社へ転職。支店長へ昇進した直後、妻の浮気原因で離婚(・・;)その時、気持ちが荒れて小豆相場に手を染め600万円の借金を抱える。必死で返済して残り80万円になったころに今の奥さんと知り合い、借金は奥さんが清算してくれてから結婚と同時に自宅購入(^^)家の頭金は恥ずかしながら奥さんの実家が負担。心に借金が出来て、きちんと、いつか返済しないと!登記費用は私の両親が負担(・・;)その後は2人の娘に恵まれ私もマネージャー、ディレクターへと順調に昇進したものの過払いの嵐に巻き込まれた業界。来るべきときに来たリストラ(・・;)私も退職し47歳での転職。幸い住宅ローンは返済出来ましたが年収は半分以下、やっきになって頑張って何とか平から課長まで行ったものの、その間に長女が拒食症となり家族からの笑顔は消え、その後次女がリストカットで精神を病み、ついに私は職場で脳内出血長女は家を出て妻の実家へ居候。大学中退。次女は公立高校から通信制高校へ編入したら、不良少女へと。私は何とか少しは動けるようになり、長女の摂食障害も治り。ほっとしていると義母の認知症が判明(・・;)次女は漸く、落ち着きアパレル関係の仕事につきました。これまで多くの心の変動は勿論、経済的にも何度か窮地に追い込まれました。振り返ると本当に魂の修行を私だけでなく家族全員が本当にしているなぁと実感(^^)苦労も多いですが鍛えられました(^^)何より大きな気づきを得たこと、それは人の生きる意味を少しだけ(^^)ほんの1滴ですが、かなり凝縮された1滴を心の砂漠に投じれたこと。これも両親、家族は勿論、これまで、私という人間に瞬間でも、関わって頂いた多くの方々のお陰であると感謝しかありません。大きな気づきは決してお金では買えない。ただ一つ経験でしかないことを実感しています。精神世界へ心を向ける事ができた事は今世の大きな収穫であると思う今日この頃です。