最近、数秘術に興味を持ったのに意外と算出してなかった私の両親と、実は養子に来た弟の数を出してみると?な!なんと、父親9母親はマスターナンバー22養子に来た弟は9(^^;;でした。そして以前も申し上げた通り私がマスターナンバー33妻が11次女が44なのです(^^)いやー、驚きです。マスターナンバーだから特別な魂とは思っていません。でも出現率の低いマスターナンバーが多い親族なんでず(^^)振り返ると?母親は確かにと思う変人さん。その変人さんの夫が父親。変人の母親が変人さんの私を産み、そして何かの縁で養子に迎えた男の子が父親と同じ数の9孫が44(^^)44の出現率は極めて低いらしく、あるサイトには2000年以降は約500年間は生まれて来ない計算らしく超レアだそうです。因みに次女の運命数は9(^^;;なんとも驚きです。天から与えられたハードルが高いため覚醒しなければ結構、厳しく生きづらい人生のマスターナンバーだそうですが、なんとなく(・・;)なんとなくですが今世、気づかなければ来世も(・・;)そして来世、気づかなければ(・・;)そのまた来世へと気づくまで、そして気づいて役割を果たすまで輪廻を繰り返すのかな?もしかさしたら、双六のゴール手前で何度もサイコロを振らなければならない状況なのかな?と。マスターナンバー33も最近になり漸く数秘術のマスターナンバーとして与えられた役割が定義されてるみたいですが44は殆ど定義されてなく未知数です。次女は一体、何の役割や目的を与えられ生まれて来たのでしょう?おそらく33よりも高い高いハードルのような気がしてなりません。人は親を選んで生まれてくるといいます。次女にとって祖母である私の母22と私33妻11を選んで生まれてきたのかな?因みに長女は生まれる予定日通りなら11のはずでした。でも予定日を遅れて生まれてきたので4のライフパスナンバーとなりました。でも長女と次女を見ると4が三つ並ぶのです。数の不思議な話でした(・・;)
学校でする勉強に意味を感じることがなく宿題もしない(・・;)勿論、夏休みの宿題もギリギリまでしなくて1番、困ったのは絵日記でした(・・;)そんな調子でさしたから高校まで殆ど勉強はしてません。とにかく学校の勉強に必要性が感じられないのでした。でも?学校の図書室では宇宙図鑑や偉人の伝記もの、なぜだろう?と言う色んな疑問に答えてくれてる本、雑学本などは飽きもせずに読みふけった子供でした。勉強は嫌いでしたが本は大好きな(^^)運動も剣道や空手など自分自身の護身と何となく心を鍛える運動に興味を持って取り組んだんです。学校のように、何のための規則、校則なのか?生徒を一つの枠に収めようとする空気がたまらなく嫌で嫌で仕方なかったことを今でも忘れません。どうして集団登下校するのか?勿論、生徒の安全なのでしょうが(・・;)だからサラリーマンには絶対になりたくない!と子供の頃から思っていたのに、社会は安定がなければ生活が難しく、高校時代に一つ後悔したことがあったのです。それは?小学校2年生だったかな?父親がいきなり『おまえ、テレビに出ないか?お父ちゃんな、藤本義一さんと知り合いになってな、お前の事、話したら1度連れておいでって言われた』と言われたのです。私は、とってもシャイでテレビと聞いただけで、怖気づいてしまい、『テレビ?恥ずかしいやん!嫌や!』と断わってしまったんです。その後、何度か父親は言ってきましたが私は『嫌や!』と断わってから父親は諦めたのか言わなくなったのです。高校時代に後悔してのはサラリーマンになりたかった。ギターも少しはかじってましたが然程、上達もしません。そんな高校時代に俳優に少し憧れた時、ふと父親の言葉を思い出したので私は、とある劇団へ履歴書を送ったのです。すると、返信があり、その手紙を母が父親に見せたらしく『お前、劇団に入りたいのか?でも、こんな金は無いぞ!お前、覚えてるか?小学校のころテレビに出るか?言うたらお前、断わったなぁ。あの時、たまたま藤本義一さんと知り合いになったけど今は、もう遠い人や。』私は父親の、その言葉で俳優には縁の無い運命なんやと(・・;)諦めたのです。そしてサラリーマンとなり子供に恵まれたころ、また、ふっと後悔の念が頭を過ることが多くなりました。それは会社という組織で生きることの生き辛さでした。年収も高くなり順調に昇進しても私の心の中は何か息苦しさが常にありました。部下からは『Yさんは順風満帆ですよね(^^)』と言われた時、複雑な心境になったことは言うまでもありません。私の人生で大きな岐路は父親の言葉だったのかも知れません、
子供の頃、両親から勉強しなさい。と言われたことがありましたが不思議とガンとして勉強を市内子供でした(・・;)やがて、両親も『もう少しは勉強しなさい。』となり小学四年生頃から何も言わなくなったのです(^^)しかし?中学1年の1学期の終わりに先生と親との2者懇談を終えて帰ってきた母が、いきなり『勉強しいや!あんたは、やれば出来るから!』私は今頃、何事かいな?とでも、結局、勉強はしません(・・;)そして中学2年の2月期に当時の担任から再び母は2者懇談で言われたらしく『とにかく、やれば出来るから!』そんなん当たり前やん?やったら出来るって(・・;)とまたまた聞き流していました。思い起こせば当時、クレペリンテストや、その他の適正検査を受けたことを思い出したのです。なせが?私が現在の会社の入社試験で一般常識とクレペリンテストを行ったのですが社内の人間に入社した後。あることがキッカケでクレペリンテストの話題になったとき?『Yさんのクレペリン結果は。今までの入社試験で最高値やったらしよ』と聞いたのです(o^^o)思わず、え?って思いました。私が少年期、何気に勉強を拒否していたのは?(もしかさして?過去世でやるだけやったから?〕そう今では思えるのですが(・・;)
母から『贅沢は敵!』よく聞かされた言葉です(^^)当時は節約すること、またビンボーな生活の中での苦し紛れな言葉としか受け止めることが出来ませんでした。(うちは団地暮らしの低所得(・・;))思春期を迎えるあたりから、それとなく自分ン家は中流以下であることに気づいていても親も私も、どこか、中流だよ!と強がっている反面、やっぱり中流以下と認めるところもあり、複雑な心境の中での母の『贅沢は敵!』という言葉の奥底には前述したようにビンボーな生活での苦し紛れな言葉としか思えなかったのです。でも?病気で倒れ物質的な欲望(・・;)高価なブランドや高級車、貴金属は勿論、食べ物でも高いランチや食材を欲することが皆無と言って良いほどありません(・・;)三食頂けることに幸せを感じて必要なものが必要なだけあればいい(o^^o)ブランドや値段の高低には何の拘りもなくなり、そして、やっと気づいたのです。病気で倒れる前まではブランドに拘り少しでも美味しいものを食べたい、良いスーツに高級時計(o^^o)少しでも人が羨む場所に住みたい!などと思っていた頃を振り返ると、なんとも自分自身が恥ずかしく思えてならず、その恥ずかしい気持ちは『俺はセレブでない。ただの庶民。少し給与が高いからと背伸びしても庶民は庶民。』そう思いながら更に自分自身を深く掘り下げると少し高いものを持ち贅沢をすると傲慢になり心を、ドンドン曇らせてしまったことが分かったのです。すると?母の言葉を思い出しました。『贅沢は敵!』そう。贅沢は自分自身の心の敵であったことを(・・;)心が曇ると人様を見る眼も曇り人を物質的、経済的、社会的地位でしか判断することしか出来なくなる可能性が大きいという事。本当の富裕層は別です。幾ら仕事で成功しても必ず人とさして立派とは限りません。心の、いや魂の成長には贅沢は敵なのかなと思う今日この頃です。
今日からゴールデンウィーク(o^^o)関西も少し肌寒いですが、なんと!北海道は雪が降るそうです(^^;;振り返ると平成9年3月に札幌へ転勤した私達家族。翌年、長女が市内にある幼稚園の入園式には雪が積もっていました(^^;;だからこの時期の北海道の雪には驚きはしませんが、やはり寒い北の大地。関西の百貨店ではゴールデンウィーク期間中に【大北海道展】が催されるところも。妻と2人『行ってみる?』でも(^^;;おそらく行かないでしようね(^^;;何故なら、北海道の地元の方々が行かれるお店が関西の百貨店に来ることは本当に少ないからです(^^;;あーまた食べたいなぁ。タチポン、ボタン海老、たらの白子の天ぷら、タラバの活刺身、キンキ、ハッカク、あ、珍しくのがアイヌネギ(^^;;これは滋養強壮にいいのです。(^^;;懐かしや北海道!