父は『お金の本当の有り難みを知れ!』『忍耐力だ!』『努力に勝るもの無し』といつも私に言っていたのです。バイトで稼いだお金は服、友達との遊交費、趣味、ギター、クルマの教習所代金、原付バイクなとなと。結構、自分で稼いで頑張ってきました(><)そして社会人となりラジカセの訪問販売の営業を始めた時、飛び込み訪問の辛さ、厳しさを目の当たりにし本当に精神的にも限界まできた時、父の言葉で『忍耐』を思い出し自分なりの目標を持って、自分自身のケジメをつけられる辞め方をしようと決めて、その後、ノルマ達成してから退職をしたのです。学歴も技術もコネも無い私が、それなりに一人前になるために、頑張って来れたのは父の教えの他ありません。父はお金や物を私に与えなかった代わりにもっと大切な物を教えてくれました。そんな父は最後の最期、自分の葬式代ほどのお金だけを残して逝きました。なんの遺産もありません。私は、残さなかった事は父の最後の愛であると思っているのです。残すことも愛かも知れません。でも残さないのも愛なのです(^^)それが漸く私は心からわかる魂になれたのだと。11月23日 父の命日に私が思ったことです。
私の父は勉強にはうるさく言わない人でしたが『働く』大切さ、『お金を得る心得』についてはは私自身に身をもって教えてくれました。とにかく、子供の頃からお年玉や小遣いなどはくれませんでした。中学になり私が自転車が欲しいと言うと『新聞配達をして稼げ!』と言うのです。高校生になり1年生の夏休みになると『話はつけておいた、京阪百貨店でバイトせぇ!』と言うのです。当時の京阪百貨店の店長さんと父は顔見知りで、いわゆる【コネ】でバイトをしました。夏休み中、ずっとです。8月末まで(><)中学の頃から身の回りの物で親が言う品物が気に入らないのなら自分で買え!と。高校二年生の時は学校が終われば飲食店、新聞代の集金のバイト。夏休み、冬休みは百貨店でバイト、高校卒業して専門学校に行くとマクドナルドでバイト(><)とにか働く事とは?バイトながらも世間とは?みたいなものが身体に染み渡りました。父からは『世間に出たら努力と忍耐や。それが物を言う根っこになるから。後は、お前次第でなんとかせぇ。』当時は父を恨んだことも正直あります。中学や高校の同級生は親から欲しいもの、自転車やバイク、中には車を買ってもらってる同級生もいました。正直、羨ましい気持ちで一杯でしたね。でも私が社会人になって頑張る事が出来たのは中学や高校でのバイトで稼いだお金で自分の事は自分で出来る自信が自然とついたのは父の教えのお陰でした。
妻は投資等は一切しません(^^)とにかく『コツコツ貯める』例えば、スーパー、住宅展示場、ガスや電気の催事などで貰える粗品がありますよね?醤油とか?ラーメンや素麺とか。必ず貰いに行くのです。市町村で発行する商品券は一万円買うと1000円プラスされるので上限いっぱいに買います。パートに行くのは大抵、食品工場です。今なら『おせち料理』の盛り付けとか。食品工場に行くと、おかずになる物を安く分けて貰えるのです(^^)今なら棒鱈とか。夕飯の一品に持って帰ってくるのですが時々、無料で頂けることも。お弁当製造工場に行くと、惣菜は大抵、無料で持って帰ってきますし、時には海老チリとか豚の角煮、赤飯、ホタテの煮たものなどスーパーで買うと、そこそこ値段の高い食材を持って帰って来ます。勿論、調理済なのでガスや調味料を使うことがありません(^^)お金に換算すると数百円のコトですが毎日の事だし、チリも積もれば山となるの言葉通り、今は我が家の経済は安定しています。お陰様で私も自宅療養をノンビリと出来ているので妻には感謝しかありません(^^)
貯金をしようと思うなら『お金が貯まる』のではなく『お金を貯める』意識へ変えないといけないみたいです(^^)そこには『コツコツ精神』と妻は言ってます。『一攫千金なんて考えてるとお金を貯めることなんて出来へん!』と。この世は楽して儲けることはなく、確かに何かに大当たりして儲けた人もいますが『そんな人は、その後、大抵、大損したりしてる。お金でなければ、何か大切なものや人を失ってるで!』とも妻は言います。それも確かかな?時々、テレビで一時は大儲けした社長さん、芸能人など、『その人のその後』が放映されると意外にもドン底生活をしていたり孤独になったり。借金返済に追われたり(><)お金を大切にしないとお金は逃げていくヨ。『小さなお金を大切にするから、【イザ!】って大金が必要な時に、ちゃんとお金は側にいてくれてる。だから私は出す時は出すよ。節約とケチは違うの!子供から助けて!って言われて、無い!とは親として言いたくないし(^^)』妻のお金に対する考えて方は本当に凄いなぁって思う今日この頃です(^^)
愚痴は言わない方が自分のため(^^)です。愚痴を言ってると段々、感情が入ります。会社の愚痴、上司や人間関係の愚痴、家庭の愚痴などなど(・・;)愚痴も言葉ですから言霊となり、この世の法則である因果の法則に素直に反応します。愚痴は悪口、『悪愚痴?』と変化し必ずや自分へと跳ね返ります。それだけではありません(・・;)愚痴や悪口は聞いている方は、たまりません(・・;)愚痴を言ってる法は聞き手のエネルギーを吸い取り精神を安定するためのエネルギーを蓄えますが聞き手はエネルギーを奪われますので疲れます(・・;)愚痴を言ってる人は、その為、友達を失うだけでなく、やがて誰も愚痴を聞いてくれなくなると漸く気づく事が少なくありません。また愚痴は一度言うと?また愚痴を言いたくなるような出来事に遭います。それほ神様が『気づき』を与える為です。途中で気付けば友達を失う人数も少なくて済みます。更に愚痴を言えば言うほど大きな愚痴、悪口を言う出来事に遭います。よ〜く考えてみると愚痴を?悪口を言った所で何の解決にもなりません。その場限りの心の解消しかならないのです。何よりも聞いている他人のエネルギーを『奪う』行為はあの世では罪となりますから魂を曇らせるばかり。もし愚痴を言いたくなる出来事、人間関係に遭ったのであれば『流す』ことが一番だと思うのですが?いかがでしょうか?