脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

両親からの『宝』と言葉の不思議。

2017年02月08日 13時45分04秒 | スピリチュアル
先ずは言葉ありき。言葉で引き寄せているそうです(^^)亡くなった母親は諺や慣用句を私によく言って聞かせてくれたのですが漸く、それが『宝』を与えてくれたんだなぁ。と思えてきたのです父親からは働くことの尊さ、お金の本当の大切さを教えてくれました。亡くなった両親はお金や不動産は全く残してくれませんでしたが、それが良かったのです。両親は生きていくために大切な事を私に残して天国へと旅立っていったのです。母親が亡くなり17年、父親が亡くなり7年を過ぎ、今、漸く残してくれた『宝』に気付く事が出来ました。話は逸れましたが母が残してくれた言葉は幼い頃から繰り返し繰り返し聞いてきたので、私の心の引き出しに母は、そっと仕舞い込んでくれていたのです。普段、その引き出しを開けることは中々なかったようで、振り返ると傲慢で自己中心に振舞っていた頃は、そんな引き出しすら忘れていたようです。もしかしたら?死んでいたかも知れない重い病になり後遺症を残し普通の事が出来なくなって自分を振り返って反省し感謝の念が、じっくりと心から滲み出始めたあたりから両親の残してくれたもの。お金や不動産などではなく、もっと、もっと大切な無形のもの『愛』を。親の愛を感じることが出来ました。先ずは言葉ありき。想念、心の中の想いが言葉として出ることは少なくありません。そして良い言葉を発することは何日?いや何年が先に必ず幸運を引き寄せるだけでなく家族も守られ幸せになっていくのかな(^^)
言葉は言霊。言う霊とは言葉として出る音や想念の波動が周りには勿論、宇宙へと届きます。不幸な出来事があっても『この程度で済んだんだ。俺はなんと、ラッキーなんだ!』これを声に出し心から思って言うと危険な目に遭う事は無くなっていきます。無くならないのは、まだカルマの返済があるから。その時のダメージを少しでも軽くするためにも前向きな言葉を使うようにすればいいだけですから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元都知事が参考人招致(´-`).。oOで思う事。

2017年02月08日 09時30分26秒 | スピリチュアル
石原元都知事が豊洲問題で参考人招致となりましたが豊洲問題は根が深そう。元都知事自身も逃げ腰ですが小池現知事は逃す事はしないようです。豊洲にはダイオキシン問題があり築地からの移転前に、分かっていたのだろうか?もし?分かった上で盛土も、そこそこ。移転に伴う元都知事や、それに関わる人達の利益が優先されたのであれば、その罪は計り知れなく大きい。もしダイオキシンがそのままで築地から移転され人の口に入る魚や食べ物は多くの人達の健康被害となり、健康被害を受けた人の身体的と精神的な苦痛、更には寿命までも縮めることになりかねません。個人の利益、『お金』がどれ程、得られるかはわかりませんが、幾ら元都知事や利権に絡んだ人達は仮に逃げ切れたとしても、この『カルマの大きさ』ほ一回の輪廻では返済は出来ないと思うのです。そして来世では、そのカルマを返済できるほど耐えられる魂でなければ耐えられる時期まで先送りされることになるのであれば、それが神様からの慈悲であるのかな。豊洲移転で得たお金ほ膨大であればあるほど来世以降に利息を付けて返済し豊洲問題で受けた築地関係の人達の精神的な苦悩をも元都知事は身を以て受ける時が来世以降に必ず来る事でしょう。しかし、今回は小池さんが浮き彫りにしてくれた、お陰で築地の移転は現時点ではされてなく、健康被害は避けられておりますから石原元都知事は、そのことは報いとなることは軽減されたかも知れません。でも小池さんが浮き彫りにしなけければ移転は確実に実行されていたわけですから実行する想いはあったので、その発信した想念は宇宙に届いているのは間違いありません。石原元都知事は80歳。もうすぐ霊界へと旅立つ前に、この始末は今世では不可能。来世以降、相当な困難、苦悩、辛さ、貧困そして散々、上から目線で生きてきたのであれば、人から蔑まれながら生きる人生を迎え、その人生から『愛』を学ぶことになるのかな。『捨てる神あれば拾う神あり。』この言葉も亡くなった母親が私によく言ってくれましたが、石原元都知事の来世。必ず拾ってくれる優しい方が現れ大きな涙とともに心の曇りをとれることを願います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

輪廻転生はカルマの返済のためもある?

2017年02月08日 08時30分13秒 | スピリチュアル
人は愛を学びに生まれてきたのかな?
そして生まれてくるという事は過去生の『カルマ』を返済するためなのかな。
完済するまで何度も、何度も生まれ変わり
苦しみや辛さ、悲しみを知り
今度は人の苦しみを軽く
辛さを軽く
悲しみを与えず
そのために
優しく、穏やかに
人が穏やかに
晴れやかに
気持ちよく

貰うことより与える事が喜びと分かれば
そこから少しづつ『カルマ』を返済できるようななるのかな(^^)

そしたら病気や失恋、裏切り、貧困、孤独などなど辛い出来事にあったとしても
きっと受け入れ、病気のお陰で気付くこと
失恋して気付くこと、ビンボーになって気付くこと。
そして
『あの時があったから今があるんだ。』と思え
反省と感謝の念が芽生えるのかな。
『なんで私なの?』
『なんで?俺なんだ?』
脳出血を患い半身麻痺の後遺症を持って
病院のベッドに寝たきり経験をしたとき
『なんで?俺なんだ?』
数日間、そう思ったけど。
だんだん病気に感謝し始めてる自分に気づいたのです。

そして目に見えない何かを信じ
少しづつ『カルマ』の返済をしようと。
私のカルマの借金は、どれくらい大きくなってるのかな?

人生を振り返ってみると
『こりゃ、相当あるわ。』

もう、この世の苦しみから卒業したい!
生きる事の大変さ
この世に生きるだけでも、とっても大変。
でも自殺はいけません。
生き抜く事、そのものが魂の修行。

少しでも早く輪廻転生を終わらしたい。
カルマを完済しなければ。
あとは徳を積むこと。

まずは自分がいるだけで周りが明るくなれるような人間にならなければ。
そんな事を漸く考えられるようになった今日この頃です(^^)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする