子供の頃『人生ゲーム』をよくしました(^^)ご存知の方も多いと思いますが、いわゆる双六ゲーム。子供にとっては結構、リアルでお金はUSドルのオモチャ紙幣。株券や保険もあったりサイコロの代わりにはルーレット型のサイコロ。だいたい4、5名で遊ぶとワイワイと楽しくなるゲームですが途中で儲かったり損したりするので気持ちもゲームからホンキモードになることも。最近、ふと『人生ゲーム』を思い出すと?この世も似たようなところだと。この世で稼いだお金や不動産、貴金属などなどはあの世に持っていけませんし『この世だけのもの』人生ゲームを時にはケンカしながらやったりワイワイ笑いながらやってる子供を大人は『まぁまぁ(^^)』ってな感じで見てるだけ。今、この地球で魂は肉体という身体を神様からお借りして『人生ゲーム』をしているのかも知れません。死んであの世に帰ると神様から『楽しみましたか?』と聞かれるような。この世は仮の世界。ホントの世界は『あの世』最近、心からそんな気がしてなりません。
高齢化社会で介護の仕事に従事する方が多くおられます(^^)失礼ながら決して高いとは言えない給料とのこと。介護の仕事は体力はもちろん精神力も必要です。お年寄りや身体の不自由な方、認知症の方々を支えておられ、食事や排便、排尿のお世話もされていて給料は就業者平均以下の収入。私が思うには介護の方々の報酬はお金だけではないように思えてなりません。おそらく宇宙貯金がなされていて、その貯金は高利回りで運用され、この仕事に従事されてる方が来世以降に大きく影響するのかな。もちろんプラスに(^^)この世の報酬である『お金』を見返りとして求めず、奉仕する仕事。この世での仕事であるから少なくともお金をもらっている。入院中に介護の仕事をされてる方に『どうして?この仕事を選んだのですか?』と聞いたら『母が、この仕事をしていたから。』と答える方が意外にも少なくなかったのです。看護師さんもそうでした。看護師さんは比較的、高い給料ですが、その仕事の内容から考えると安いのでは?とも思います。人の命に関わり、そして人が嫌がる仕事もされています。お金はあくまでこの世のもの。魂が生きるホントの世界は『愛と奉仕の世界』看護師さんや介護の資格を取り仕事をしている方々の多くは魂のステージが普通の人より高く奉仕することに喜びをもち来世以降に更に天使に近づきたいと無意識に感じながら従事しているのかな。本来、言ってはいけないのかも知れませんが介護関係の仕事に就いてる方の給料は高くしなくてもよいと私は思うのです。給料を破格な程、高くすればお金の見返り、給料が高いだけで純粋にお年寄りや、身体の不自由な方へ愛ではなくカネで動く人間が集まるからかも知れない。介護の仕事をボランティアというわけにはいきません。やはりお金がないと生活も出来ませんから。仕事を通じて、そのような方々は少ない報酬と知った上で半分はボランティア、半分は自分自身のために奉仕されているのかな。鏡の法則が働いています。自分が行ったこと、言ったことは必ず自分に返ってくるので看護師さんや介護の方々には魂的には幸せな未来が必ずあると思います。
人には2つの心があるような(^^)1つは魂の中にある真我。もう1つは脳が作り出す心。だから、誰もがジキルとハイドであったりアンパンマンに出てくるロールパンナちゃんであったり。ピカソの絵のように左右の顔が違うのかな?実際に人の顔は左右対象ではありません。もしかしたら2つの心の映し鏡が顔なのかも知れません。赤ちゃんは純真無垢。歳を重ねるに従い自我に目覚めるのは脳が心を持ち始める頃なのかも知れません。その頃から脳が作った心と魂の中にある心の葛藤が始まるように思うのです。真我は宇宙の法則、鏡の法則を知っているのですが脳の心は食べ物の味を知り性の快楽を知り、人を配下におく支配欲に浸ることを覚えます。そこで肉体が魂より優位に立つと『人間は死んだらおしまい。生きてる間か花』となり贅沢をするために色々と良くない事をしたり人の心を傷つけたり。でも、この世の物は仮の創造物と冷静に考えて見ると魂が脳の心より優位生を持つとスピリチャルなことに全てが納得できるようになり残された人生を人のために生きる事を誓えるようにもなります。ホント、少しづつ意識して前向きな言葉を使い暖かい話し方を心がけていくことがスタート。先ずは言葉ありきの聖書に書いてる意味がやっとこ理解できるようになります。スピリチャルに目覚め、1つ1つ気づくことで脳が作った心は少しづつ萎んでいくのが実感できるようにもなります。今、生かされてることに気づき、今が幸せであることに気づき、苦難困難は魂の栄養と捉えることも出来るようになり自然と慎ましく生活しようと心がけ、でも人間ですから、ほんのたまには美味しいものを大切な家族と食べにいく。旅行する。芸術に触れる、自然に触れることが更に生きてる実感を味わい欲に振り回されることのない毎日が、とても幸せであることを。少しづつですがわかっていくような気がします。