脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

よい波動は家族を救う?(^^)

2017年02月10日 09時50分26秒 | スピリチュアル
引き寄せの法則、鏡の法則(・・;)これらの法則は自分から発信した言葉、想いが波動を出して起こったりします。人も環境も仕事も引き寄せあったり?引き寄せられたり?引き寄せたり。
災難も
でも?災難にあっても
九死に一生で命を取り止めたり
事故にあっても軽傷ですんだり
なぜか
出来事は不幸で災難でも
自分の身体は無傷

もしかしたら?
とんでもない目に遭ったりしてたかも?
恐かった出来事でも
何故か守られている。

それに感謝。

自分とは限らず
家族に災難が降りかかっても
何故か守られてる。

それに感謝。

そう思う出来事がありました。

災難に遭った本人は
『何で私なん?なんも悪い事してへんやん!』
そう言って塞ぎ込んでます。
災難にあいながらも無傷だったのに。
それには感謝がありません。
なぜ?そうなったのか?
私と妻には分かります。
でも本人は災難に遭ったこと、それ自体に
なんだかんだと言ってます。
反省をすれば答えは自ずと見つかるはず。
しかし
なんで私が?こんな目に?
と思って居る時は反省はありません。
だから?感謝もありません。

それに気づくことが出来れば魂が少し
ほんの少し成長するのに。

私は見えない存在の方々への感謝を。
そして人生の反省を。
言葉は天国言葉を
優しい波動を出すように気をつけています。

今回の娘の災難は娘が引き寄せたのか
それとも••••
本当のところは分かりません。

でも無傷に済んだことは
本人に代わって
感謝の念を持ちました。心から。

ある人が言ってました。
良い言葉、心地よい言葉を
感謝を忘れずにいたら
たとえ
災難に遭っても
その被害は
とても軽く終わったり
被害と気づかないまま通り過ぎたり
災難そのものが遠ざかっていくんだと。

ほんと、その通りだなぁ。
私が反省と感謝を忘れずに
良い言葉、よい表情をするように心がければ
家族にも影響するんだなぁ。

つくづく
心から思う今日この頃です(^^)
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『命』とは人は一度は叩かれると書きますね(・・;)

2017年02月10日 07時30分10秒 | スピリチュアル
53歳の時に脳出血で倒れました。『命』と言う文字は『人は一度は叩かれる。』を一文字にしたものだと、ある有名な方がおっしゃいました。私は入浴中に人生を振り返っては反省をし気づかせてくれた時には感謝の念を込めています。その入浴中に?ふと『命って人は人生で一度は叩かれる。』こととは。どういうことか?少しわかったような気がします。これまでの人生、なんだかんだとありましたが脳出血になったこと。それ自体が私の人生で叩かれた一度の出来事なのか?と思ってましたが、どうやら脳出血で倒れたこと、そのものは、キッカケに過ぎなかったのではないか?そして『命』の大切さや尊さの本当の意味は、そのキッカケ以降の生き方や考え方で気づくのかな?以前、ある本かテレビか忘れましたが、こんな事を述べられた方がいました。『九死に一生なる経験をした人や臨死体験した人は勿論、事故や病気で死にかけた人は実は、その時に死んでるんです。その体験は一旦、リセットして人生をやり直す為に生かされたわけですから。』この言葉に触れた時は、ふ〜ん、そりゃそうかも知れないなぁ。程度での認識でしたが、いやいや違う違う!もっと深いんだ。と。とんな形で人生一度、叩かれるかは其々です。叩かれた後に少しでも目覚めればわかる事なのかもしれませんが、病気にしろ事故にしろ経験し叩かれた時に、また叩かれた後、いつまでも『何で俺が?』とか病気や事故を恨んだりしたら決して分からない事だということは言い切れます。叩かれた事に感謝し周りの人達の優しさに感謝してから人生を振り返り反省と親、子供、パートナーや友人、上司、部下などすべての人達との出会いに感謝し、小さな良くない事、人を見下したこと、人を責めたこと、人を仲間はずれにしたこと、人の嫌がること、人の気持ちを暗くさせる事などなど。いろいろな事を思い出し反省していると今生きている意味を知り命の尊さを知り私の場合はガツンと脳出血という病気で叩かれ、それ以降にスピリチュアリズムに目覚めてから親の有り難さ、家族の有り難さ、今まで私に関わりを持ってくれた方々の有り難さを心から込み上げるようにわかった時、苦く苦しい、そして痛い感覚が身体中を駆け巡ると同時に、このまま消滅したい程の恥ずかしさが交互に押し寄せてくるではありませんか。この感覚を知らずに死んで、あの世に逝くとあの世で人生を振り返った時には今の何倍もの苦さ、苦しさ、恥ずかしさ
自分の生きた時の罪の深さを味わうと言いますが、もし?そうなら果たして耐えられるだろうか。肉体を失い魂だけになれば死ぬことはできません。おそらく想像以上なのでしょう。これがこの世で多くの罪を作れば地獄に堕ちると言われますが、死んで霊界へ行き自らを裁くというのは、こういうこと?そして深く深く反省し自分の居るべき場所へ。そこが自分のフィールド。魂のステージなのかな。話は戻して人は一度は叩かれる。え?俺は何度も叩かれてるけど?もう苦労ばっかり!なんて言ってるうちは、まだ叩かれてないのでは?そんな事を言う余裕などあるはずありません。こんな事をブログで言ってる私も未だ未だ叩かれてないのかもしれませんが(・・;)しかし日本語とは本当に意味深いと思う今日この頃です。
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