インターネットの掲示板を時々、閲覧しますが、その文字に書かれている言葉遣いが汚いとき、罵ったり、悪口や誹謗中傷が書かれていますが文字であっても言霊に変わりなく、このような書き込みはやめなければなりません。ツィッターやLINEもしかり。2ちゃんねるの掲示板など、板によっては読むに耐えない言葉が書かれていて読んだこちらの心に刺さってきますから見ないようにしました。不特定多数な掲示板でたとえ個人が特定されず自分の正体がわからなくとも、そんな書き込みをしていると書き込みした当事者に必ず跳ね返ってきます。汚い言葉使いや表現、人を不安にされる書き込みはやめましょう。自分自身のために。
人は誰でも何か1つ2つは、やらかしてます(^^)やらかしてる時は悪い事をしてる意識はありませんから人から注意されても謝らない。場合によっては逆ギレしたりも(・・;)そんな事をしてた過去。やがて何かのキッカケで心が変わると?魂のステージが上がります(^^)魂のステージが上がったら?過去にやらかしてた事を必ず振り返るわけでして、その時なんです。もう、ほんとにいたたまれないほどの恥ずかしさ、苦しみ、痛みなどなど複雑な感情が心をかきむしることも。涙が止まらなくなることも。悔やんでも悔やんでも2度と、戻ってこない過去の現実。でも心の中では過去がハッキリと戻ってるのです。謝りたい人、優しくしたい人、たくさん現れます。心の中に。その時の光景もクッキリと蘇るから不思議です。悔やんでも悔やんでも、謝りたくても、その人は目の前に現れることはありません。今は、何処で?どうしているのか。ただただ幸せにいてくれてたら。活躍してくれてたら。この、やるせない自分自身に思いっきり跳ね返ってくるのです。その苦しさ、恥ずかしさ、やるせなさや痛みを味わい耐えながら、これからの人生を考えることが出来るのは上がった魂のステージで、どう生きていくかを誓わなければなりません。それが成長するってことなのかな?と思う今日この頃です。
何度かブログで『怒り』の感情についてブツブツと呟いていますが今回も『怒り』について(^^)人が怒るときって大抵は相手の事を思ってではなく自分に対して何かあったとき。嫌がらせをされたり?嵌められたり?変な噂を流されたり?でも時々、人のために怒るときも。怒りの原因は意外と小さな出来事も少なくありませんが。この『怒り』の沸点はその人の器の大きさかも知れないなぁ。と。どうでもいい事で怒りまくってる人は器が小さい。では怒る事を少なくするには?心を穏やかに。愚痴や不平不満を言わないようにするのは勿論ですが怒りの感情より『愛』の感情を持つようにすれば怒りは少なくなります。そして心が広くなります(^^)
今、妻の母が認知症です。
その認知症の母親の事を放置状態の義兄。
そのぶん私達夫婦が義母を支援、サポートをし
健康を見守ってます。
正直、私は憤りは大きくなるばかりでした。
でも、いろいろと考えたり、振り返ったり悩みました。一時は施設の入居費用も全て私達で負担しようとも思いました。
でも、それでは義兄は介護から逃げるだけ。
あっちむいて舌を出すかも。
やった〜。って。
そう思うと?またまた怒りが。出てきて
一年半前の暴言とか言われたのも
思い出すと。怒りはますます。
そこで?
家庭裁判所へ調停の申立を行い来月、1回目の
話し合いが妻と義兄で行われます。
またまた考えました。
この調停は私達夫婦の怒りをぶちまけるのではなくて、義兄に少しでも関わってもらって
話は前後しますが
私は両親に何1つ親孝行をしてません。
振り返れば今の義兄と何ら変わらないのだ。と。
そして両親が他界して大きく後悔の念があり
なんども、何度も涙が出てきます。
義兄に私と同じ思いをさせてはならない。
そう思うと義兄への怒りの気持ちは減ったのです
でも?まだ心の何処かに憤りが。
この世は鏡の法則が働いてると。
自分がした事が跳ね返るのが鏡の法則。
実の母親が認知症でありながら放置では
義兄も、
もしかしたら子供達から何かの拍子で見放される?たとえ認知症にならなくても他の理由で。
それはさすがに可哀想。
では
なんとしても
義兄は母親の認知症介護に
たとえ施設に入居した後でも
その費用を負担して
時々、施設に面会に行って
親孝行をすることで
義母も喜ぶし義兄も『カルマ』を作ることは
なくなる。そして、義兄も家族から見放されることがなくなるのであれば
そう思うと私の義兄への怒りは治り始めたのです。何故か不思議なのですが。
スーーッと。
人に優しく思う感情は『愛』だと思うのです。
愛は光と忍耐かも知れません。
怒りが心の闇(病み)ならば
愛は心の光。闇は光をあてるだけで
一瞬にして闇は消えます。
義母の認知症のことで『怒り』がピークになりそうだったのが、ほんの少し思いを変えただけで私の心の中の怒りが治ると
なんだか、とても楽になっていく自分がわかりました。
愛は怒りを打ち消す特効薬(^^)
どんなものより強いのが『愛』なんだ!
と思った今日この頃です。
今、妻の母が認知症です。
その認知症の母親の事を放置状態の義兄。
そのぶん私達夫婦が義母を支援、サポートをし
健康を見守ってます。
正直、私は憤りは大きくなるばかりでした。
でも、いろいろと考えたり、振り返ったり悩みました。一時は施設の入居費用も全て私達で負担しようとも思いました。
でも、それでは義兄は介護から逃げるだけ。
あっちむいて舌を出すかも。
やった〜。って。
そう思うと?またまた怒りが。出てきて
一年半前の暴言とか言われたのも
思い出すと。怒りはますます。
そこで?
家庭裁判所へ調停の申立を行い来月、1回目の
話し合いが妻と義兄で行われます。
またまた考えました。
この調停は私達夫婦の怒りをぶちまけるのではなくて、義兄に少しでも関わってもらって
話は前後しますが
私は両親に何1つ親孝行をしてません。
振り返れば今の義兄と何ら変わらないのだ。と。
そして両親が他界して大きく後悔の念があり
なんども、何度も涙が出てきます。
義兄に私と同じ思いをさせてはならない。
そう思うと義兄への怒りの気持ちは減ったのです
でも?まだ心の何処かに憤りが。
この世は鏡の法則が働いてると。
自分がした事が跳ね返るのが鏡の法則。
実の母親が認知症でありながら放置では
義兄も、
もしかしたら子供達から何かの拍子で見放される?たとえ認知症にならなくても他の理由で。
それはさすがに可哀想。
では
なんとしても
義兄は母親の認知症介護に
たとえ施設に入居した後でも
その費用を負担して
時々、施設に面会に行って
親孝行をすることで
義母も喜ぶし義兄も『カルマ』を作ることは
なくなる。そして、義兄も家族から見放されることがなくなるのであれば
そう思うと私の義兄への怒りは治り始めたのです。何故か不思議なのですが。
スーーッと。
人に優しく思う感情は『愛』だと思うのです。
愛は光と忍耐かも知れません。
怒りが心の闇(病み)ならば
愛は心の光。闇は光をあてるだけで
一瞬にして闇は消えます。
義母の認知症のことで『怒り』がピークになりそうだったのが、ほんの少し思いを変えただけで私の心の中の怒りが治ると
なんだか、とても楽になっていく自分がわかりました。
愛は怒りを打ち消す特効薬(^^)
どんなものより強いのが『愛』なんだ!
と思った今日この頃です。
女優の清水富美加さんの出家がメディアで報道されています。『宗教の自由』はありますので、ほれは構わないのですが、今ある仕事の影響を考えて行うことも大切なことだと思います。映画やコマーシャル、ドラマなど制作に関わっている方々、共演それる俳優さん、事務所、スポンサーなど数多くの方達の仕事にも影響しスポンサーも多額なお金だかでなくコマーシャルを企画しテレビに流されるまで、どらだけの人達が働いていたのか、中には寝るまも惜しんで食べる時間も削り家族や友人との時間も削り働いてたスタッフもいると思うのです。目に見えない存在を信じ神様の為に行動したいとメッセージを残していますが神様は、それを望んでいるのでしようか?神様は私達1人1人に人の為に。人に優しく、人を愛して欲しいと願っているのではないのかな。清水さんは出家する前に自分のお仕事を整理し周囲に迷惑をかけないように幕を下ろし出家をした方が良かったのではないかな?果たして神様は今の清水さんが取った行動は、どう思われているのかな?と思う今日この頃です。