~ いるかしあわせ宅配便 ~

ばあちゃんのひとりごと

丹波の畑仕事

2020-12-10 19:38:39 | Saranyaのひとり言

 

畑の整理…。

白菜、大根、大根の間引きをした。

この間、蒔いたうまい菜、小蕪、菜花の間引き菜はベヒーリーフのような食べ方をすると結構美味しかった。

野菜を寒冷から守るのにビニールをかけて育つことを祈った。

しかし、野菜によっては追肥を避け、寒冷にさらす方がしっかり育ち、春には美味しい実をつけるそうです。

人も同じかもしれない、その人に合う育ち方、教育が上手くいけば、人として穏やかに生きられるのだろう。

そして、生まれてきた目的を見失わず生きていけるのだろう。

師から、形が違う、生きている環境も違う、持っている知識、学歴、財産も違うが、全ては(それ)は不異(同じ)なのだと教わった。私も人の中で段取りをし、収益、地位を考えている間は(それ)に気づけなかった。荒れた田畑を耕し、野菜作りに一生懸命になり気がつき始めた。生かされていること、それぞれの命は同じだと。その通りだと感じられるようになった。

野菜たちはものを言わず、自然のプラーナを自然に受け入れ、それなりに育とうとする。それなりに!!素晴らしいと感じる。私は野菜たちのように従順であったろうか。神とともに暮らしていただろうか。

野菜は生き物…。暖か過ぎてもとう立ちをして花が咲いて結局、食べられない野菜になる。

寒すぎても、凍て腐ってしまいます。ちょつとした寄り添いがとても大事だと思う。

人も寄り添い、神と共に暮らせたら、何の問題も起こることないだろう。全ては人の仕業!!


丹波に来ました

2020-12-08 20:46:40 | Saranyaのひとり言

毎週、火曜日から木曜日まで滞在する。

この間に、野菜の世話や家の整頓をする。そして、母と一緒に過ごしている。

大阪と丹波の二重生活がいつまで続くのか・・・。

この部屋でくつろげるようになった。

この部屋も私は好きだ。縁側から見るとお落ち着くし、美しいので素敵なんだよ。

私が生まれて育った家を大事に思い兄から引きつだ。(兄は面倒見れないと手放した)

確かに、メンテナンスにお金がかかる。

すでに800万円は使った。全部、私がコツコツ貯めてきたお金でできた。

あるもんやね。貯まるもんやね。

自分の為に、買い物はほとんどしないのである。

 

私は何者か・・・神様はご存じんなのだ。神様 私はどこに向かい、誰のために生きようとしているのですか。

教えてください。

憂鬱の原因は多分これだ。

見えない道に掴みきれない道に、拠り所を見出せない自分にイライラしているのかもしれない。

瞑想しかないのでしょうね。神様!!


グルバイの顔が見れて嬉しかったよ。

2020-12-07 00:54:33 | Saranyaのひとり言

昨日はジャヤンティの報告を兼ねて、

グルバイが集まりオンラインで報告を受けました。

流石にパソコン中のグルバイの顔を見て、思わず、おーい!と手を振って喜び合いました。

この方はインドの聖者です。私の師も同じで聖者です。

皆がこの方のようになれたなら、

コロナ禍のみなさんの心を癒すことができるでしょう。

優しいさの中に、厳しさも持ち備え、芯が強くおおらかで、穏やかな様。

パソコンからの師の映像は鮮明で美しい姿、ただ涙か溢れ感激は全身を覆いました。

離れていても、光のプラーナは届くのですね。有り難いです。

あゝ…。私は世の中の影の様な過ごし方をしながら(隠遁生活)、

それになりたいです。目立たず、ひっそりと日々を生きる。

皆に幸せは差し上げられる存在に私はなりたい!!


なんだか憂鬱なんだかと。

2020-12-07 00:54:33 | Saranyaのひとり言

なんだか憂鬱なんだと。

何も欲しい物はない、心配事も無い。

何が憂鬱なんだろう。しかも、朝からだよ。

我が心が理解できない。

花は花だと思っていない、周りを和ませ、笑顔をみる。

何で、私を私と思うから憂鬱になるんだろうね。

人の心は私の気持ちを考えず、勝手にひとりでに何かを掴み、喜んだり、悲しんだり、憂鬱になったりする。

心は私自身ではないのに、心は過去性を持ち、それに振り回されて右往左往しているものなのに、それだと勘違いするのかな。

アホウやね。いつになったら、自覚するのか、

今日もいい日でありますように!!

合掌


それだけがあればいい

2020-12-06 10:09:27 | Saranyaのひとり言

この野菜はロマネスコ、花の蕾が集まった「花蕾」の姿なんです。

今年は千代江ちゃんの娘さん紀子ちゃんにタネをまいてもらい、私の畑に植え付けました。

それ・・・全ての万物も宇宙もそれで出来ていると聞いたことがあります。

中身はみんな同じなんだと・・・だから、野菜一つに、感動するのでしょうね。

すべてが、美しいと思えるのでしょう。これも分かち合うために歓び会うために存在するといいます。

この世に無駄はないのです。