ここのところ、過去最悪の天候や事件が相次ぎ、その上に新型コロナウイル禍。安心して観光旅行さえ出られませんね。
さて、私自身が小学生だった昭和38年から44年までをふと顧みると、やはり悪質な事件や異常気象も確かにありましたが、真夏はカラリとした暑さ。真冬も大雪は降りましたが、まだまだ今のような異常気象というような思い出はなかったような気がします。
インターネットとかスマホとかいう概念も全くなかったのだが。うん。
さらに真夏の暑さとは言っても、冷房が特になくても、ちょいとばつかり日陰にさえ入れば、かなり涼めたような気もしますね。
画像は、その頃にはまだまだ全国の定期普通客車列車や臨時急行客車列車でかなり幅を利かせていたと思う旧国鉄のスハフ32、スハ32のNゲージ模型です。
勿論、その当時は12系とか14系とかいう気が利いたようや客車列車はまだなく、DD51型とかDE10型はごく一部の地域でデビューしたばつかり。DF50型も全国すべての蒸気機関車を追放するまでには至りませんでしたね。
これらは冷房どころか扇風機さえなく、ぶどう色2号塗装。殆どの車内はニス塗りの木造壁面で、客室内照明もグローブ付きの白熱灯。
キハ17などに交じって、蒸気機関車に牽かれて旧二俣線や草津線などの普通列車に使われたほか、何と東海道本線や山陽本線では団体貸し切り列車にも賞用されたとか。多分、EF58型やEF61型(0番台)の辺りに牽かれていたことでしょうね。確か、客車列車内に電気暖房がなかったし。
当時の車内では、乗客各自が購入したばつかりの多彩な駅弁が開花し、さぞや味わい豊かな観光旅行だったと思いますよ。(微笑) それに、客車列車は特に夜行では静かでしたし。うん。
今の、あのHC85系も夜行列車に日常的にも使えるぐらいの静かさだが。
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