銀河夢急行

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昔風のハヤシ、レトルト食品で登場!!

2022年07月22日 06時47分31秒 | グルメ

最近は、わが国内でも皆、舌が肥えてしまったのかどうかはよく分からないが、明治から大正にかけて流行った洋風料理の原点も忘れ去られつつあります。

その一つが、ハヤシライス。本来は岐阜県が発祥とも聞いていますが、その当時の有り合わせの食材にて西洋料理の高級感に少しでもに近付けようと努力した跡がよく窺えるようなメニューとも言えます。

最近になって、こんなレトルト食品も登場していますね。

当時の東京・銀座や浅草などでは、洋食店がかなり流行ったらしい。尤も、名古屋や大阪、京都などは戦後のことだと思うが。

なお、国際旅客港が古くからあったと聞く横浜や神戸は例外だが。

ちなみに、名古屋港が貨物部門だけでなく、旅客部門も本格的に扱うようになったのは、恐らく戦後か。金城埠頭も恐らく、その辺りに誕生か。横浜港や神戸港等のように、国際輸送便がどの程度あるのかは、あまり、はっきりしないが。うん。



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3 コメント

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Unknown (LV288N)
2022-07-23 00:58:28
>ちなみに、名古屋港が貨物部門だけでなく、旅客部門も本格的に扱うようになったのは、恐らく戦後か。金城埠頭も恐らく、その辺りに誕生か。横浜港や神戸港等のように、国際輸送便がどの程度あるのかは、あまり、はっきりしないが。うん。
金城ふ頭の歴史を時系列で整理します。
1963年 埋め立て工事開始
1965年5月 一般公募により、このふ頭を「金城ふ頭」と命名
1968年12月 コンテナの取り扱いを開始(2009年廃止)
1971年12月1日 金城ふ頭2丁目成立
1973年11月 国際展示場第1展示館完成(現在解体中)
これ以降の歴史については下記サイトを参照してください。
金城ふ頭 ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%9F%8E%E3%81%B5%E9%A0%AD#:~:text=1963%E5%B9%B4%EF%BC%88%E6%98%AD%E5%92%8C38%E5%B9%B4,%E5%B1%95%E7%A4%BA%E9%A4%A8%E3%81%8C%E9%96%8B%E6%A5%AD%E3%81%99%E3%82%8B%E3%80%82
金城ふ頭 名古屋港管理組合
https://www.port-of-nagoya.jp/shokai/kohoshiryo/1001907/1001943/1001965.html
金城ふ頭開発の概要 名古屋港管理組合
https://www.port-of-nagoya.jp/shokai/kaihatsu/1001148.html
立地状況と埋立の変遷 名古屋港管理組合
https://www.port-of-nagoya.jp/shokai/kohoshiryo/1001907/1001910.html
上記サイトの拡大イラスト
https://www.port-of-nagoya.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/001/910/2021umetate.jpg

名古屋港の定期旅客船は1912年3月の「北海道定期航路」が初となります。
名古屋港の開港 名古屋商工会議所
https://history.nagoya-cci.or.jp/meiji/h3.html
現在の旅客航路は「太平洋フェリー」の名古屋~仙台~苫小牧ルートの船が1日おきに出ているのみですが、過去には四国・九州・沖縄・台湾方面のフェリーもありました。
名古屋港 ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E6%B8%AF#:~:text=%E5%8E%9F%E6%B2%B9%EF%BC%889.9%25%EF%BC%89-,%E6%AD%B4%E5%8F%B2,11%E6%9C%88%E3%81%AB%E9%96%8B%E6%B8%AF%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82

定期船ではありませんが、クルーズ船の今年入港予定は以下のPDFで確認できます。
名古屋港クルーズ船入港予定
https://www.port-of-nagoya.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/002/548/2022.04.06_schedule.pdf
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Unknown (LV288N)
2022-07-23 01:55:12
>下が肥えてしまったのか
「舌」ではないかと思います。

>明治から大変に到着し大正にかけて流行った
「大変に到着」とは?

その一つが、ハヤシライス。本来は岐阜県が発祥とも聞いていますが、その当時の有り合わせの食材にて西洋料理の高級感に少しでもに近付けようと努力した後がよく窺えるようなメニューとも言えます。
>当時の東京・銀座や浅草などでは、洋食店がかなり流行ったらしい。尤も、名古屋や大阪、京都などは戦後のことだと思うが。
ハヤシライスの起源や歴史についてはここでは詳しく申しませんが、大阪では戦前から「ハイシライス」と称したハヤシライスを下記の店で提供していたとのことです。
近代メニューのルーツ(5)ハヤシライス 大阪市・自由軒千日前本店 日本食糧新聞
https://news.nissyoku.co.jp/restaurant/grs-269-0018

前のコメントの続きで金城ふ頭についてですが、
ウェブで過去の地形図や空中写真を見る (Leaflet版)
https://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/webmap/map/lmap4.html?data=history
上記の地図・空中写真サイトでは、1947年、1963年、1975年、1980年、1990年、現在の航空写真と1970年の地図が閲覧できますが、1947年と1963年の写真では金城ふ頭はなく、1970年の地図では半分ぐらい完成、1975年でようやく現在と同じような形になりますが、それ以降も一見同じように見えて実は少しずつ形が変化しているのがわかります。
あと、1972年8月1日時点では名古屋市営バスは金城ふ頭には乗り入れておらず、フェリーふ頭は未完成のためこちらにも乗り入れていませんでした。(フェリーふ頭は1973年完成)
下記まるはち交通を見てみると、基幹バスの初期構想として「金城ふ頭線」が提案されており、これを見ると高畑~金城ふ頭の区間が想定されていたようです。このほか、1972年3月の「都市交通審議会答申」では、東山線の延伸という形で汐止までの検討線が提示されていました。
昭和47年都市交通審議会答申 まるはち交通
http://www.maruhachi-kotsu.com/subline/700hist-index.html
上記図面の拡大版
http://www.maruhachi-kotsu.com/subline/700hist-index/rosenzu99.gif
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Unknown (銀河FXR)
2022-07-23 07:21:26
ご指摘の箇所は修正しておきました。すみません。
さて、ハヤシライスのハヤシですが、岐阜県にいた医師の早矢仕さんが開発したという説もあるようですね。
横浜、神戸の両元町は古くから外国人居留地として栄え、本格的な中国料理や西洋料理を広めた方々も多かったとみられます。
それとは対照的に名古屋港はもともと貨物主体。貿易港としては日本一の規模、いや世界でもかなりの規模を誇ってきたと聞いていますが、残念ながらも旅客扱いは僅少で、あれでは元町としては、なかなか発展しないでしょうね。かつては大須にも中華街がありましたが、そう長続きはしませんでしたよ。
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