『胎児も立派な人間です』 エリック・パストゥーシェク 著
以下は、TAN Booksで出版された “Is the Fetus Human?” by Eric J. Pastuszek の抄訳です。
前書き
出産前の子供たちが人間であるかどうかという問いは、そもそもまやかしに過ぎない。もし、それが人間でないとしたら、いったい何なのだろう。エリック・パストゥーシェクは出産前の幼児が人間であるだけでなく、かつて彼に与えられていた法的保護に値するものであるという事実に興味を寄せる人に説得力のある数々の証拠を提示している。
カール・トーマス (コラムニスト)
序 [Introduction]
受胎後18日ですでに脈打っている心臓、まつ毛も爪もそなえながら、24週間目で人工中絶された胎児の写真、以前人工中絶を行った経験のある人たちの証言、―これらは「胎児は人間なのか」という問いを発さざるを得なくする圧倒的な証拠のごく一部です。1973年の1月22日、合衆国最高裁判所はロー・ウェイド裁判(410 US 113)において同国内で妊娠9ヶ月[まで]の胎児に事実上、希望があれば即人工中絶を施すことを合法化しました。この判決は、人工中絶を非合法とするか、あるいは厳しく制限していた大部分の州の法律をなし崩しにしてしまうものでした。(最高裁判所はかろうじて、最後の3分の1の期間―すなわち最後の3か月間になされる人工中絶を禁止する選択の余地を各州に残しました。しかし、これさえ母親の生命を守るためという名目がある場合は、人工中絶する自由を母親に認めなければなりません。
しかし、人工中絶を妊娠期間全体を通じて、事実上、求めがあり次第許すこととした判決は胎児の「人間性」に関する生物学的およびその他の事実を考慮に入れていませんでした。様々な証拠が示すかぎり、子宮内の胎児は、はっきりそれと分かる、他の誰とも違う人間なのです。ロー・ウェイド訴訟の判決以来、進歩する科学技術―たとえば子宮内の胎児を見ることを可能にする胎視鏡など―によってさらに多くの証拠が生み出されています。
米国政府の立法府も司法府(即ち最高裁判所)も「胎児は人間か」という問いにふれていません。もし胎児が人間なら、求めに応じて人工中絶を行うことは、私たちの社会があらゆる倫理を放棄し殺人を許すのでないかぎり、まちがっています。ただ胎児が人間でないとすれば、その場合のみ、法律は人工中絶を許すことができるのです。
ここ10年の間、特に80年代後半では、人工中絶の枠を制限することに重点が置かれています。裁判所での判決ならびに立法のレベルでは、こうした制限を設けるのに幾分成功しましたが、それでもロー・ウェイド裁判で判決を下したブラックマン判事が1973年に直面せず回避した問題、つまり胎児が人間であるのかという問題にいまだ取り組んでいません。
たとえ人が胎内における生命の存在を示す全ての証拠を否定し、胎児をただの「かたまり」に過ぎないものとして片付けてしまおうとしても、胎児が一の日か、他の誰とも違う大人に成長する、かけがえのない生命であることには変わりありません。一旦胎児が抹殺されてしまうと、他の誰とも違う、世界でたった一人の大人は、その存在を永久に打ちなわれてしまいます。一体、どれほど多くの偉大な政治家、建築家、聖職者、―そして医師たち―が人工中絶のために失われてきたことでしょうか。
1 生物学的証拠
以下の問答は、以前2つの人工中絶クリニックを所有し、2つの人工中絶クリニックを
経営していたキャロル・エヴァレットとのインタビューからの抜粋です。
問:クリニック内の会話であなた、あるいはあなたの同僚は人工中絶されるものを男の子とか女の子、または赤ちゃんと呼びましたか。
答:私たちは1度も男の子とか、女の子とか読んだことはありません。私たちはそれを赤ちゃんと呼んでいました。私たちはよく「今日は何人の赤ちゃんを殺すことになっているの?」と言っていました。
はっきりとした心臓の鼓動、他の誰のとも違う独自の人間としての遺伝子構成、動き、音を聞き、さらに光を感知さえする ―これらは、子宮内の胎児が持つ多くの生物学的側面の一部です。心臓の鼓動は受胎後18日ですでに確認されます。遺伝子的構成(たとえば一人々々の大人のほかの誰のとも違う遺伝子的構図である46の染色体)は、受胎のときから胎児の中に存在しています。胎児は妊娠期の最初の3分の1で動き始め、視聴覚は妊娠中のさまざまな段階で発達します。胎児は痛みの感覚さえ持つようになります。
この章で取りあつかわれる問題は次のとおりです。
生物学と胎児学
胎児に関する基本的な生物学的事実
胎児の遺伝子的構成
胎内における人間の生命の存在を裏付ける科学的根拠
人工中絶を行ったことのある人たちの証言
1.1 生物学と胎児学
胎児に関する生物学的証拠は20世紀以前にも、すでに存在していました。この研究においての生物学的証拠というのは、胎児が人間であるかどうかという問題にかかわる科学的、医学的、およびその他の事実です。元人工中絶支持者だったある人はこう書いています。「19世紀に生み出された数多くの生物学的発展は、人工中絶の倫理性についての医師たちの考えに影響を及ぼした。胎内の生命が「胎動」[女性が最初に胎児ガ動くのを感じること]を待って始まるという考え方は、新たな勢いを得た胎児学の分野[の研究]により衰えていった。この胎児学というものは1827年にフォン・バウアーが初めて哺乳類の卵子を視覚化して報告した後、広まり発展しました。 」
近年、生物学の領域において蓄積された胎児の「人間性」に関する証拠も、強い説得力をもっています。たとえば、合衆国最高裁判所判事のサンドラ・デイ・オコーナーは、こう述べています。「医学が胎児の[母親から]分離した生存をより可能にするにしたがって、生存可能性はますます受胎[の時点]へとさかのぼってゆきます。」 「生存可能性」とは、胎児が子宮外で生存できる能力のことを言います。医学の進歩のおかげで、早い時期での胎児の生存と早産を可能にする医学の進歩のおかげで、胎児の生存可能性は、妊娠の中頃の時期にまで及んでいます。
胎児学という分野は子宮内における生命に関する近年の研究の一例です。胎内の胎児の写真を撮る胎児鏡によって、誕生前の生命を見ることできるようになりました。
1.2 胎児に関する基本的な事実
胎児に関する基本的な事実として次のことが挙げられます。
心臓は受胎後18日目で早くも動き出す。
20日目までに、神経系の全てが出来上がる。
42日目には骨格が完全に出来上がり、反射運動も見られるようになる。
8週間の時点で胎児の鼻をくすぐると、頭を後ろにのけぞらせ、当の刺激から逃れようとする。
9から10週間目には、胎児は目を細め、飲み込み、舌を動かす。手の平をなでれば、握りしめる。
11から12週間で、胎児は親指をしきりにしゃぶり、アミノ酸質の流動物を吸っては吐いて、呼吸器の発達をはかる。
11から12週間で指の爪が生え揃い、16週間で眉毛も出てくる。
胎児は母親が感じ取る前に、すでに胎内で動いている。
12週間で、身体の全ての系統が機能している。
胎児は母親のそれとは別個の血液供給を有している。
メロディー・グリーン氏が報告しているその他の生物学的な事実は次のとおりです。胎児は「6週目までには手足を動かし、43日目には脳波を読み取ることができます。」「8週目には、その赤ちゃんは自分の指紋を持ち、受精から老年期にいたるまでの発達の各段階は、最初の時点で全部出揃っているものが成熟するだけのことです。」 もう一人別の著作家ボブ・ラルソンは、胎児の早期の発達についてさらに詳しい情報を提供しています。
[受胎後]1週間で、脊髄、背骨、それに神経系が形成され、また腎臓、肝臓、および消化器系が発達し始めます。18日目には原初的な心臓が自前の血液を送り出すようになります。30日目には、手足の基礎が現れます。骨格は1ヵ月半で成立し[出来上がり]、最初の動きを始めます。5週間目で能力は3つの部分に分かれ、休息に発達していきます。[受胎後]8週間経った胎児の体長はかろうじて1インチといったところですが、ほとんどの内臓器官はそろっています。胎児は対象物をつかみ、泳ぎ、しゃっくりをし、親指をしゃぶり、目を覚まし、規則的に眠ります。」 ラルソン氏はさらに、「11週間後の段階で身体系統の全てが形成され、機能しています。」 まだ十分に発達していないとは言え、胎児は2歳の子どもと比較できます。例えば、2歳の子どもの骨は十分に発達していません。同様に、胎児も体の部分を全てを具えていながら、発達の段階にあるのです。
1.3 胎児の遺伝子的組成
一部の科学者は胎児を魚あるいはおたまじゃくしと似たようなものだと主張していますが、しかし、胎児は実にヒト的な諸機関をそなえているため、人間にきわめてよく似通っています。事実、科学者たち自身、胎児の器官を「人体実験」のために取り出して使うのです。(1.8項参照)胎児は子どもと同様、十分に発達しきっていない唯一無二の生物学的存在です。一人々々の人は、受胎のときから、成人の段階にいたるまで、同じ遺伝子的組成をもっているのです。胎児の細胞は、大人の細胞と同数の染色体を含んでいますが、この染色体こそ、一人々々の人が、どのような人になるのかを決定する、他の誰のとも違う遺伝子的特長をもっているのです。健常な人は46の染色体を持っていますが、例外としてたとえば、ダウン症の子どもは47個の染色体を持っています。[24ページ]
2 医学的証拠
この章に載せてある写真は人工中絶の結果を示しています。これらは3つとも合衆国内で合法的に人工中絶された胎児の写真です。科学的な定義にしたがえば、胎内の幼児は[妊娠後役12週間で胎児(fetus)と呼ばれ、それ以前は胚種embryoと呼ばれますが、実際の人間の発達は継続的に起こるものです。3枚の写真は、それぞれ妊娠後6.5週間、19週間、24.5週間後の胎児の姿を明らかにしています。妊娠後8~10週間後以内の人工中絶には、すでに人間の全ての器官がそなわっています。
一番若い6.5週間の胎児は、まだ全ての器官を持っていませんが、主要な器官―例えば男性の生殖器官など―人間を人間ならしめる遺伝子的構成をすでに持ち合わせています。残りの胎児は、毛髪、鼻、まゆ毛など細かいところまで人間の姿・かたちを示しています。人工中絶には7つの基本的なやり方があります。(RU-486と呼ばれる薬品を用いる、最近開発された方法は、ここでは取り上げません。本書が出版された1992年の時点では、まだこの手段は合法化されていませんでした。)
「D&C(dilation-and-curettageの略)式人工中絶」 は、輪が先に付いたナイフで胎児を切り刻み、子宮から取り除くというものです。この方法は妊娠後7から12週間目(あるいはそれ以降)の胎児に対して用いられます。
「拡張・摘出式人工中絶」 は歯の付いたピンセットを用います。この方法は、先のD&C 法に似ています。ただこの手法が用いられるのは、比較的成長した胎児(受胎後12から20週間、あるいはそれ以降)であるため、胎児の頭部をくだき、体を引き裂いた後に、そのバラバラになった各部分を子宮から取り除くことになります。
「プロスタグランディン人工中絶」 では、早産を招くプロスタグランディンというやくざいをちゅうにゅうしておこなわれます。この手法は妊娠後12から20週間あるいはそれ以降の胎児に対して用いられますが、妊娠7、8、9か月目に至っている場合には、ふつう決まって使われる手段です。もし、プロスタグランディンによる中絶の結果、生きた胎児が出産された場合(そして実際、こうなることが多いのですが)、その赤ちゃんはほとんどの場合、放置して死なせます。
「塩分中毒人工中絶」 では、高濃度の塩素の溶液を注入して胎児に中毒と火傷を負わせます。このようにして殺傷された胎児は人工的な流産によって体外に排出されます。この方式は妊娠後14週間かそれ以降の胎児にしか用いられません。
「D&X(Dilation-and-Extractionの略)式人工中絶」 では、吸入カテーテルを使って、まだ子宮内にいる生きた胎児から、脳を引き出します。こうすれば胎児の頭蓋骨はくずれやすくなり、体の残りの部分と共に頭部を簡単に取り出すことができ、この手法は妊娠期間の第2三半期末期から第3三半期初頭にかけて用いられます。
[26ページの写真説明]
ステファンは妊娠後約6.5週間目でした。身長は2インチで体重は3分の1オンスでした。ステファンの体は、保存のためホルマリンの溶液に浸されました。この段階の胎児は、大部分の臓器がそろっているくらい発達しています。手足は、はっきりそれと分かり、へその緒付近に小さな男性生殖器官がみられます。
[27ページの写真説明]
エステルは妊娠後約19週間でした。身長は14インチで、体重は283グラムありました。エステルは高濃度の塩水の注入によって、皮膚の外層を焼かれ、中毒症状を起こして亡くなりました。写真では、頭髪と爪の存在が分かります。黒いまだらの点は、火傷を起こした皮膚の部分です。この段階の胎児は、全ての臓器をそなえているほど発達しています。
[28ページの写真説明]
グレースは妊娠後約24.5週間目でした。身長は19インチ、体重は519グラムありました。グレースはプロスタグランディンという薬剤によって中絶されました。この写真では、頭髪と爪が生えているのがよく分かります。また、この写真は、この段階での胎児は全ての臓器をそなえているほど発達していることを証明しています。
(続く)
こんにちは。コメントありがとうございます。
胎児を「まだ人間(パーソン)ではない(未人間)」と主張するのは、生物学的・医学的からみて間違っています。
目に見える肉体の形がいろいろ移り変わりを見せていくにしても 受胎の瞬間から一貫して、胎児も子供も大人と同様に霊魂と肉体を併せ持つ生命体としての人間だからです。
もしも胎児が、目が見えないから、話ができないから、自分一人で生きることができないから、などの理由で人間ではない(だから胎児を殺すことができる)と主張するなら、それはナチスの思想と同じです。ナチスでは障害を持つ人や老人や病人は人間ではないと主張していたからです。
たとえ未だに成人のような体つきをしていなかったとしても、未だに一人で独立して生きることができなかったとしても、胎児は立派な人間です。
つまり、特別な天主の創造物であり、霊魂という肉体の死とともに消滅するものではない霊的で永遠のもの備わっている存在であり、非常に尊い存在です。
「未人間」や「未子供」などのような概念は、悪用されて誤解される用語だと思います。
私たちは胎児=立派な人間という等式を主張し続けるべきです。