白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、プーガ神父様(D.Puga)のお説教 をご紹介します。
※このお説教は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております
人類史、ユニークな歴史
プーガ神父様(D.Puga)のお説教
2022年12月04日
Saint-Nicolas du Chardonnet教会にて
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン
親愛なる兄弟の皆さま、待降節は贖罪者と救い主を得さしめ給うた聖母マリアをよく思い起こさせます。今、ちょうど正午になりましたが、伝統に従って、アンジェルス(お告げの祈り)を歌います。昔からのキリスト教の伝統ですが、毎日、夜明け、正午、日没に三回、アンジェルスという祈祷をささげるものです。
アンジェルスの祈りを通じて、聖ガブリエル大天使から童貞聖マリアへの御告げという素晴らしい出来事が思い起こされます。
童貞聖マリアは童貞です。聖マリアは若いうちに終身、童貞のままになることを誓願しました。つまり、心身ともに天主へ奉献することを童貞聖マリアが約束されました。そもそも罪のなかった聖母マリアがさらに、合法的であったにもかかわらず、結婚して肉体上の関係を断念し、また子を産む喜びを童貞聖マリアは断念しました。
聖トマス・アクイナスが解説しているように、童貞聖マリアの貞節の誓願は条件付きの約束でした。なぜなら、当時のイスラエルの女性なら、頼まれたのなら子孫を設けることを受け入れる義務がありました。それはメシアを産むために義務化されていました。また、メシアはもうすぐ生まれるだろうということも知られていたからです。
ですから、童貞聖マリアは貞節を誓願しましたが、天主のみ旨に適っていることを条件にしました。そしてこの天主のみ旨が何らかの形で(適っていないと)知らせたら、この誓願を廃止することは可能でした。
そしてある日、ナザレにいた童貞聖マリアが、聖伝によると15、16歳ごろの娘でしたが、大天使聖ガブリエルが彼女の前に現れます。聖母マリアは大天使を見て非常に驚かれました。ですから、聖母マリアはそれ以前、天使の訪問あるいは超自然の現れなどはなかっただろうということを示します。聖母マリアはその時まで、特に天からの訪問或いは出現はなかったと思われます。でなければ、大天使が自分の前に現れても驚くはずがありません。
そして、聖母マリアが大天使を見て心乱れますが、大天使が「恐れるな、マリア、あなたは天主のみ前に恩寵を得た」と答えます。
これを聞いて、聖母マリアがさらに驚きます。いとも謙遜だった聖母マリアでしたので、このように賛美されてもわからないというか、想像もつかなかったでしょう。
そして、大天使は聖母マリアに、彼女に関する天主のご計画を告げます。つまり、救い主の御母になるようにということを告げます。
童貞聖マリアがなおさらに驚かれます。まず救い主の母なることに値しないと童貞聖マリアが思っていたからです。そして、同時に童貞聖マリアが驚いているからといっても、冷静のままです。よく考慮して引き続き考えています。感情にまけません。
聖母マリアは「私は男を知りませんが、どうしそうなるのですか」と冷静に大天使に聞きました。
童貞聖マリアはヨセフと婚約していましたが、聖伝によると、マリアよりも年配だった聖ヨセフもかなり敬虔であり、貞節の誓願をたてていました。
もしかたら、聖ヨセフも聖マリアも同じ貞節の誓願をたてていたので、お互いにこの誓願を守るために婚約して、このように、貞節を一生守れるというところがあったのでしょう。
繰り返しますが、このような一生の童貞、貞節の誓願で終身童貞になる生活というようなことは、イスラエルではかなりまれで、全然普通なことではありませんでした。どうしてもメシアを産むために子孫を設けなければならないというところがあったからです。
要するに、童貞聖マリアは以上のように大天使にした質問というのは、「私がした貞節の誓願は天主のためのものであるので、天主ご自身のみ旨ではないかぎり、私で決められない」といわんばかりですね。
そして、大天使はどうしてそうなるのかを説明します。「聖霊があなたにくだり、いと高きものの力の影があなたを覆うのです」と言います。
言い換えると、童貞聖マリアが生む子は男女の関係から生まれることではないということです。童貞聖マリアが童貞のままとなるのです。
そして、これはまた信条であり、ご存じのように、我らの主のご降誕の前、ご降誕の間とそののち、ずっと童貞のままでした。ですから、いつも童貞なる聖マリアと言います。ずっとずっと聖母マリアが童貞でありました。それは生まれるこの子が真に天主であるという真実、教義を守るために天主によって用意されたかのようです。
「聖霊があなたにくだり、いと高きものの力の影があなたを覆うのです。ですから、生まれる子は聖なるお方で、天主の子と言われます。」
そして、マリアは「はい」とも「いいえ」とも言わないで、美しいお答えをします。「私は主のはしためです。あなたのみことばのとおりになりますように」と答えます。
聖母マリアは天主のみ旨に自分自身のすべてを任せて捧げます。
聖母マリアの自己意思を完全に捨てて、天主のみ旨に捧げます。
そして、その瞬間、童貞聖マリアのご体内に、子が宿られました。この子は我らの主、我らの救い主です。
待降節に特に思い起こされるご托身の玄義をよく理解しましょう。ご托身の玄義は 童貞聖マリアのご体内に宿られたかたを祝うことです。しかしながら、このかたには人間の父はいません。彼の父は天主であり、聖なる三位一体の第一の位格だからです。
イエズスは天主の御独子なのです。そしてイエズスは聖なる三位一体の第二位格でもあります。
そして、聖なる三位一体の第三位格に当たる聖霊こそが、聖母マリアの体内にイエズスを宿らせました。
ご存じのように、本来ならば、人間なら、子が生まれるために、父からくる部分と母からくる部分の両方が必要です。男女のかかわりによってしか生まれえないのです。
童貞聖マリアの場合、母からくるものは聖母マリアがもたらしたわけですが、それだけではありません。聖霊の御働きによって奇跡が起きましたが、我らの主の御体が全体として成り立つためのすべては聖母マリアから来ています。このように我らの主、イエズス・キリストの御体は完全に聖母マリアから来たということです。この奇跡はご体内の聖霊の御働きのおかげです。
イエズスには人間の父はいません。
神学者たちによると、以上の教義を受けて、聖母マリアとイエズスは身体上に非常に似ていただろうと結論します。驚くほどに似ていたでしょう。
このように、真の人である我らの主、イエズス・キリストは聖母マリアのご体内に、ご降誕まで、人類の自然法に従って、普通の人と全く同じように成長していきます。
しかしながら、ご降誕の時に、御母の童貞を犯さないで生まれたということです。これは御子から御母への特別なプレゼントでした。
そして、ご降誕の後、最後まで童貞のままであって、イエズス以外に子をもうけなかったのです。我らの主がいたら、すでにすべて持っているということになるからです。
親愛なる兄弟の皆さま、以上は我らの信仰における大玄義です。
マリアの「フィアット」とは我らにとって非常に重要で決定的です。すべての神学者らが同意しあいますが、聖母マリアは大天使からの御告げを受け入れる義務はなかったということです。聖母マリアがこれを拒んだのなら、誰がそのほかにそれを受け入れられるでしょうか。ある方が「もう一人の女性が受け入れたのでは」と言われますが、それはありえません。イエズスをご体内に宿れることに値する女性は無原罪の聖母マリア以外、存在しません。
さらにいうと、聖母マリアが罪は全くなかったのに、大天使からの御告げを受け入れる勇気がなかったとすれば、一体だれがその勇気を持てるでしょうか。聖母マリアこそが、ご托身のために最高にも一番相応しいお方でした。無原罪の御宿りは我らにとってどれほど賜物であるかそれで認識できます。
聖母マリアが大天使の御告げを受けいれられるように、我らの名において自由意志をもって自発的に素直に受けいれられるように、聖母マリアが一番相応しい方であり、相応しく創造されました。
ですから、我らは聖母マリアに感謝しましょう。
ご降誕の諸玄義の一つには、三人の博士の訪問がありますが、「こどもが母のマリアと一緒におられることをみた(マテオ、2,11)」とあります。
はい、我々は救われるために、我らの主イエズス・キリストを通じなければなりません。我らの主イエズス・キリストこそが我々を救います。しかしながら、イエズスを見つけるために、御母を通じなければなりません。マリア様を抜きにイエズスにたどり着くことはできません。それは天主のみ旨であり、最初から福音書においてそれは示されています。
ですから、恩恵を受けるたびにご聖体拝領をするたびに、秘蹟にあずかるたびに、マリア様の「フィアット」を思い出して、我々も「フィアット」といって、聖母マリアに感謝しましょう。マリア様は「フィアット」と言わなかったのなら、救い主を我々が得られなかったことになり、大絶望となったでしょう。
ですから、カトリック教会が聖母マリアへの信心を大切にしている理由はわかりやすいでしょう。また、プロテスタントからの聖母に対する異議、すなわち「カトリック信徒らが聖母マリアに対してやりすぎだ」というような文句もカトリック教会が拒んで否認する理由もわかりやすいでしょう。
御母の名誉を讃えることによって、御子の名誉が傷つけられることはありません。逆です。
親愛なる兄弟の皆さま、もうすぐ無原罪の御宿りの祝日がやってきます。
聖母マリアのために皆様、頑張って何かをささげましょう。祈りましょう。犠牲をしましょう。感謝の意を込めて。
ミサにあずかり、行列に参加し、できることをやりましょう。12月8日を大切にして、聖母マリアのほかの大祝日を見逃さないでおきましょう。
童貞聖マリアは聖母の祝日を準備して、頑張っている人々のために、特別に見守って祝福してくれますので、見逃さないようにしましょう。
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン
※このお説教は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております
人類史、ユニークな歴史
プーガ神父様(D.Puga)のお説教
2022年12月04日
Saint-Nicolas du Chardonnet教会にて
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン
親愛なる兄弟の皆さま、待降節は贖罪者と救い主を得さしめ給うた聖母マリアをよく思い起こさせます。今、ちょうど正午になりましたが、伝統に従って、アンジェルス(お告げの祈り)を歌います。昔からのキリスト教の伝統ですが、毎日、夜明け、正午、日没に三回、アンジェルスという祈祷をささげるものです。
アンジェルスの祈りを通じて、聖ガブリエル大天使から童貞聖マリアへの御告げという素晴らしい出来事が思い起こされます。
童貞聖マリアは童貞です。聖マリアは若いうちに終身、童貞のままになることを誓願しました。つまり、心身ともに天主へ奉献することを童貞聖マリアが約束されました。そもそも罪のなかった聖母マリアがさらに、合法的であったにもかかわらず、結婚して肉体上の関係を断念し、また子を産む喜びを童貞聖マリアは断念しました。
聖トマス・アクイナスが解説しているように、童貞聖マリアの貞節の誓願は条件付きの約束でした。なぜなら、当時のイスラエルの女性なら、頼まれたのなら子孫を設けることを受け入れる義務がありました。それはメシアを産むために義務化されていました。また、メシアはもうすぐ生まれるだろうということも知られていたからです。
ですから、童貞聖マリアは貞節を誓願しましたが、天主のみ旨に適っていることを条件にしました。そしてこの天主のみ旨が何らかの形で(適っていないと)知らせたら、この誓願を廃止することは可能でした。
そしてある日、ナザレにいた童貞聖マリアが、聖伝によると15、16歳ごろの娘でしたが、大天使聖ガブリエルが彼女の前に現れます。聖母マリアは大天使を見て非常に驚かれました。ですから、聖母マリアはそれ以前、天使の訪問あるいは超自然の現れなどはなかっただろうということを示します。聖母マリアはその時まで、特に天からの訪問或いは出現はなかったと思われます。でなければ、大天使が自分の前に現れても驚くはずがありません。
そして、聖母マリアが大天使を見て心乱れますが、大天使が「恐れるな、マリア、あなたは天主のみ前に恩寵を得た」と答えます。
これを聞いて、聖母マリアがさらに驚きます。いとも謙遜だった聖母マリアでしたので、このように賛美されてもわからないというか、想像もつかなかったでしょう。
そして、大天使は聖母マリアに、彼女に関する天主のご計画を告げます。つまり、救い主の御母になるようにということを告げます。
童貞聖マリアがなおさらに驚かれます。まず救い主の母なることに値しないと童貞聖マリアが思っていたからです。そして、同時に童貞聖マリアが驚いているからといっても、冷静のままです。よく考慮して引き続き考えています。感情にまけません。
聖母マリアは「私は男を知りませんが、どうしそうなるのですか」と冷静に大天使に聞きました。
童貞聖マリアはヨセフと婚約していましたが、聖伝によると、マリアよりも年配だった聖ヨセフもかなり敬虔であり、貞節の誓願をたてていました。
もしかたら、聖ヨセフも聖マリアも同じ貞節の誓願をたてていたので、お互いにこの誓願を守るために婚約して、このように、貞節を一生守れるというところがあったのでしょう。
繰り返しますが、このような一生の童貞、貞節の誓願で終身童貞になる生活というようなことは、イスラエルではかなりまれで、全然普通なことではありませんでした。どうしてもメシアを産むために子孫を設けなければならないというところがあったからです。
要するに、童貞聖マリアは以上のように大天使にした質問というのは、「私がした貞節の誓願は天主のためのものであるので、天主ご自身のみ旨ではないかぎり、私で決められない」といわんばかりですね。
そして、大天使はどうしてそうなるのかを説明します。「聖霊があなたにくだり、いと高きものの力の影があなたを覆うのです」と言います。
言い換えると、童貞聖マリアが生む子は男女の関係から生まれることではないということです。童貞聖マリアが童貞のままとなるのです。
そして、これはまた信条であり、ご存じのように、我らの主のご降誕の前、ご降誕の間とそののち、ずっと童貞のままでした。ですから、いつも童貞なる聖マリアと言います。ずっとずっと聖母マリアが童貞でありました。それは生まれるこの子が真に天主であるという真実、教義を守るために天主によって用意されたかのようです。
「聖霊があなたにくだり、いと高きものの力の影があなたを覆うのです。ですから、生まれる子は聖なるお方で、天主の子と言われます。」
そして、マリアは「はい」とも「いいえ」とも言わないで、美しいお答えをします。「私は主のはしためです。あなたのみことばのとおりになりますように」と答えます。
聖母マリアは天主のみ旨に自分自身のすべてを任せて捧げます。
聖母マリアの自己意思を完全に捨てて、天主のみ旨に捧げます。
そして、その瞬間、童貞聖マリアのご体内に、子が宿られました。この子は我らの主、我らの救い主です。
待降節に特に思い起こされるご托身の玄義をよく理解しましょう。ご托身の玄義は 童貞聖マリアのご体内に宿られたかたを祝うことです。しかしながら、このかたには人間の父はいません。彼の父は天主であり、聖なる三位一体の第一の位格だからです。
イエズスは天主の御独子なのです。そしてイエズスは聖なる三位一体の第二位格でもあります。
そして、聖なる三位一体の第三位格に当たる聖霊こそが、聖母マリアの体内にイエズスを宿らせました。
ご存じのように、本来ならば、人間なら、子が生まれるために、父からくる部分と母からくる部分の両方が必要です。男女のかかわりによってしか生まれえないのです。
童貞聖マリアの場合、母からくるものは聖母マリアがもたらしたわけですが、それだけではありません。聖霊の御働きによって奇跡が起きましたが、我らの主の御体が全体として成り立つためのすべては聖母マリアから来ています。このように我らの主、イエズス・キリストの御体は完全に聖母マリアから来たということです。この奇跡はご体内の聖霊の御働きのおかげです。
イエズスには人間の父はいません。
神学者たちによると、以上の教義を受けて、聖母マリアとイエズスは身体上に非常に似ていただろうと結論します。驚くほどに似ていたでしょう。
このように、真の人である我らの主、イエズス・キリストは聖母マリアのご体内に、ご降誕まで、人類の自然法に従って、普通の人と全く同じように成長していきます。
しかしながら、ご降誕の時に、御母の童貞を犯さないで生まれたということです。これは御子から御母への特別なプレゼントでした。
そして、ご降誕の後、最後まで童貞のままであって、イエズス以外に子をもうけなかったのです。我らの主がいたら、すでにすべて持っているということになるからです。
親愛なる兄弟の皆さま、以上は我らの信仰における大玄義です。
マリアの「フィアット」とは我らにとって非常に重要で決定的です。すべての神学者らが同意しあいますが、聖母マリアは大天使からの御告げを受け入れる義務はなかったということです。聖母マリアがこれを拒んだのなら、誰がそのほかにそれを受け入れられるでしょうか。ある方が「もう一人の女性が受け入れたのでは」と言われますが、それはありえません。イエズスをご体内に宿れることに値する女性は無原罪の聖母マリア以外、存在しません。
さらにいうと、聖母マリアが罪は全くなかったのに、大天使からの御告げを受け入れる勇気がなかったとすれば、一体だれがその勇気を持てるでしょうか。聖母マリアこそが、ご托身のために最高にも一番相応しいお方でした。無原罪の御宿りは我らにとってどれほど賜物であるかそれで認識できます。
聖母マリアが大天使の御告げを受けいれられるように、我らの名において自由意志をもって自発的に素直に受けいれられるように、聖母マリアが一番相応しい方であり、相応しく創造されました。
ですから、我らは聖母マリアに感謝しましょう。
ご降誕の諸玄義の一つには、三人の博士の訪問がありますが、「こどもが母のマリアと一緒におられることをみた(マテオ、2,11)」とあります。
はい、我々は救われるために、我らの主イエズス・キリストを通じなければなりません。我らの主イエズス・キリストこそが我々を救います。しかしながら、イエズスを見つけるために、御母を通じなければなりません。マリア様を抜きにイエズスにたどり着くことはできません。それは天主のみ旨であり、最初から福音書においてそれは示されています。
ですから、恩恵を受けるたびにご聖体拝領をするたびに、秘蹟にあずかるたびに、マリア様の「フィアット」を思い出して、我々も「フィアット」といって、聖母マリアに感謝しましょう。マリア様は「フィアット」と言わなかったのなら、救い主を我々が得られなかったことになり、大絶望となったでしょう。
ですから、カトリック教会が聖母マリアへの信心を大切にしている理由はわかりやすいでしょう。また、プロテスタントからの聖母に対する異議、すなわち「カトリック信徒らが聖母マリアに対してやりすぎだ」というような文句もカトリック教会が拒んで否認する理由もわかりやすいでしょう。
御母の名誉を讃えることによって、御子の名誉が傷つけられることはありません。逆です。
親愛なる兄弟の皆さま、もうすぐ無原罪の御宿りの祝日がやってきます。
聖母マリアのために皆様、頑張って何かをささげましょう。祈りましょう。犠牲をしましょう。感謝の意を込めて。
ミサにあずかり、行列に参加し、できることをやりましょう。12月8日を大切にして、聖母マリアのほかの大祝日を見逃さないでおきましょう。
童貞聖マリアは聖母の祝日を準備して、頑張っている人々のために、特別に見守って祝福してくれますので、見逃さないようにしましょう。
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン