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米艦船、中国の人工島12カイリ内航行へ…英紙
【ワシントン=大木聖馬】英紙フィナンシャル・タイムズ(電子版)は8日、米政府が今後2週間以内に、中国が岩礁を埋め立てて軍事拠点化を進めている南シナ海・スプラトリー(南沙)諸島の人工島の12カイリ(約22キロ)内で、米海軍の艦船を航行させる構えだと報じた。米政府高官の話として伝えた
国際法では海岸線から12カイリを領海と定めており、同紙は「中国の領有権主張を認めない姿勢を示す」狙いだと指摘している。米国は2012年以降、南シナ海で中国が実効支配する岩礁の12カイリ内では活動していなかった。
米海軍情報に詳しい専門紙ネイビー・タイムズ(電子版)も8日、演習が「数日以内に行われる可能性がある」と伝え、「海軍はオバマ政権の最終的な承認を待っている」と報じた。
自民党本部で細田博之幹事長代行(右)と握手する台湾・民進党の蔡英文主席=9日午後、東京・永田町
蔡英文氏、会談相手は「答えられない」 派手な演出避け、日本からの“厚遇”勝ち取る 台湾の野党、民主進歩党の総統選候補者、蔡英文主席は9日、4日間の来日を終えた。滞在中は優勢な選挙情勢や中国の反発を考慮し、派手な演出を避けて失点を避ける一方、日本政府高官との非公式会談など実務的な実績を重ねた。日本側も来年の政権交代を見据えて“厚遇”で応じた 蔡氏は9日、東京・永田町の自民党本部を訪問し、細田博之幹事長代行らと会談した。午前には、内閣府で政府高官と非公式に会談したと台湾メディアが報じた。蔡氏は記者団に「関係者と会談した」と会談を認めたが、会談相手は「答えられない」と述べた 台湾の総統選の候補者が日本の政府機関で現職の高官と会談するのは、極めて異例。蔡氏にとっては5月末~6月の訪米で国務省に入ったのに続き、対外活動の着実な成果を残した。
蔡氏は8日には首相官邸近くのホテルで、安倍首相と接触したとみられている。民進党の呉●(=刊の干を金に)燮秘書長(幹事長)は9日、首相との会談を重ねて否定したが、接触報道は台湾の有権者に「日本の首相と直接対話できる指導者」という印象を与えたようだ 民進党は今回の訪日で安倍氏との近さの演出を狙った節がある。両氏は自民党が野党時代の2010年と11年の2回、台北で会談している。蔡氏は7日には首相の地元、山口県を訪問。首相の実弟、岸信夫衆院議員の案内で歴代首相の書を見学した際も、安倍氏が揮毫(きごう)した「寂然不動(心は穏やかだが信念は曲げないの意)」に見入った。蔡氏はフェイスブックに「課題に直面する上で、指導者には寂然不動の心が必要だ」と書き込み、安倍氏への親近感を示してみせた 蔡氏は前回総統選の候補者として来日した11年10月には、外国特派員協会や早稲田大学での講演で、対中政策などに関する発信を積極的に行った。今回は対照的に、講演は日本在住の台湾人向けに内政問題を中心に語っただけ。その一方、日本の政党幹部や政府高官との会談を通じ、政権交代の準備ができているとの姿勢を内外に示した形だ。(田中靖人)
昭和の風情、昔懐かし「移動販売車」 今は過疎地の救い主に
過疎化が進む奈良県五條市大塔町で、高齢者らの生活を支援しようと、同市と県内で6店舗を展開している食品スーパー「吉野ストア」(本社・大淀町)が共同で食品や日用品の移動販売車の運行を始めた。
大塔町は人口約300人で、高齢化率は約61%。過疎化・高齢化が進んでいるのに加え、平成23年の紀伊半島豪雨災害では大きな被害を受けた。地域には食料品店がなく、住民は買い物するにも20キロ以上離れたスーパーまで出かけなければならない状況となっている。
移動販売車は、同市のマスコットキャラクターユニット「ゴーカスター」にちなんで「ゴーカスター号」と命名。冷蔵庫や冷凍庫を設備した専用の軽トラックに、生鮮食料品や日用品など約300品目を積み込み、大塔町内18自治会を6コースに分け、週6日運行している。
同市の太田好紀市長は「地域のみなさんが地域で買い物ができ、よろこんでいただけると思う」と話していた。
スリランカ首相が触れた「語り継ぐべき歴史」をメディアはなぜ報じぬ
スリランカのウィクラマシンハ首相が6日、安倍晋三首相と会談した
自己規制の政府
「日本は20世紀初頭のアジアにおける国際的な動き、ナショナリズムの動きについて多くの国に希望を与えたと思う」
これは具体的な事例は名指しはしていないものの、8月14日に発表された安倍首相談話の次の部分と呼応していると感じた。
「日露戦争(1904~05、筆者注)は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」
この部分に韓国メディアは不満や異議を表明したし、ロシアにとっては不本意な記述かもしれないが、紛れもない事実である。
当時、16歳だったインド建国の父、ネールは自伝にこう記している
「日本の戦勝は私の熱狂を沸き立たせ、新しいニュースを見るため毎日、新聞を待ち焦がれた。私の頭はナショナリスチックの意識でいっぱいになった。インドをヨーロッパの隷属から、アジアをヨーロッパの隷属から救い出すことに思いをはせた」
また、中国革命の父、孫文も日本での講演でこのように強調している。
「この戦争の影響がすぐ全アジアに伝わりますとアジアの全民族は、大きな驚きと喜びを感じ、とても大きな希望を抱いた。(中略)日本がロシアに勝って以来アジアの全民族は、ヨーロッパをうち破ることを考えるようになり独立運動がおこりました」
ところが、こんな明白な歴史の一面の真実であっても、「これまで政府関係文書には書けなかった」(政府高官)というのが日本の言語空間の実情である。
政府は戦勝国を刺激すまいと卑屈になり、多くのメディアは連合国軍総司令部(GHQ)による厳しい検閲の後遺症からか自己規制して指摘してこなかった
たとえそれが客観的事実であろうと、過去の日本を評価したり肯定したりする内容は、国民には決して伝えてはならないタブーか何かであるように、である。
憤った元首相
冒頭紹介したウィクラマシンハ首相の言葉も、本紙を含め在京各紙の翌7日付朝刊で取り上げている記事は見当たらなかった。相手が中国や韓国ならば、報道官レベルの歴史認識をめぐる対日批判にも過敏に反応するのに、奇妙な話だ。
あるいは、中韓以外は眼中になく、特に注目すべき言葉だと判断しなかっただけかもしれない。
ただ、このようなメディアの一定方向だけを向く体質を目の当たりにするとき、いつも思い出す一文がある。それはA級戦犯容疑者とされていた岸信介元首相が昭和23年11月、極東国際軍事裁判(東京裁判)で被告全員無罪を主張したインド代表のパール判事の判決文(意見書)について、日本タイムス以外の新聞がまともに取り上げなかったことに憤った言葉だ。
「之は各新聞社の卑屈か非国民的意図に出づるものである。之等の腰抜(こしぬけ)共は宜しくパール判事の前に愧死(きし)すべきである」(『獄中日記』)
「愧死」とは、恥ずかしさのあまりに死ぬことを意味する。そんな目には遭いたくないので自戒したい。 (論説委員兼政治部編集委員)
日本は、昭和13年12月6日の五相会議(近衛文麿首相・有田八郎外相・板垣征四郎陸相・米内光政海相・池田成彬蔵相兼商工相)で、「人種平等の原則によりユダヤ人を排斥しない」とする『ユダヤ人対策要綱』を政府決定した。
1.2万人のユダヤ人、吹雪の中で立ち往生■
昭和13(1938)年3月8日、ハルピン特務機関長・樋口少将の もとに重大事件のニュースがもたらされた。
満洲国と国境を接したソ連領のオトポールに、ナチスのユ ダヤ人狩りからのがれてきた約二万人のユダヤ難民が、吹雪 の中で立往生している。 これらのユダヤ人は、満洲国に助けを求めるために、シべ リア鉄道を貨車でゆられてきたのであるが、満洲国が入国を 拒否したため、難民は前へ進むこともできず、そうかといっ て退くこともできない。 食糧はすでにつき、飢餓と寒さのために、凍死者が続出し、 危険な状態にさらされている
これらのユダヤ難民は、フランクフルトからポーランドに流れ 込んだのだが、すでに数百万のユダヤ人を抱えていた同国は、彼 らを体よくソ連領に追いやってしまった。
ソ連は難民達をシベリアでもほとんど開発を放棄した酷寒の地 に入植させたのだが、都市生活者ばかりの難民達に開拓ができる はずもなく、彼らは満洲国を経由して、上海へ脱出しようとして、 オトポールまでたどりついた所であった。
■2.難民の件は承知した■
ハルピンのユダヤ人協会会長・カウフマン博士も飛んできて、 樋口に同胞の窮状を訴えた。しかし、満洲国外務部(外務省)を 飛び越えて、独断でユダヤ人を受け入れるのは、明らかな職務権 限逸脱である。
なぜ外務部は動かないのか。ユダヤ人問題で下手に動いて、ヒ ットラーから横やりでも入ったら、関東軍からにらまれるからだ ろう。樋口は腹立たしさを覚えた。彼らは満洲国の独立国家とし ての自主性をまったく失っている。満洲建国の理想として世界に 掲げた旗印は「五族協和」であり、「万民安居楽業」ではなかっ たか。
博士! 難民の件は承知した。だれがなんといおうと、私 がひきうけました。博士は難民のうけいれ準備にかかってほ しい。
力強い樋口のことばに、カウフマン博士は感きわまり、声をあ げて泣いた。「博士、さあはやく、泣いている場合ではありませ んぞ。」樋口はすぐに満鉄本社の松岡総裁を呼び出し、列車の交 渉を始めた。
■3.難民、到着■
それから2日後の3月12日。ハルピン駅では列車の到着を待 つカウフマン博士をはじめ、十数人のユダヤ人協会の幹部が、救 護班を指図しながら、温かい飲み物や、衣類などの点検に忙しそ うに動きまわっていた。
やがて、轟然たる地ひびきをたてて、列車がホームにすべりこ んできた。痩せたひげだらけの顔が、窓に鈴なりになって並んで いる。期せずして、はげしいどよめきの声が、ホームいっぱいに ひろがった。列車が停止すると、救護班がまっさきに車内にとび こんだ。病人や凍傷で歩けない人たちが、つぎつぎにタンカで運 ぴだされてくる。
ホームのあっちこちで、だれかれのべつなく肩にとびつき、相 擁して泣き崩れる難民たち。やつれはて、目ばかりギョロつかせ ていた子供たちは、ミルクの入った瓶をみると、狂ったように吠 え、わめき、オイオイと泣きだした。
「よかった。ほんとによかった!」 カウフマン博士は、涙で濡れた顔をぬぐおうともせず、ホーム を走りまわって、傷ついた難民にいたわりの声をかけている。
数刻後、樋ロは、オトポールの難民ぜんぶが、ハルピンに収谷 されたという報告をうけた。凍死者は十数人、病人と凍傷患者二 十数名をのぞいた全員が、商工クラブや学校に収容され、炊きだ しをうけているという。救援列車の手配がもう一日おくれたら、 これだけの犠牲者ではすまなかっただろうと医師たちは言ってい た。
難民の8割は大連、上海を経由してアメリカへ渡っていったが、 あとの4千人は開拓農民として、ハルピン奥地に入植することに なった。樋口は部下に指示し、それらの農民のために、土地と住 居をあっせんするなど、最後まで面倒を見た。
■4.ドイツ外相からの強硬な抗議■
樋口のユダヤ難民保護に対して、案の定、ドイツから強硬な抗 議が来た。リッべントロップ独外相は、オットー駐日大使を通じ て次のような抗議書を送ってきた。
満洲国にある貴国のある重要任務にあたる某ゼネラルは、 わがドイツの国策を批判するのみか、ドイツ国家および、ヒ トラー総統の計画と理想を、妨害する行為におよんだのであ る。 かかる要人の行為は、盟邦の誓いもあらたな、日独共同の 目的を侵害するばかりか、今後の友好関係に影響をおよぼす こと甚大である。この要人についてすみゃかに、貴国におけ る善処を希望している。
樋口は、関東軍司令部からの出頭命令を受け、参謀長・東条英 機(後の首相)に対して次のように述べた。
もし、ドイツの国策なるものが、オトポールにおいて、追 放したユダヤ民族を進退両難におとしいれることにあったと すれば、それは恐るべき人道上の敵ともいうべき国策ではな いか。 そしてまた、日満両国が、かかる非人道的なドイツの国策 に協力すべきものであるとするならば、これまた、驚くべき 軽侮であり、人倫の道にそむくものであるといわねばならな いでしょう。 私は、日独間の国交親善と友好は希望するが、日本はドイ ツの属国ではないし、満洲国もまた、日本の属国ではないと 信じている。
樋口は、東条の顔を正面から見据えて言った。「東条参謀長! ヒトラーのおさき棒をかついで、弱い者いじめをすることを、正 しいとお思いになりますか」
東条は、ぐっと返事につまり、天井を仰ぐしぐさをしてから、 言った。
樋口君、よく分かった。あなたの話はもっともである。ち ゃんと筋が通っている。私からも中央に対し、この問題は不 問に付すように伝えておこう。
■5.ゼレラル・ヒグチの出発■
樋口を待っていたのは、「不問」どころか、参謀本部第2部長 への栄転だった。ドイツからの「善処」要求のわずか5ヶ月後に、 このような人事を行ったということは、「人種平等を国是とする 我が国はヒトラーのお先棒は担がない」という強烈なメッセージ ではなかったか。
出発の当日、駅頭は、二千人ちかい見送りの群集で、埋めつく されていた。その人波の中には、数十キロの奥地から、わざわざ 馬車をとばして駆けつけてきた開拓農夫の家族たちなどもまじっ ていた。樋口が土地や住居の世話をしたユダヤ難民たちであった。
樋口が駅頭に立つと、いっせいに万歳の声がわきおこった。日 の丸と満洲国旗とをうちふり、「ゼネラル、ヒグチ!」と、ロ々 に連呼しあう。 孫に手をひかれた白髪のユダヤの老婆は、路面 にひざまずいて樋口を拝み、涙をながしつつけていた。
待合室に入ると、カウフマン博士が、白系ロシア人の代表者ロ ザノフとともにやってきた。ユダヤ人と白系ロシア人は、血なま ぐさい暗闘を繰り返していたのだが、樋口が親睦のクラブまで作 って、仲介に努力していたのである。
ロザノフは、カウフマン博士の頬に長い接吻をし、巧みな日本 語で言った。
これが閣下に対する餞別です。閣下の言葉を忘れず、これ から仲良くやっていきます。
樋口が「あじあ」号の最後尾の展望台に立つと、列車は高らか に警笛を響かせて、ゆっくりと動き出した。
「ヒグチ!」「ヒグチ!」。群衆は堰を切ったように改札口を 乗り越え、ホームにあふれ出した。あどけない顔をした少年達は 銀髪を振り乱し、両手を振り上げながら、あじあ号を追って走り 続けた。
■6.オトポールの恩を返すのは、いまをおいてない■
終戦後、ソ連極東軍は、札幌にいた樋口を「戦犯」に指名し、 連合軍総司令部に引き渡しを要求してきた。停戦後の8月19日 まで、北千島を攻撃してきたソ連軍は、北方防衛の責任者であっ た樋口に大損害を与えられ、北海道上陸を阻止された事を恨んで いたのである。
樋口の危機を聞いて、ニューヨークに総本部を持つ世界ユダヤ 協会が動き出した。その幹部の中には、オトポールで救われた人 々もいた。
「オトポールの恩を返すのは、いまをおいてない」世界各地に散 らばっているユダヤ人に檄がとび、樋口救出運動が始まった。世 界ユダヤ協会は、アメリカの国防総省を通じて働きかけ、マッカ ーサー総司令部は、ソ連からの引き渡し要求を拒否し、逆に擁護 することを通告したのである。
長い歴史を通じて迫害を受けてきたユダヤ人は、それだけに他 人から受けた恩義を簡単には忘れないのだろう。ユダヤのために 貢献した人々を顕彰するゴールデン・ブックに「偉大なる人道主 義者、ゼネラル・樋口」と記されているのはその証である
航空テロ防止に「服透視」、3空港で試験運用へ
航空テロ防止の切り札とされるもので、政府は2020年東京五輪・パラリンピックに向け、従来の方針を転換し、国交省が管理する空港については費用を全額負担して保安体制強化に乗り出す。
ボディースキャナーは、装置の中に人が入り、全身にミリ波と呼ばれる微弱な電波を当て、反射する電波をキャッチして不審物を探知する仕組み。金属探知機に反応しない爆発物や金属を使用していない刃物など、衣服の下に隠した危険物も数秒で検出することができる。保安検査場の専用のゲートの前に立てば、モニター上の人型の絵の中に検査結果が自動で表示される
韓国 李承晩政権が日本に亡命政権樹立を打診していた!?