今日は久しぶりに遠江秀年さんのユーチューブをご紹介します
私がお勧めする動画としては、まれにみる、見る価値あるものだと思います
最近のテレビは、ガザ戦争問題が数多く取り上げられているものの、残念な内容のものが多くて、見る気が失せてしまいます
いわば日本人特有の「人命教」みたいなものがあって、その奥にある「正邪を分かつ智慧」が乏しいのを、本当に残念に思いますね
今回の遠江さんの動画は、最近見たものの中では最も共感できたものですが、それは今現在の私の気持ちとも微妙にリンクしているからです
いまのハマス-イスラエル問題は、こじらせれば、この現地球文明の終焉を意味するものになると思います
最後は、この地球に住む人種・民族の多くが、「真なる神の正義」を掴めるかどうかが、文明存続のカギになるのではないでしょうか?
今回の動画の中にある「ワールド・ジャスティス(世界正義)を導き出すためのヒント」を突き詰めて
今回のハマス側とイスラエル側の戦いに、正邪の判定をつけたならば、その結論として。。。
ハマスの戦いの中にも、イスラエルの戦いの中にも、「神の正義は存在しない」という結論になります
それは、その考え方を最後の最後まで突き詰めていったときに、人類が幸福になるのか?不幸になるのか?と考えたら
ハマスの側は間違いなく、多くのパレスチナ人を巻き添えにして不幸にしながら、イスラエル側の報復を招いて更なる悲劇を起こし
イスラエルの側も、多くのパレスチナ人を殺し、住む地域から追放し、多くの恨みを買い、結果としてさらなる復讐の悲劇を生む
両方とも、神が多くの人類が幸福になり繁栄することを正義としている以上、彼らのやっていることに「神の正義はない」ということになります
そう。。。。私はこの結論こそが大事なことなのだと思うのです
「彼らのどちら側の戦争にも、神は正義の判定を下さない」、ということ、これをはっきり示せることが大事であると思うのです
神の正義というのは、遠江さんも指摘しているように、「人間の生死を超えたもの」です
それは、この地球という星が「多くの魂を転生輪廻させ、その中で幸福を追求させ、魂(精神性)の向上を目指す」ことを目的に
「神によって」創造されたものだからです
場合によっては、「単に人命を長らえる事よりも、神の正義を選び取る」ことが神の御心に適うことがあるわけです
もう一つ、是非とも読んで欲しいものをご紹介します
リバティーウェブ記事 「イスラエルとイランに言いたいこと 人類は「世界最終戦争」をどう防ぐべきか」
この中には様々な、「地球神」の言葉が出てきますが
例えば、「イランの向かうべき道」も説かれています。。。イスラム原理主義は、宗教でありながら共産主義と親和性が高く
国民一人一人が自由を極端に制限され、個性が発揮できないような、抑圧された状態に置かれています
結果的に見て、イランの核開発はイスラエルの報復を招き、イランの消滅を招く。。。という予言と
もう少し民主化して、一人一人の努力による繁栄を目指すことが国家存続の道である、ということが説かれています
地球神の心として、「もう少し、一人一人の人間の値打ちが高まる方向に、舵を取らなければいけない」と語られています
逆にイスラエルの側にも、ガザやヨルダン川西岸のパレスチナ人を虐げ、自国内のアラブ人を二級市民に貶める
そうした選民主義的な民主主義を軌道修正しなければならない。。。と書いていますが、これもその通りです
神は人間を個性あるものとして作ったのであって、民族や肌の色は個性として、切磋琢磨するための違いを創ったわけです
ですから、他民族をゴイとかゴイムとか、動物のように扱うことは「神の御心に反する」わけです
極端なユダヤ教聖書原理主義もまた、「神の意に反している」ことを知るべきだと、私は思います
最後に、我が国日本についても触れておきたいと思います
この日本もまた、「神の御心の分からない国」「善悪を判定できない国」になってしまっています
これはある意味、2600年前からのものなんですね、日本神道の成り立ちそのものに、大いに問題があるわけです
いわば、「日本神道のカルマ」でもあるわけです
日本神道はね、和の精神と言えば聞こえはいいのだけれども、最近は「善悪を曖昧にすることが和の精神」だと勘違いしているように見えます
そもそも、人間の住むこの地球霊界には、かっちりとした善悪が分かれています。。。天国と地獄は完全に分かれています
地上では曖昧でも、死んだ後の世界では、一人一人の人間の人生は、その生きざまが明確に判定されます
ですから、「こういう思いや考え方は悪だ」ということを明確にできなければ、善と悪を分けて、善なる生き方を選ぶことができなくなるわけです
菅原道真のように、死んで怨霊になって誰かに祟ったとしても、「みんな死ねば神様だ」として、神様みたいに祀ってしまっては
はっきり言って、善も悪もない、上辺が良ければ何でもいい、という事になりませんか?
結局、大川総裁も指摘していますが、「善悪を明確に分ける事ができず、曖昧にしてごまかす」のは、妖怪という霊存在なわけです
善悪の判定をせず、嘘をついてもかまわない。。。世間に気がつかれないように誤魔化しても、うわべをとりつくろえばいい。。。
これが日本政治にも色濃く反映されているわけです。。。日本の政治家というのは、はっきり言って、神道の神というより妖怪なわけです(笑)
私は今まで、日本神道については一定の敬意を払い、尊重してきたわけですけれども
もはや、日本神道も、もたないかもしれません。。。それは、すでに信仰そのものが賞味期限切れを起こしていて
主宰神という精神的主柱から崩れ始めているからです
妖怪を神様として敬うのは、もう私はやめます。。。それは嘘をつくことだからです。。。妖怪は神ではありません
神として尊敬できないものを、なんで敬わなければならないのか?
妖怪を上下(かみしも)の上に置くことは、もう日本の混乱を招くだけです
きょうもご覧いただきまして、ありがとうございました。。。それではまた
私がお勧めする動画としては、まれにみる、見る価値あるものだと思います
最近のテレビは、ガザ戦争問題が数多く取り上げられているものの、残念な内容のものが多くて、見る気が失せてしまいます
いわば日本人特有の「人命教」みたいなものがあって、その奥にある「正邪を分かつ智慧」が乏しいのを、本当に残念に思いますね
今回の遠江さんの動画は、最近見たものの中では最も共感できたものですが、それは今現在の私の気持ちとも微妙にリンクしているからです
いまのハマス-イスラエル問題は、こじらせれば、この現地球文明の終焉を意味するものになると思います
最後は、この地球に住む人種・民族の多くが、「真なる神の正義」を掴めるかどうかが、文明存続のカギになるのではないでしょうか?
今回の動画の中にある「ワールド・ジャスティス(世界正義)を導き出すためのヒント」を突き詰めて
今回のハマス側とイスラエル側の戦いに、正邪の判定をつけたならば、その結論として。。。
ハマスの戦いの中にも、イスラエルの戦いの中にも、「神の正義は存在しない」という結論になります
それは、その考え方を最後の最後まで突き詰めていったときに、人類が幸福になるのか?不幸になるのか?と考えたら
ハマスの側は間違いなく、多くのパレスチナ人を巻き添えにして不幸にしながら、イスラエル側の報復を招いて更なる悲劇を起こし
イスラエルの側も、多くのパレスチナ人を殺し、住む地域から追放し、多くの恨みを買い、結果としてさらなる復讐の悲劇を生む
両方とも、神が多くの人類が幸福になり繁栄することを正義としている以上、彼らのやっていることに「神の正義はない」ということになります
そう。。。。私はこの結論こそが大事なことなのだと思うのです
「彼らのどちら側の戦争にも、神は正義の判定を下さない」、ということ、これをはっきり示せることが大事であると思うのです
神の正義というのは、遠江さんも指摘しているように、「人間の生死を超えたもの」です
それは、この地球という星が「多くの魂を転生輪廻させ、その中で幸福を追求させ、魂(精神性)の向上を目指す」ことを目的に
「神によって」創造されたものだからです
場合によっては、「単に人命を長らえる事よりも、神の正義を選び取る」ことが神の御心に適うことがあるわけです
もう一つ、是非とも読んで欲しいものをご紹介します
リバティーウェブ記事 「イスラエルとイランに言いたいこと 人類は「世界最終戦争」をどう防ぐべきか」
この中には様々な、「地球神」の言葉が出てきますが
例えば、「イランの向かうべき道」も説かれています。。。イスラム原理主義は、宗教でありながら共産主義と親和性が高く
国民一人一人が自由を極端に制限され、個性が発揮できないような、抑圧された状態に置かれています
結果的に見て、イランの核開発はイスラエルの報復を招き、イランの消滅を招く。。。という予言と
もう少し民主化して、一人一人の努力による繁栄を目指すことが国家存続の道である、ということが説かれています
地球神の心として、「もう少し、一人一人の人間の値打ちが高まる方向に、舵を取らなければいけない」と語られています
逆にイスラエルの側にも、ガザやヨルダン川西岸のパレスチナ人を虐げ、自国内のアラブ人を二級市民に貶める
そうした選民主義的な民主主義を軌道修正しなければならない。。。と書いていますが、これもその通りです
神は人間を個性あるものとして作ったのであって、民族や肌の色は個性として、切磋琢磨するための違いを創ったわけです
ですから、他民族をゴイとかゴイムとか、動物のように扱うことは「神の御心に反する」わけです
極端なユダヤ教聖書原理主義もまた、「神の意に反している」ことを知るべきだと、私は思います
最後に、我が国日本についても触れておきたいと思います
この日本もまた、「神の御心の分からない国」「善悪を判定できない国」になってしまっています
これはある意味、2600年前からのものなんですね、日本神道の成り立ちそのものに、大いに問題があるわけです
いわば、「日本神道のカルマ」でもあるわけです
日本神道はね、和の精神と言えば聞こえはいいのだけれども、最近は「善悪を曖昧にすることが和の精神」だと勘違いしているように見えます
そもそも、人間の住むこの地球霊界には、かっちりとした善悪が分かれています。。。天国と地獄は完全に分かれています
地上では曖昧でも、死んだ後の世界では、一人一人の人間の人生は、その生きざまが明確に判定されます
ですから、「こういう思いや考え方は悪だ」ということを明確にできなければ、善と悪を分けて、善なる生き方を選ぶことができなくなるわけです
菅原道真のように、死んで怨霊になって誰かに祟ったとしても、「みんな死ねば神様だ」として、神様みたいに祀ってしまっては
はっきり言って、善も悪もない、上辺が良ければ何でもいい、という事になりませんか?
結局、大川総裁も指摘していますが、「善悪を明確に分ける事ができず、曖昧にしてごまかす」のは、妖怪という霊存在なわけです
善悪の判定をせず、嘘をついてもかまわない。。。世間に気がつかれないように誤魔化しても、うわべをとりつくろえばいい。。。
これが日本政治にも色濃く反映されているわけです。。。日本の政治家というのは、はっきり言って、神道の神というより妖怪なわけです(笑)
私は今まで、日本神道については一定の敬意を払い、尊重してきたわけですけれども
もはや、日本神道も、もたないかもしれません。。。それは、すでに信仰そのものが賞味期限切れを起こしていて
主宰神という精神的主柱から崩れ始めているからです
妖怪を神様として敬うのは、もう私はやめます。。。それは嘘をつくことだからです。。。妖怪は神ではありません
神として尊敬できないものを、なんで敬わなければならないのか?
妖怪を上下(かみしも)の上に置くことは、もう日本の混乱を招くだけです
きょうもご覧いただきまして、ありがとうございました。。。それではまた