今日は自分の人生について、ちょっと気がついたことを書きます
私は今から十年ほど前、会社をやめて独立しました。。。やめる前は、とある中小企業の役員を7年ほど勤めていまして
将来は会社を引き継ぎ社長になるべく、それなりに仕事をしており、あと4~5年勤めれば社長、という道もありました
会社を辞めたのは、一番は人間関係。。。特に先代の社長との考え方の違いが大きく、自分なりに「この会社を私が引き継ぐことは難しい」
と判断してのことでした。。。その判断は今でも正しかったと思います
現在は私の後輩が社長をやっていて、彼の方がその会社の社長には相応しかったと私自身も思いますし
私が続けていたとしたら、会社のカラーは相当変わったはずで、それが良かったかどうかは分かりません
先代の社長はもう亡くなりましたが、元中堅商社の営業出身で、「単品の商品を売る」という事に特化すれば、非常に優秀な方でした
私はどちらかと言えば、「個別の顧客に単品の商品を売る」、という商売はやや苦手で
それよりも、継続して消耗品が売れる商売を考えたり、物をレンタルして継続してお金が入ってくるような、持続性のある商売が好きでした
今になって考えてみれば、この、商売に対する考え方の違いが、お互いの反発心を招いていたと思います
現社長の私の後輩は、お酒のお付き合いなどの人間関係を構築することに長けており、先代社長の営業スタイルに近かったと言えます
なので、やはり私より彼が適任であったのかもしれません。。。先代の社長は、私の考え方には否定的だったと思います
さてそうした私ですが、実は独立して、人間的に少しは成長できたのではないかと密かに自負しています
業界はまったく違う方向に進んだわけですが、それでも、私自身が考えていた商売の理想に、やはり近いところに来るものですね
最近は、「自分はサバイバルに向いている人間である」と思うようになりました。。。そう思えるきっかけは
やはり、独立して必死でやってきたこと。。。そこでした
自分のプライドをかなぐり捨てて、「何でもやる」「人に頼まれたことは可能な限り全て引き受ける」
そのように商売の方針を決め、それに徹したわけです
そして今気がつけば、「自分の人生は、運がよくなってきている。。。恵まれてきている」と思うわけです
なんでなんだろうか?と思いますとね。。。それはやはり、大川隆法先生の薫陶を受けてきたから。。。としか、言えないのです
最近の書籍、「妖怪にならないための言葉」など、知らない人は、「何を言っているんだ?」と、頭が???になる書物でも
私にとっては宝の山なのです。。。なぜかというと、こういうことなのです
私は、大川隆法先生がおっしゃるところの、まさに「妖怪」でした。。。少なくとも会社勤めしていた時は。。。
それが、この年になってはじめて「妖怪にならない生き方」というのが、少しだけ見えてきたのです
どんな生き方が「妖怪」の生き方なのか、今は少しだけ理解できるようになりました
そして、自分が脱妖怪してくると、少しずつ家庭が調和し、運気が上がり、生活が充実してくるのです。。。実に不思議です
妖怪はね、実は「勤勉で正直な人」が嫌いなのです
自分が勤勉で正直だと言っているのではありません。。。あくまで昔に比べるとそうだというだけです
例えば、最近の私はこんな感じなのです
お客様からお金を支払っていただいて、そのつり銭が間違えていたことに、随分後に気がついたとします。。。
100円とか、めんどくさいだけなんですけど、それでも、その時に自分の中でもう一人の自分がこう囁くんです
「与えられざるもの取るべからず」。。。。こんな言葉が本当に聞こえてくるんですよ(笑)
与えられざるもの取るべからずというのは、仏教で言うところの「不偸盗」つまり、「盗むなかれ」、ですね
これが聞こえてくると、そのお金を返しに行かないと、気持ち悪くて仕方がなくなってしまいます
この釣銭を誤魔化してしまうと、また妖怪に後戻りです(笑)
だからですね。。。コロナ過のときは悩みましたよ。。。お注射を打っていないのに「打った」と嘘をつきたくない(笑)
これは仏教で言うところの「不妄語」、つまり、「嘘をつくなかれ」ですね
何事もすべて正直に。。。というと、生活に支障があることもありますので、そこは知恵が必要なんですが
できる限り戒律を守り、誠実に生きようといまは思っています
それでね、そこで気がついたんですが、そういう生き方をしようと思っていると「何かが守ってくださっている」と思えるようになってきたんです
本当にそう思えるんですよ。。。何かが守ってくださっている。。。
最近、生活に困ったことがないんです。。。すごくありがたいと思います
前回の日記で書いた、行基の広めた「因果応報」、つまり、善因善果、悪因悪果は、実はこういう事なのかな?と思います
誠実に生きようとしても、確かに苦労はあります。。。しんどいこともあるし、つらいこともある
でも、結果的に運がよくなっていることは紛れもない事実。。。。
私は、仏教の教えはお題目だとは思いません。。。仏教は単なる道徳ではありません
いや、大川隆法先生の説かれた仏法真理は、単なるお題目じゃありません
それぞ今後の人生の中で、少しでも証明する事ができたら、幸いなことであると思います
それでは、また
私は今から十年ほど前、会社をやめて独立しました。。。やめる前は、とある中小企業の役員を7年ほど勤めていまして
将来は会社を引き継ぎ社長になるべく、それなりに仕事をしており、あと4~5年勤めれば社長、という道もありました
会社を辞めたのは、一番は人間関係。。。特に先代の社長との考え方の違いが大きく、自分なりに「この会社を私が引き継ぐことは難しい」
と判断してのことでした。。。その判断は今でも正しかったと思います
現在は私の後輩が社長をやっていて、彼の方がその会社の社長には相応しかったと私自身も思いますし
私が続けていたとしたら、会社のカラーは相当変わったはずで、それが良かったかどうかは分かりません
先代の社長はもう亡くなりましたが、元中堅商社の営業出身で、「単品の商品を売る」という事に特化すれば、非常に優秀な方でした
私はどちらかと言えば、「個別の顧客に単品の商品を売る」、という商売はやや苦手で
それよりも、継続して消耗品が売れる商売を考えたり、物をレンタルして継続してお金が入ってくるような、持続性のある商売が好きでした
今になって考えてみれば、この、商売に対する考え方の違いが、お互いの反発心を招いていたと思います
現社長の私の後輩は、お酒のお付き合いなどの人間関係を構築することに長けており、先代社長の営業スタイルに近かったと言えます
なので、やはり私より彼が適任であったのかもしれません。。。先代の社長は、私の考え方には否定的だったと思います
さてそうした私ですが、実は独立して、人間的に少しは成長できたのではないかと密かに自負しています
業界はまったく違う方向に進んだわけですが、それでも、私自身が考えていた商売の理想に、やはり近いところに来るものですね
最近は、「自分はサバイバルに向いている人間である」と思うようになりました。。。そう思えるきっかけは
やはり、独立して必死でやってきたこと。。。そこでした
自分のプライドをかなぐり捨てて、「何でもやる」「人に頼まれたことは可能な限り全て引き受ける」
そのように商売の方針を決め、それに徹したわけです
そして今気がつけば、「自分の人生は、運がよくなってきている。。。恵まれてきている」と思うわけです
なんでなんだろうか?と思いますとね。。。それはやはり、大川隆法先生の薫陶を受けてきたから。。。としか、言えないのです
最近の書籍、「妖怪にならないための言葉」など、知らない人は、「何を言っているんだ?」と、頭が???になる書物でも
私にとっては宝の山なのです。。。なぜかというと、こういうことなのです
私は、大川隆法先生がおっしゃるところの、まさに「妖怪」でした。。。少なくとも会社勤めしていた時は。。。
それが、この年になってはじめて「妖怪にならない生き方」というのが、少しだけ見えてきたのです
どんな生き方が「妖怪」の生き方なのか、今は少しだけ理解できるようになりました
そして、自分が脱妖怪してくると、少しずつ家庭が調和し、運気が上がり、生活が充実してくるのです。。。実に不思議です
妖怪はね、実は「勤勉で正直な人」が嫌いなのです
自分が勤勉で正直だと言っているのではありません。。。あくまで昔に比べるとそうだというだけです
例えば、最近の私はこんな感じなのです
お客様からお金を支払っていただいて、そのつり銭が間違えていたことに、随分後に気がついたとします。。。
100円とか、めんどくさいだけなんですけど、それでも、その時に自分の中でもう一人の自分がこう囁くんです
「与えられざるもの取るべからず」。。。。こんな言葉が本当に聞こえてくるんですよ(笑)
与えられざるもの取るべからずというのは、仏教で言うところの「不偸盗」つまり、「盗むなかれ」、ですね
これが聞こえてくると、そのお金を返しに行かないと、気持ち悪くて仕方がなくなってしまいます
この釣銭を誤魔化してしまうと、また妖怪に後戻りです(笑)
だからですね。。。コロナ過のときは悩みましたよ。。。お注射を打っていないのに「打った」と嘘をつきたくない(笑)
これは仏教で言うところの「不妄語」、つまり、「嘘をつくなかれ」ですね
何事もすべて正直に。。。というと、生活に支障があることもありますので、そこは知恵が必要なんですが
できる限り戒律を守り、誠実に生きようといまは思っています
それでね、そこで気がついたんですが、そういう生き方をしようと思っていると「何かが守ってくださっている」と思えるようになってきたんです
本当にそう思えるんですよ。。。何かが守ってくださっている。。。
最近、生活に困ったことがないんです。。。すごくありがたいと思います
前回の日記で書いた、行基の広めた「因果応報」、つまり、善因善果、悪因悪果は、実はこういう事なのかな?と思います
誠実に生きようとしても、確かに苦労はあります。。。しんどいこともあるし、つらいこともある
でも、結果的に運がよくなっていることは紛れもない事実。。。。
私は、仏教の教えはお題目だとは思いません。。。仏教は単なる道徳ではありません
いや、大川隆法先生の説かれた仏法真理は、単なるお題目じゃありません
それぞ今後の人生の中で、少しでも証明する事ができたら、幸いなことであると思います
それでは、また
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