安い税金と小さな政府を切望するふきあえずのブログ

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及川幸久さんと三橋貴明さんの考え方の違い

2021-04-09 08:47:19 | 政治
及川さんと三橋さん、日ごろから私が大変参考にさせていただいているお二人ですが
どちらかというと、私の考え方は及川さんに近く、三橋さんとは「ズレ」があるのを感じます
違っていていいんですが、その違いはおそらく「大きな政府」型の思考なのか、「小さな政府」型の思考なのか?の違いが大きいと思います

今日は三橋さんの動画にまた面白い話題がありましたのでご紹介します
デービッド・アトキンソンから三回目のお手紙をもらった件 [三橋TV第374回] 三橋貴明・高家望愛
この動画で紹介されているデービッド・アトキンソンという人は、以前私がキンドルで出版した「スガ総理の教科書」という書籍に
詳しくご紹介していますが、三橋さんの言われる通り、アトキンソン氏は日本経済を自分の好む結論に導くために理屈をこねている人なので
確信犯で日本経済の破壊を狙っているのは間違いないと思います。。。。こういう人を「ハイエナ」というんだと思います
自分の経済アドバイスで、日本の政治家に日本を殺させておいて、その死肉を食う。。。まさにハイエナというにふさわしい方です

アトキンソン氏の主張の細かい部分をここで紹介はできませんが、要は中小企業を殺しておいて大企業に技術を吸収させ
その大企業を株保有で金融資本家の所有物にする。。。。つまり、中小企業だと株保有ができないので自由にならないが、大企業なら
株式公開されているので、株を保有すれば自由にできるようになる。。。つまり、自分たちの利益のために日本の中小企業を倒産させ
構造を改革させようとしているという三橋さんの主張は、まさに彼らの狙いの一つとしては、そのとおりかと思いますね

話が横に飛びましたが、三橋さんの上記の動画の中で、
「もしかすると、介護が生産性の高い産業になるかもしれない、なるかならないかは神様じゃないんだからわかるわけがないだろ?」
とおっしゃっています
これを聞いて、確かに我々は神様じゃないので、おっしゃりたいことは良くわかるんですが、それでも、「三橋さんの限界はここなんだろうな?」
と、そう思いました
やはり、三橋さんも介護の現場は知らないのでしょう
介護現場に資金投入をすればするほど、生産性が低くなる部分はどうしてもある、というのが現実です
介護事業というのは、お年寄りの介護度(要支援1~2、要介護1~5)によって点数(持ち点)が決められており、使えるサービスに限度があります
例えば、デイサービスの送迎は何点、体操の指導は何点、トイレの介助は何点、食事の介助は何点、という具合です
高齢者施設は高齢者個人の限度枠いっぱいまで介護枠を使おうとするのが一般的で、高齢者を他所の事業所に取られないように囲い込んだりします
しかし、そういう事業形態の特徴を言えばお分かりかと思いますが
事業所が儲けようと思えば、点数を稼ぐために過剰サービスになっていくのが普通なのです
個人個人の介護職員は、本当によくやっている方が多く、私の言うことに反論もあるとは思いますが

今まで歩けた人が、施設に入るとどんどん歩けなくなったり、必要な介助が増えていったり、という現象があります
確かに、ゆっくりとしか動けない人を、さっさと車いすに乗せて運んでしまえば、介護士の側も楽なわけです
ですから、介護施設は高齢者に便利であればあるほど、過剰サービスで高齢者の自立を損なう面があります
点数制によって、サービスを過剰化させていくという問題が一つ

もう一つ言っておきたいことは、
介護施設というのは、どうしても行政にぶら下がる形の運営になります
国からお金をもらうということは、行政側のルールに縛られるということです。。。ですから、ほとんどサービスの差が出ない
万人に同じ介護を、というのは聞こえがいいのですが、縛り事が多すぎて、各事業所の差が出ない。。。自由な運営ができない
つまりこれが、生産性が上がらない原因の一つだと私は思うのです。事業所そのものが準公務員化しているわけです

自由化というと、いいようにも聞こえるし、三橋さんらに言わせれば、行政側が責任を放棄している、ということになるのでしょうか?
三橋さんが言うように、税金は財源ではないとすれば、将来的には「もっと介護報酬を出すべき」となるんでしょうが、そこには問題があります
「国は税収に関係なく介護の予算をもっと出すべき」、という主張は、要するに「国が高齢者の面倒を(政府が発行したお金で)見るべき」と言っているということです
それを言っているのと同じなんですよね。。。つまり、高齢者に対しては生活保護と同じ扱いになるということです
これはね。。。いいように見えるが、自己責任を放棄する社会がそこにできるということなんですよ

私は仕事柄、生活保護をもらっている人と接することがよくあります
全員とは言いませんが、彼らに割と共通しているのは、「税金をもらっているという感覚がない」ということです
つまり、お金をもらうことが当たり前になっているわけで
もしお金を余らせて貯金していたりすると、国に返金させられるので、余らないように贅沢なものを購入したりして、使い切ってしまうわけです

ここで及川幸久さんの動画を一つご紹介します

2021.04.07【米国】ワクチンパスポート(接種証明)を巡り保守vs左派が激突‼️💥テキサス・フロリダ州、接種&証明の強制に反対❗️「個人の自由の権利」を尊重❗️👏【及川幸久−BREAKING−】

<本日の及川幸久−BREAKING NEWS− >※ほぼ毎日更新※
2021.04.07【米国】ワクチンパスポート(接種証明)を巡り保守vs...

youtube#video

 


この動画の中で及川さんが「小さな政府」について短く解説をしている部分があります
小さな政府とは、行政側の権限を小さくし、個人の自由を制限しないように行政側に対し権力の制限を設けること、と説明しています
まったくその通りで、行政側がお金をばらまく権限が強くなるほど、個人の自由が制限されていきます
ただもう一つ加えるとするならば、国というのは個人の集合体であるので、個人個人が勤勉さを失えば、国もまた衰退するわけです
「国による過剰なバラマキは個人を怠惰にさせ国を衰退させる、だからこそ、個人への過度な干渉は避けるべきだ」
というのが小さな政府の考え方の元にあるものなのです
自助論という国民の民度の高さがなければ国は衰退する。。。これはスマイルズの自助論の冒頭部分に書かれていることです
まったく同感です

三橋貴明さん、とても優秀な方で、いろいろな面で参考にさせていただくことも多い方ですが
人間学の面から、経済学をもう一度再検討していただく必要があるのではないか?と、私は思います

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