今日は一風変わった日記ですが、私が日記を書くときに「恐怖でなにも書けない」瞬間があることを語りたいと思います
私には、ときどき、「何も書けない」瞬間が訪れることがあります
以前はそんなになかったのですが、最近はちょくちょくそんなことがあります
と、言いますのも、どんなときに書けなくなるかと言うと、それは、「明らかに自分の知的思索レベルが落ちている」ときです
エンタメ系のユーチューバーはともかく、政治系のユーチューバーなどの動画を見ていると良くわかるのですが
明らかに「最近勉強していない」ということが分かる人と、「いつもよく勉強している」人と、やはり実力差を感じます
及川幸久さんなどは、あれほど忙しく政治活動を続けながら、知的思索レベルが落ちないというか
知的な練り込みのレベルが、常に高い状態を維持しているんですよね、驚きですが
逆に、某政治系若手ユーチューバーなどを見ていると、情報をとって、それに適当にコメントを加えて発信しています
知的な訓練をしていないのが、言葉の端々からまる分かりで、聞いてて「薄っぺらい」というのが、すぐに分かってしまうんですね
恐ろしいことですが、勉強不足はそれなりの人から見ればすぐ見抜かれてしまいます
彼にしても、毎日習慣化して、常に発信を継続するその努力は大したものですが
発信を続けるには、やはりそれの数倍の勉強が必要なのです
勉強を怠っていると、ただ情報を右から左に流すだけの、単純な”作業”になってしまいがちです
実は最近の私は、知的思索のレベルが落ちてくると、それと同時にインスピレーションも降りてこなくなって
流れ作業的に何かを書いたとしても、自分で自分の書いた文章に、自分で納得がいかなくなってきてしまうのです
これは苦しいことですね
自分は物書きではなくて別の仕事をもっているので、一日のなかで使える時間は限られています
勉強のために本を読む時間を取れば、その分情報を取る時間や文章を書く時間が取れなくなる
本当にジレンマですよね
ただ、最近言えることは、インターネット上で情報を取るだけの生活をしていると
知的訓練が不足して、内容が薄くなり、枯れていきます。。。これはどうしようもないことです
不思議なことですが、知的訓練には、紙の書籍。。。古典の名著を読むことが一番効果があります
なぜなのか?それを今日は考えていました
そして一つ面白いインスピレーションをいただいたのです
いくつか前の日記で、私が「カール・ポパー」のことを書いた後に起きた、霊的な現象のことを覚えているでしょうか?
その時に書いたことが
古典を読むと、その著者と波長があってきて、霊的な指導を受け始めるようになる。。。というものです
私の場合、たまに自分の書いたものを見て、「これは自分の考えじゃないな」と思うことがあります
そういうときは大抵、しっかり知的努力を続けていて、心がよく調和されている状態のときに起きます
そして、その時には必ずと言っていいほど、明確なインスピレーションが下りてきます
自分でも驚くほど、色んなインスピレーションが下りてきて、スムーズに考えがまとまっていくのです
これはもしかすると、書籍の波長と自分の波長が合ってきたときに、インスピレーションを下しやすい状態になり
半瞑想状態に入って、霊的な指導を受けている状態なのではないか?と思います
ですから。。。。「古典の良書を読む」というところに、実はヒントがあると思うのです
古典の場合、著者は大抵「亡くなって」います。。。そこがミソなんですね
私は以前、あるところで、「ロックフェラーの研修」というのを受けたことがあります
その時に、とある「大富豪」のポスターを見つけて眺めていたんですが、その時不思議なことに、心に声が響いてきました
その声は、「研修を受けにおいでよ」という声でした(笑)
まあ、霊的なものを信じない人はそれを眉唾だと思うかもしれませんが、誰に何と思われようと別にかまわないのです
事実は事実ですから
そして、その経験を思い出して、なお一層、「インスピレーション」ということに思いを馳せることができたのです
「天は自らを助くる者を助く」
という言葉は、霊的に見ても真実だと思います
自らが努力を重ねていくなかに「天からの助力もまた来る」ということでしょう
今日はそんなことを考えた一日でした
私には、ときどき、「何も書けない」瞬間が訪れることがあります
以前はそんなになかったのですが、最近はちょくちょくそんなことがあります
と、言いますのも、どんなときに書けなくなるかと言うと、それは、「明らかに自分の知的思索レベルが落ちている」ときです
エンタメ系のユーチューバーはともかく、政治系のユーチューバーなどの動画を見ていると良くわかるのですが
明らかに「最近勉強していない」ということが分かる人と、「いつもよく勉強している」人と、やはり実力差を感じます
及川幸久さんなどは、あれほど忙しく政治活動を続けながら、知的思索レベルが落ちないというか
知的な練り込みのレベルが、常に高い状態を維持しているんですよね、驚きですが
逆に、某政治系若手ユーチューバーなどを見ていると、情報をとって、それに適当にコメントを加えて発信しています
知的な訓練をしていないのが、言葉の端々からまる分かりで、聞いてて「薄っぺらい」というのが、すぐに分かってしまうんですね
恐ろしいことですが、勉強不足はそれなりの人から見ればすぐ見抜かれてしまいます
彼にしても、毎日習慣化して、常に発信を継続するその努力は大したものですが
発信を続けるには、やはりそれの数倍の勉強が必要なのです
勉強を怠っていると、ただ情報を右から左に流すだけの、単純な”作業”になってしまいがちです
実は最近の私は、知的思索のレベルが落ちてくると、それと同時にインスピレーションも降りてこなくなって
流れ作業的に何かを書いたとしても、自分で自分の書いた文章に、自分で納得がいかなくなってきてしまうのです
これは苦しいことですね
自分は物書きではなくて別の仕事をもっているので、一日のなかで使える時間は限られています
勉強のために本を読む時間を取れば、その分情報を取る時間や文章を書く時間が取れなくなる
本当にジレンマですよね
ただ、最近言えることは、インターネット上で情報を取るだけの生活をしていると
知的訓練が不足して、内容が薄くなり、枯れていきます。。。これはどうしようもないことです
不思議なことですが、知的訓練には、紙の書籍。。。古典の名著を読むことが一番効果があります
なぜなのか?それを今日は考えていました
そして一つ面白いインスピレーションをいただいたのです
いくつか前の日記で、私が「カール・ポパー」のことを書いた後に起きた、霊的な現象のことを覚えているでしょうか?
その時に書いたことが
古典を読むと、その著者と波長があってきて、霊的な指導を受け始めるようになる。。。というものです
私の場合、たまに自分の書いたものを見て、「これは自分の考えじゃないな」と思うことがあります
そういうときは大抵、しっかり知的努力を続けていて、心がよく調和されている状態のときに起きます
そして、その時には必ずと言っていいほど、明確なインスピレーションが下りてきます
自分でも驚くほど、色んなインスピレーションが下りてきて、スムーズに考えがまとまっていくのです
これはもしかすると、書籍の波長と自分の波長が合ってきたときに、インスピレーションを下しやすい状態になり
半瞑想状態に入って、霊的な指導を受けている状態なのではないか?と思います
ですから。。。。「古典の良書を読む」というところに、実はヒントがあると思うのです
古典の場合、著者は大抵「亡くなって」います。。。そこがミソなんですね
私は以前、あるところで、「ロックフェラーの研修」というのを受けたことがあります
その時に、とある「大富豪」のポスターを見つけて眺めていたんですが、その時不思議なことに、心に声が響いてきました
その声は、「研修を受けにおいでよ」という声でした(笑)
まあ、霊的なものを信じない人はそれを眉唾だと思うかもしれませんが、誰に何と思われようと別にかまわないのです
事実は事実ですから
そして、その経験を思い出して、なお一層、「インスピレーション」ということに思いを馳せることができたのです
「天は自らを助くる者を助く」
という言葉は、霊的に見ても真実だと思います
自らが努力を重ねていくなかに「天からの助力もまた来る」ということでしょう
今日はそんなことを考えた一日でした
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