この話、分かる方には分かると思いますが、意味不明と思われる方はそのままスルーしてください。。。独り言です
最近、ある種の精神的脱力感が半端ありません
その強い脱力感は、「日本神道」に対する、ある種の”失望感”からきているように感じます
私は某創〇〇会員のように、他宗教をすべて「邪教」だと切り捨てて、他宗排撃をするような悪趣味はありません
仏壇も神棚も「邪教の産物」として捨ててしまうようなことも致しません。。。そんな人間ではないと自分では思っているのですが
今は神棚に対して、ある種の「どうでもいい」感が半端ありません。。。神社のお札やお守りも、ただの紙切れや布切れのように感じます
それというのも、あえて名前は申し上げませんが、日本神道の主宰神に対する、半端ない嫌悪感が原因です
私はこれまで、この春先まで、日本神道の主宰神というのは、世界から見れば単なる民族神ではあるものの
高い精神性をもった存在であって、尊崇されるべき神として、崇拝とまでは行かなくても、ある種の敬意と尊敬を払ってきました
しかしながら、その神道の主宰神が、実は崇高な神の仮面(お面)をかぶった、嫉妬深い、妬みの存在だったとしたら。。。。
そんなものを神として尊敬できるのか?日本の神として、これからもお祀りすることができるのか?
ここが私の中で、強く引っかかっているのです
日本神道はその主宰神からして、自らを省みる事ができない、自分可愛さに凝り固まった、嫉妬深い、「妖怪のような」存在であった
この事実に、半端なく失望し、がっかりしているのです
これまで、この事実を私自身が簡単に受け入れられず、日記にも書けないできました。。。しかし、やっと書くことができました
私はこの大和の国日本が、穢れ、薄汚れた国だったとは思っておりません
日本はやはり神の国として、数千年以上の長きにわたり、存在していたと思っています
その神の国として存在できた理由の一つが、仏教を受け入れ、大和の国の美徳の精神として昇華してきたことにあると思っています
神の国を名乗る以上は、そこに住む民の心もまた、美しくなければなりません
ところが、長きにわたって国の柱として尊崇されすぎてきたがために、自らを一番尊い神だと勘違いしてしまった
信仰を受ける存在が一番おちいりやすい落とし穴が、「自らを一番偉い神だと思って慢心してしまう」ことです
そして、自分以上の崇高な存在が出てきたときに、その存在を嫉妬で攻撃し、引きずり降ろそうとしてしまう
「かみなり」は「神成」とも言うそうですが、自らを最高の存在として、神として祀られることを望んでしまう
それが神道の最高神だとしたら、とても悲しいと言わざるを得ません
もちろん、神社を崇拝する方をどうこう言うつもりは、私にはまったくありません
ですが。。。。私は思うのですが。。。。神道の主宰神、そして神道の小さな神々の実態、真実の姿が
白日の下にさらされつつある以上、高天原への信仰は、おそらく、徐々に崩れていくであろうと思います
その流れはおそらく、もう止めようがないのではないでしょうか?
当然のことながら、信仰の崩壊がすぐに起こるとは、私は思いません
もちろん、そんなことがあれば、日本そのものが消滅の危機にさらされてしまう事でしょう
ですが、これからの日本は、信仰の観点からも、「再生」が始まっていくと私は思います
日本の国は、そもそも神仏への信仰心から立て直さない限り、いかに国を存続させようと努力しても
まず、国の内部から崩壊していくのではないでしょうか?
日本が憧れる国、アメリカが今、信仰を失って内部崩壊が始まっているように。。。です
最後に、カズ石田さんの最新動画をご紹介しておきます
アメリカもまた、信仰を失って国が内部崩壊を始めています
人間として一番大切な信仰心を失うことが如何に恐ろしい事か。。。アメリカの崩壊は、対岸の火事では済まないと、私はそう感じます
最近、ある種の精神的脱力感が半端ありません
その強い脱力感は、「日本神道」に対する、ある種の”失望感”からきているように感じます
私は某創〇〇会員のように、他宗教をすべて「邪教」だと切り捨てて、他宗排撃をするような悪趣味はありません
仏壇も神棚も「邪教の産物」として捨ててしまうようなことも致しません。。。そんな人間ではないと自分では思っているのですが
今は神棚に対して、ある種の「どうでもいい」感が半端ありません。。。神社のお札やお守りも、ただの紙切れや布切れのように感じます
それというのも、あえて名前は申し上げませんが、日本神道の主宰神に対する、半端ない嫌悪感が原因です
私はこれまで、この春先まで、日本神道の主宰神というのは、世界から見れば単なる民族神ではあるものの
高い精神性をもった存在であって、尊崇されるべき神として、崇拝とまでは行かなくても、ある種の敬意と尊敬を払ってきました
しかしながら、その神道の主宰神が、実は崇高な神の仮面(お面)をかぶった、嫉妬深い、妬みの存在だったとしたら。。。。
そんなものを神として尊敬できるのか?日本の神として、これからもお祀りすることができるのか?
ここが私の中で、強く引っかかっているのです
日本神道はその主宰神からして、自らを省みる事ができない、自分可愛さに凝り固まった、嫉妬深い、「妖怪のような」存在であった
この事実に、半端なく失望し、がっかりしているのです
これまで、この事実を私自身が簡単に受け入れられず、日記にも書けないできました。。。しかし、やっと書くことができました
私はこの大和の国日本が、穢れ、薄汚れた国だったとは思っておりません
日本はやはり神の国として、数千年以上の長きにわたり、存在していたと思っています
その神の国として存在できた理由の一つが、仏教を受け入れ、大和の国の美徳の精神として昇華してきたことにあると思っています
神の国を名乗る以上は、そこに住む民の心もまた、美しくなければなりません
ところが、長きにわたって国の柱として尊崇されすぎてきたがために、自らを一番尊い神だと勘違いしてしまった
信仰を受ける存在が一番おちいりやすい落とし穴が、「自らを一番偉い神だと思って慢心してしまう」ことです
そして、自分以上の崇高な存在が出てきたときに、その存在を嫉妬で攻撃し、引きずり降ろそうとしてしまう
「かみなり」は「神成」とも言うそうですが、自らを最高の存在として、神として祀られることを望んでしまう
それが神道の最高神だとしたら、とても悲しいと言わざるを得ません
もちろん、神社を崇拝する方をどうこう言うつもりは、私にはまったくありません
ですが。。。。私は思うのですが。。。。神道の主宰神、そして神道の小さな神々の実態、真実の姿が
白日の下にさらされつつある以上、高天原への信仰は、おそらく、徐々に崩れていくであろうと思います
その流れはおそらく、もう止めようがないのではないでしょうか?
当然のことながら、信仰の崩壊がすぐに起こるとは、私は思いません
もちろん、そんなことがあれば、日本そのものが消滅の危機にさらされてしまう事でしょう
ですが、これからの日本は、信仰の観点からも、「再生」が始まっていくと私は思います
日本の国は、そもそも神仏への信仰心から立て直さない限り、いかに国を存続させようと努力しても
まず、国の内部から崩壊していくのではないでしょうか?
日本が憧れる国、アメリカが今、信仰を失って内部崩壊が始まっているように。。。です
最後に、カズ石田さんの最新動画をご紹介しておきます
アメリカもまた、信仰を失って国が内部崩壊を始めています
人間として一番大切な信仰心を失うことが如何に恐ろしい事か。。。アメリカの崩壊は、対岸の火事では済まないと、私はそう感じます
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